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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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理想に燃えている時

 宋で起きた華氏と向氏の乱が原因で、公子・じょう(字は子辺しへん平公へいこうの子)、公孫忌こうそんき楽舍がくしゃ楽喜がくきの孫)、司馬彊しばきょう向宜しょうせん向鄭しょうてい(向宜と向鄭は兄弟で、向戌しょうじょつの子)、郳甲(小邾の穆公(ぼくこうの子)が宋から出奔した。


 彼らは全員、宋の大夫で、元公の党である。

 

 彼らは華氏と鬼閻(宋地)で戦ったが、敗北した。

 

 公子・城は晋に奔り、他は鄭に奔った。

 

 そんな中、華亥と妻は必ず盥で手や酒器を洗って(恭敬を示す礼儀)人質に取った公子達を遇し、公子達が食事をしてから自分達も食事をするようにしていた。


 人質を取っているとは思えない状況である。

 

 宋の元公げんこうも毎日、夫人と共に華氏の家を訪れ、公子達の食事が終わってから帰った。

 

 華亥はしだいに元公との対立が不安になり、公子達を釈放しようとした。しかし向寧しょうねいが、


「国君に信をおけないためにその子を人質に取ったのだ。もしも帰らせたら、我々の死を早めることになるぞ」


 と言うため、釈放することはなかった。

 

 一方の元公は大司馬・華費遂かひすいの元を訪れ、彼に華氏攻撃を相談した。華費遂は、


「私は命を惜しむことはございませんが。しかし憂を除こうとして武力を用いますと、逆に憂を大きくすることになるでしょう。私はそれを恐れております。されど君命であるとのことでありますれば、逆らうことはございません」


 と人質になっている太子らのことを心配した。

 

 元公は、


「子(諸公子)の死亡は命(天命)によるものである。私は今受けている恥を堪えることができない」


 と言った。


 非情な決断と思うべきか。冷酷な決断と思うべきか。それは人、それぞれであろう。


 十月、元公は、華氏と向氏の人質を殺して反撃に出た。

 

 華氏(華亥・華定かてい)と向氏(向寧)が人質を連れて陳に奔り、


「国君に逆らうことは大罪なるも、人質を見殺しにするような非情よりはましだ」


 と言って、華登かとう(華費遂の子)は呉に奔った。

 

 向寧は太子・鸞を殺そうとしたが、華亥が止めた。


「主君を犯して出奔することになったにも関わらず、その息子まで殺害すれば、誰が我々を受け入れるというのだ。逆に彼を帰らせれば庸(善功)となるだろう」

 

 華亥は少司寇・華牼(字は牛。華亥の庶兄)を送って太子と諸公子を帰らせることにした。華亥が華牼に言った。


「あなたは年をとったため、今更出奔しても他国に仕えることはできないでしょう。三公子を連れて帰って謀反するつもりがないという証にすれば、必ず罪から免れることができましょう」

 

 こうして公子達が国に帰った。華牼が公門(朝廷の門)から去ろうとすると、元公が急いで接見し、華牼の手をとって、


「私は汝の無罪を知っている。入って元の地位に戻れ」


 言ったため、彼は復職した。







 十一月、蔡の平公が死んだ。太子・しゅが即位したが、後継者を巡って翌年、争いが起きることになる。

 

 この頃、斉の景公けいこう晏嬰あんえいが魯に入った。


「晏嬰と言えば、斉で一番の賢人と言われる人物だ」


 孔丘こうきゅうはこの頃、委吏(倉庫係)や司職吏(家畜の管理係)の職についていた。それと並行して彼は最近、近所の人々を集め、塾のようなものを開き、学問を教えていた。


「彼の有名な話しで、こういうのがある」


 彼は弟子たちに晏嬰の逸話を話し始めた。


 晏嬰が使者として楚に行ったことがあった。晏嬰は背が低くかったため、楚人は晏嬰を辱めるために大門の横に小門を作って晏嬰を通らせようとした。


 しかし彼は小門に入らず、こう言った。


『狗の国に使者として来た者であるなら、狗の門から入るものである。しかし私は楚に使者として来た。この門から入るべきではない』


 これで無理やり晏嬰を小門を潜らせれば、楚は自分で狗の国であるということになってしまう。そのため慌てて楚の儐者(賓客を接待する官)は晏嬰を大門から中に入れた。


 晏嬰が楚王(誰かはわからない)に会うと、楚王が問うた。


『斉には人がいないのか?』


 楚王はどうやら彼の小ささを笑う意味で彼を子供扱いしたようである。


 晏嬰が答えた。


『臨淄(斉都)には三百の閭(巷)があり、人々が袂(袖)を張れば陰ができ、汗を揮えば雨になり、道を歩く人々の肩がぶつかり踵が接するほどでございます。それなのになぜ斉に人がいないと言うのでしょうか?』


『それではなぜ子(汝)が使者として来たかね?』


『斉が使者を任命する際には、それぞれの主(使者として訪問する相手)がいるものです。賢者が使者となれば、賢王を訪問し、不肖の者が使者となれば、不肖な王を訪問する。私は最も不肖であるため、こうして楚に参った次第です』


 彼の言葉をそのまま受け取れば、楚王は自らは不肖の王ということになる。楚王としては大いに不快になったであろう。


 その後、楚王は晏嬰に酒をふるまった。酒がまわった頃、二人の官吏が一人の男を縛って楚王の前に来た。


 実は晏嬰が楚に入る前の事であるが、楚王が左右の近臣に、


『晏嬰は斉において習辞の者(弁舌を得意とする者)である。もうすぐここに来るが、彼を辱めてやろうと思うのだが、何かいい方法はないか?』


 近臣はこう言った。


『彼が参りましたら、一人を縛って王の前を通らせてください。その時、王が『あれは何者だ?』とお問いになり、臣等が『斉の人です』と答え、王が『何の罪を犯したのだ?』とお問になり、臣等が『盗みを働きました』と答えます。こうすれば晏嬰を辱めることができましょう』


 その通りに楚王が問うた。


『縛られている者は何をしたのだ?』


 官吏は、


『斉人です。盗みを働きました』


 と答えた。


 楚王が晏嬰を見て言った。


『斉人は盗みがお好きのようですな』


 すると晏嬰は席を下りてこう言った。


『橘が淮南で育てば橘となり、淮北で育てば、枳になると申します。両者は葉の形が似ているだけで、実の味は異なります(橘は甘く、枳は苦くて酸っぱい)。なぜそうなるのでしょうか。それは水土が異なるからです。民が斉で育てば、盗賊にならないにも関わらず、楚に入ったら盗賊になるというのは、楚の水土が民に盗みを得意とさせているのではありませんか?』


 楚王は彼の言葉に大いに笑い、


『聖人をからかうべきではないな。私が恥をかいてしまった』


 と言った。


 実に痛快な話しである。そのため孔丘の弟子たちも面白そうに話しを聞いた。中でも大笑いしている男がいるその男の名は子路しろ季路きろという。


 近所の悪童として知られ、礼に外れた行いの多かったこの男を孔丘は何度も叱りつけていた。最初はそんなものを気にしなかった子路であったが、何度も叱られていく内に、孔丘が言う、礼、君子といったことにどんな意味があるのかと問うようになった。


 孔丘はそう問いかけられる度に説明を行った。子路は最初は理解できないでいた。それでも孔丘はわかりやすい言葉で説明を行った。それでも理解できない子路は、


「あんたの言葉の意味がわからない。そんな俺には君子にはなれないな」


 と自嘲するように言うと、孔丘は、


「そんなことは無い。真剣に学問に打ち込み、礼を収めれば、どのような者も君子になれる」


「俺でもか」


「そうだ」


 この孔丘の言葉に胸に打たれた子路はそれ以来、行いを改め孔丘に師事するようになった。


 子路は決して、出来の良い弟子とは言えなかったが、孔丘は何度も同じことを辛抱強く教え続けた。この姿を近所の者たちは見ており、次第に悪童を従わせる孔丘に興味を覚え、そのうち教えを請うようになっていった。


 そのようにして増えた孔丘の弟子の中で頭角を現したのは、顔路がんろ顔回がんかいの父)、冉伯牛ぜんはくぎゅう漆雕開しっちょうかい(本来の名はけいだが、漢の景帝(けいていの諱が啓であったため、開となっている)、曾蒧、閔子騫びんしけんである。


 この場には左丘明さきゅうめいもいる。


 (ここにいる者たちは多種多様だな)


 身分が決して高くないということは共通しているが、それ故に職業において様々と言える。ほとんどのものたちは文字を読むことも書く事もできない者ばかりである。


 (そんな彼らに対し、辛抱強く教え続けている)


 それが孔丘という人物の凄いところであろう。


「すごいですね。皆、あなたの教えを聞くために多くの者たちが来ている」


「ありがたいことだ。私も彼らから多くのことを学ばせてもらっている」


 孔丘は空を見上げる。


「学問の道とはまだまだ遠くまで続いている。私たちはまだその道の始まりに留まっている」


 (純粋な人だと思う)


 左丘明は彼を見ながらそう思う。純粋に自分の理想に燃えて学問をし、その学んだことを多くの者に伝える。そして、彼という人物を通して皆、彼の理想を見ている。


 (そんなことを思うのは自分が純粋ではないということなのだろうか)


 そんなことを思い左丘明は自嘲する。


 孔丘という人は凄い人であることは確かである。されど決して完璧な人ではなく、他の人々と同じように欠点も多い人である。


 そんな彼に現実というものをぶつける最初の人というべき人が今、魯にいることは偶然だろうか。必然だろうか。







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