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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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斉豹

 衛の霊公れいこうの兄・公孟縶こうもうし斉豹せいひょう斉悪せいあくの子)を軽視していたため、司寇の官と鄄邑を彼から奪ったが、斉豹の力が必要になると官や邑を返して利用し、事が終わるとまた官と邑を取り上げるということが繰り返していた。

 

 また、彼は北宮喜ほくきゅうき褚師圃ちょしほも嫌っていたため、二人を除く方法を考えるようになっていた。

 

 同じ頃、公子・ちょうが襄夫人・宣姜せんきょう(霊公の母)と関係を持つようになっていた彼は、そのことが発覚することを恐れて乱を企むようになっていた。

 

 霊公に対する謀反を図る公子・朝は、公孟縶に不満を持つ斉豹、北宮喜、褚師圃と手を結んだ。

 

 かつて斉豹が宗魯そうろを公孟縶の驂乗(兵車に同乗する勇士)として推挙したことがあった。

 

 乱を起こす前に斉豹は彼に、


「公孟の不善は汝も知っているだろう。彼の車に乗るな。我々は彼を殺すつもりである」


 と言った。すると宗魯はこう言った。


「私はあなたのおかげで公孟に仕えることができました。あなたが私には名声があると言って推挙したために、私は公孟から遠ざけられなかったのです。公孟の不善は私も知っております。しかしながら彼に仕えることで利があったため、今まで彼から離れることはありませんでした。これは私の誤りです。もし今回、難を聞き、逃走すれば、あなたの言(宗魯は名声があり立派な人材だということ)を嘘にすることになります。あなたはあなたの事を行ってください。私は彼に従って死にます。あなたのために秘密を守り、公孟の下で死ぬことにします」

 

 その後、霊公が都城を出て平寿(衛の邑)に行くことになり、霊公不在の間に公孟縶が蓋獲の門(外城の門)の外で祭祀を行った。

 

 斉豹はこれを好機と考え、門外に帷幕を張って甲士を隠し、祝鼃に命じて車で門を塞がせた。車の上には薪を積み、その中に戈を隠し、一乗の車を公孟縶の後ろに従わせた。

 

 公孟縶の車は華斉かせいが御し、宗魯が驂乗になった。

 

 公孟縶一行が門まで来ると祝鼃が車で道を塞いでいたため、公孟縶は閎(恐らく正面の門ではなく脇にある小さい門)から出ようとした。


 しかし閎門に入ったその時、斉氏の甲士たちが現れ、戈で公孟縶を撃ちかかった。宗魯は背を向けて公孟縶を守り、腕を斬られ、更に戈は公孟縶の肩に刺さり、二人とも殺された。

 

 乱を知った霊公は慌てて車に乗り、閲門(衛の城門。恐らく乱が起きた場所から離れている門)から国都に入った。慶比けいひが霊公の車を御し、公南楚こうなんそ(公は公子・公孫を意味する)が驂乗となり、華寅かいんが貳車(副車)に乗っている。

 

 公宮に到着した時、鴻駵魋(鴻が氏)も霊公の車に乗った。

 

 霊公は宝物を鉾日出すと車に乗せて公宮を出た。

 

 褚師子申が馬路の衢(十字路)で霊公に合流した。

 

 霊公は斉氏の家の前を通る時、華寅に肉袒(上半身を裸にすること。戦う意志がないことを示す)させ、車蓋(傘)を盾にした。


 しかしそれを見ても斉氏らは霊公に矢を放ち、矢の一本は南楚の背に刺さった。堪らず、霊公は城から逃走した。

 

 追っ手からの時間を稼ぐため華寅は車から降り、郭門(城門)を閉じてから、城壁を越えて霊公に従った。

 

 霊公は死鳥(地名。衛城東。斉に向かう途中地)に入った。それにしてもやけに縁起の悪そうな名前の地である。

 

 城内の析朱鉏も夜の間に竇(城壁に作られた水を流す孔)から抜け出し、歩いて霊公を追いついた。








 

 ちょうどこの頃、斉の景公けいこう公孫青こうそんせい(字は子石しせき頃公けいこうの孫、子夏勝しかしょうの子)を衛に聘問させた。

 

 公孫青は斉を出たところで衛の乱を聞いた。


 聘問を続けるべきか確認を取ると、景公が、


「衛君が境内にいるのであるならば、衛の国君に変わりはないだろう」


 と許可したため、公孫青は死鳥に入って霊公を聘問することにした。しかし霊公は辞退して言った。


「亡人(亡命者)は不才のために社稷を失い、草莽(草叢)の中におります。あなたが君命を行う必要はありません」

 

「我が君は朝廷で私にこうお命じになりました。『執事(政治を行う者。ここでは霊公)に対して腰を低くし、親しく接しなければならない』と、私は君命に背くことができません」

 

「斉君が先君の誼を顧みて我が国に臨み、社稷を鎮撫するのであれば、宗祧(宗廟)があります(聘問は宗廟でなければ受けられません)」

 

 公孫青は正式な聘礼をあきらめた。

 

 その後、霊公は個人的に公孫青に会おうとした。公孫青は会う気はさらさらなかったが、断ることができず、自分の良馬を礼物として霊王に会った。


 霊公はそのことに喜んでその馬を馬車につけた。

 

 公孫青は霊公のために夜の警護をしようとすると、霊公は辞退した。


「亡人の憂をあなたに及ばせることはできません。草莽の中、あなたの従者を煩わせるわけにはいかない」

 

 公孫青は、


「我が君の臣下である私は貴君の牧圉(牛馬を放牧する者)です。もし外の警護ができないとしたら、心中に我が君がいないのと同じであり、我が君に対する裏切りになります。私はその罪を恐れるので、警護することで死罪から逃れさせてください」

 

 公孫青は自ら鐸(大鈴)を持ち、夜を通して衛の兵と共に警護した。

 

 

 



 斉氏の宰(家臣の長)・渠子きょしが北宮喜を家に招いた。しかし北宮氏の宰は、


(こやつらのせいで主は国君を追い出すという大罪を犯すことになってしまった)


 そういう感情もあったため、彼は主である北宮喜のため主に相談せずに渠子を殺し、続けて斉氏にまで攻め込み、これを滅ぼした。


 やけに実行力のある宰である。

 

 この状況により、北宮喜は霊公が衛都に呼び戻すことになった。そもそも自分は公孟縶に恨みはあっても霊公にはないという思いが働いたのである。


 霊公は北宮喜と彭水の辺で盟を結んだ。これによって互いに和を誓い合ったことになる。

 

 七月、霊公が国人と盟を結んだ。

 

 八月、斉氏に協力した公子・朝、褚師圃、子玉霄、子高魴が晋に出奔した中、霊公は母である宣姜を殺した。公子・朝と通じていたためである。

 

 一方、霊公は北宮喜に貞子という諡号を、析朱鉏に成子という諡号を下賜し、斉氏の墓がある土地を二人に分け与えた。


 当時は生前に諡号を決めることもあったのである。

 

 霊公は国内の安定を斉に報告し、あわせて公孫青の行動が礼に則っていたことも伝えた。

 

 景公が酒を諸大夫に与えて言った。


「公族である公孫青に礼があると讃えられたのは、二三子(諸大夫)の教導のおかげである」

 

 しかし大夫・苑何忌が辞退した。


「青に与えられました賞を共有すれば、青に与えられた罰も共有しなければなりません。『康誥(『尚書・康誥』からの引用のようですが、同じ文は見当たらない)』にはこうあります『父子兄弟の間で罪が及ぶことはない』群臣ならなおさらでございます。君賜を貪って先王(成王。『康誥』の作者)の意志に背くことはできません」


 父子兄弟の間で罪が及ぶことがないのであるから、臣下の間でも罪が及ぶことはないものである。それと同じように公孫青に対する称賛は群臣に及ぶこともない。彼への称賛は彼だけのものとするべきなのである。

 

 

 琴張が宗魯の死を知って弔問に行こうとしたが、孔子こうしが止めた。


「斉豹の盗(反逆)と孟縶の賊(被害)は宗魯によってもたらされたものであるのに、汝はなぜ弔問しようとするのか。君子は姦(悪人の俸禄)を食べず、乱を受けず、利を求めながらも、姦邪に侵されることなく、姦邪によって人に接することはなく、不義を隠すことなく、非礼を行わないものである」


 もし、公孟縶が悪人だとすれば、その俸禄を受けていた宗魯は君子ではなく、斉豹の乱を受けて死んだので君子とは言えない。


 また、宗魯は利のために孟公縶から離れることができず反逆した者に殺されたことも同じことであり、宗魯は斉豹が乱を起こすと知っていながらも止めず、孟公縶が不善によって殺されると知っても助けようとしなかった。これは姦邪によって人に接していたことになる。


 宗魯は斉豹が孟縶を殺すとい不義を知っても隠していたのは、彼が孟縶に対して二心を持っていたことにもなる。


 以上のことから彼は君子ではなく、弔問の資格を有していないと孔子は彼を大いに批難したのである。

 

 


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