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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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嵐の前の静けさ

 この年、鄭の子游(しゆう駟偃しえん)が死んだ。

 

 子游は晋の大夫の娘を娶り、彼女との間に絲が産まれていた。しかしまだ幼弱だったため、父兄(父や兄と同世代の親族)は子瑕しか駟乞しきつ)を跡継ぎに立てた。


 子瑕は子上しじょう(駟帯したい)の子であり、子游の弟にあたる。絲から見ると叔父になる。

 

 しかし子産は子瑕を嫌っており、子ではなく弟が継ぐというのも通常の慣習から外れているため、賛同もせず、反対もせず、中立の態度をとった。


 子産のこの沈黙に駟氏側は恐れた。

 

 後日、家を継げなかった絲が晋の大夫(外祖父)に訴えた。彼が訴えたというよりは恐らくその母であろうとも思われる。

 

 冬、晋人が幣物を持って鄭に入り、なぜ駟乞が後継者になったのかを問うた。駟氏は晋を恐れ、駟乞は逃げようとした。しかし、子産が駟乞を留めた。


 駟乞が亀で卜おうとしたが、子産はそれも拒否した。


 鄭の大夫がどう対応するか相談していると、子産が大夫の結論を待たず、晋の客に言った。


「我が国には天の福がないため、我が君の二三臣(諸臣)が病死・夭折し、今また我が先大夫・偃も失ってしまいました。その子は幼弱であるため、父兄は宗主が途絶えることを心配し、私族で相談して年長の親族を立てたのです。この事に対して、我が君と二三老(卿大夫。大臣)は『あるいは天が継承の常法を乱したのかもしれない(嫡子ではなく弟が継ぐというのは天意かもしれない)。我々ではどうすることもできない』と言っております。諺には『動乱が起きている門は通らない』とあります。民でも乱兵があれば恐れてそこを通ろうとしないのですから、天が降した乱ならば、なおさら関わろうとは思わないでしょう。今、大夫あなたは継承の理由をお問になられまいたが、我が君でも知ることができないのにも関わらず、誰が知っているというのでしょうか。平丘の会で貴君(晋君)は旧盟を温めてこう申されました『職責を失ってはならない(それぞれの国が周王から与えられた職責を全うしなければならない。諸侯は独立した国として責任を果たさなければならない)』と、もしも我が君の二三臣が世を去った時、晋の大夫が専制して後継者の位を決めるようならば、鄭は晋の県鄙(辺境の県邑)になったのと同じではありませんか。そのような状態になって国ということができましょうか」

 

 子産は晋の客が贈った幣物を返し、礼を用いて使者を遇した。晋人は干渉をあきらめた。

 

(晋も衰えたか)


 子産は最近の晋の動向を眺めながら、晋に限界が来つつあることを悟った。


 鄭で大水(洪水)があった。

 

 この時、龍が時門(鄭城南門)外の淵で戦ったという情報が入ったため、国人が禜(祭祀)を求めた。しかし子産が拒否した。


「我々が争った時、龍は我々を観ようともしないではないか。龍が争った時、なぜ我々が観なければならない必要があるのか。祭祀を行ったとしても、時門外の淵は元々龍の住処であって、去るはずがない。我々が龍に求めることはなく、龍も我々に求めることはない」

 

 祭祀は行われなかった。






 

 楚が州来に城を築いた。

 

 沈尹・じゅつ(楚の荘王そうおうの孫、または曾孫)が言った。


「楚は失敗するだろう。以前、呉が州来を滅ぼしに来た時、子旗しきが討伐を願ったが、王は『まだ我が民を慰撫していない』と言って拒否された。今もそれは同じことなのに、州来に築城して呉を挑発している。失敗しないはずがない」

 

 侍者が言った。


「王は施舍を行って倦まず、民を五年も休められたではないですか。慰撫したと言えないでしょうか」

 

「民を慰撫するというのは、内では節用し、外には徳を築き、民は生活を楽しみ、寇讎(仇)がなくなることを言うものだ。今、宮室の贅沢は限りなく、民はいつも不安に震え、辛労によって死んでも埋葬されることはなく、寝食の余裕もない。これでは慰撫したとは言えないではないか」

 

 楚の平王へいおうは立派な王の姿を取り繕っているに過ぎないのである。偽善の皮は何重に被ろうとも暴かれるものである。

 

 楚の令尹・子瑕しか蹶由けつゆう(呉王の弟で、楚に捕まった人物)のために平王に言った。


「彼に何の罪があるのでしょうか。諺に『家の中で怒って市で鬱憤を晴らす』とありますが、まさに今の楚のことを申しているのです。今までの怨みを棄てるべきです」


 憎んでいるのは呉王にも関わらず、その弟を捕えたままにしているのはどうなのかということである。

 

 蹶由は釈放された。


 子瑕は最近、病にかかり、調子を崩していた。もしかすれば、彼は呉と和睦の道を探っており、そのために蹶由の釈放を求めていたのかもしれない


 だが、彼のその努力は様々な人物の悪意と一人の男の怒りによって、報われることはなかった。


 楚に悲しくも愚かな事件が起きようとしていた。




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