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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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423/557

変動し始める時代

春秋時代もあと三分の一ぐらいです。

 紀元前523年


 春、楚の工尹・せきが陰地の戎を下陰に遷し、令尹・子瑕しかが郟に築城した。

 

 これを知った魯の叔孫婼しゅくそんしゃくが言った。


「楚の志は諸侯になく、自分を守って代々伝えることだけだ」

 

 彼は彼らの行いは結局は国や自分たちを守るためだけの措置でしかないと言ったのである。


 そんな楚に、大きな嵐が巻き起ころうとしていた。

 

 蔡の邑である郹陽の封人(国境を管理する官)の娘と楚の平王へいおうとの間に息子が生まれた。これを太子・けんという。

 

 平王は即位すると伍奢ごしゃ伍挙ごきょの子)を太子の師に、費無極ひむきょくを少師に任命した。しかし費無極は太子に好かれることはなかった。太子・建が彼の悪徳さを憎んだというよりは、個人的に好まなかったというべきで、それが表情や態度で出たのであろう。


 他者を蹴落として来た費無極にとってはそれは憎々しいことこの上ない。そのため彼は太子・建への讒言の機会を探した。

 

 ある日、費無極が平王に言った。


「太子は室(妻)を迎えるべきです」

 

 平王は同意して秦から妻を迎えることにした。その際、費無極を秦に派遣した。晋に至った費無極は、秦女よりも先に帰国すると平王に、


「秦女は大変、美しい方です。王が娶るべきです。太子には別の女性を求めれば良いではありませんか」


 と秦女の美貌を語り、平王自ら娶るように勧めた。美女に目がない平王は同意した。

 

 正月、秦女・嬴氏えいしが楚に入り、平王夫人になり、彼女との間に熊珍(ゆうちんが産まれることになる。


 太子は別の女性を娶った。その際の太子・建は悔しそうであった。費無極としてはざまあみろと言いたかったが、口には出さなかった。


(まだまだ苦しんでもらわねばならん)


 平王は秦女・嬴氏を寵愛し、太子・建は次第に遠ざけられるようになった。






 前年、鄅が邾に占拠された。

 

 鄅君の夫人は宋の向戌しょうじゅつの娘であったことから、鄅は向戌の子・向寧しょうねい(夫人の兄弟)に出兵を請うた。

 

 二月、宋の元公げんこうが邾を討伐して蟲(邾の邑)を包囲した。

 

 三月、宋が蟲を占領した。

 

 たまらず、邾は鄅から奪った捕虜を全て釈放した。

 

 五月、許の悼公とうこうが瘧(伝染病)にかかった。そんな父を心配し、太子・が薬を飲ませると、悼公は死んでしまった。恐れた太子は晋に出奔した。

 

 君子(知識人)たちはこの出来事についてこう言った。


「心力を尽くして国君に仕えたのであれば、薬を飲ませなくても問題ない」


 薬を飲ませなくても不孝の謗りを受けることはないのだから軽率に薬を飲ませた太子・止を非難したのである。

 

 特に孔子こうしは太子は悼公を弑したと大いに批難を行っている。

 

 許では公子・きん(悼公の子)が即位した。

 

 宋の邾討伐が終了し、邾人、郳人、徐人が宋の元公と会見した。彼らは蟲で盟を結んだ。

 

 楚の平王が舟師を動員して濮(南夷の地)を攻撃した。


 費無極が平王に進言した。


「晋が伯(覇者)になりましたのは、諸夏(中原諸国)が近かったからです。楚は辟陋(辺鄙な地)にいるので、晋と諸侯を争うことができません。城父に大城を築き、太子を置いて北方と通じさせ、王が南方を収めれば、天下を得ることができましょう」

 

 平王は喜んで進言に従い、太子・建を城父に住ませた。これにより、太子・建は楚の中枢から遠ざかり孤立したことになる。

 

 費無極の悪意は留まるところを知らなかった。

 

 秋、斉の高発こうはつが莒を攻めた。莒の共公きょうこうは紀鄣(莒の邑。「紀」ともいう)に奔った。

 

 斉は孫書そんしょ陳無宇ちんむう)の子・子占しせん)に紀鄣へ軍の派遣を命じた。これは彼の兄である田乞(でんきつのごり押しによるものである。


「良いか書よ。我が家のためにも勝て」


 だが、彼は勝利だけを望んではいない。高発は戦によって勝利は得たものの共公を取り逃がした一方、ここで孫書が共公を得れば、田家の権威は更に高まることになるだろう。


「勝利を得るということは簡単なことではありませんし、ただ勝てと申されてもですな」


「何を言っているか。兵数では相手よりも上ではないか。負ける要素なんぞ無いのだぞ」


(やれやれ困った兄上だ)


 そう思う孫書に一人の青年が問いかけた。


「何故、大叔父上にあのようなことを申されたのですか?」


 この青年は孫書の次女の婿に当たる男である。


「勝利という形は命ずる側と実行する側がしっかりと共有を行えれば、勝利は価値を持ち、勝利も得やすくなる。兄上は自身が優秀過ぎるから、それを理解なさっていない」


(兄上は何でも一人でできる人だ。だから人への説明を疎かにする)


「勝利というものは何種類もある」


「そうなのですか」


「価値のある勝利もあれば、無価値の勝利もある。勝利というものを勝利という言葉で本来は一括りにしてはならない」


(だが、ここでの勝利にどこまで価値があるのだ。兄上)


 孫書はそう思いながら出陣した。

 

 以前、莒の共公が一人の男を殺したことがあった。その妻は嫠婦(寡婦)になり、そのまま時が過ぎていった。

 

 そんな婦人は紀鄣に移り住むようになると毎日、縄を編むようになり、城壁の高さほどある長い縄を作り、それを隠していた。

 

 斉軍が紀鄣に至ると、婦人は城壁から縄を落とすと同時に孫書に人を送り、夜になったら城壁を登るように伝えた。


「お信じになりますか」


 臣下たちは信用できないと孫書に言ったものの、彼は、


「楽で良いではないか」


 と欠伸をしながら、孫書は同意した旨を婦人に伝えた。

 

 夜、婦人の言葉通り、縄が城壁から垂れていた。


「縄があります」


「じゃあ登ろう」


 こうして六十人の斉兵が城壁を登ったのだが、その瞬間、縄が切れてしまった。


「どうなさいますか」


 青年は流石に六十人だけで、城を落とせるとは思えない。


「人を殺すのに三人いれば、十分である。六十人いれば、良いではないか」


「無茶です」


 青年は義父にそう言ったが、孫書は自信を持って言った。


「無茶であると思うところに虚が生まれる。それに我々も城を落とすのに、何もしないわけではないぞ」


 孫書はそう言うと、戦鼓を全軍に用意するように指示を出した。


「声は時として一軍に勝る。声を上げよ、戦鼓を思いっきり叩けぇ」


 城下の斉軍は一斉に喚声を上げて戦鼓を叩いた。更にそれに合わせるように城壁に登った六十人も喚声を上げた。

 

 突然、地から湧いたような声に共公は驚き恐れて、西門を開いて逃走してしまった。しかし、孫書は追いかけようとはしなかった。


「追いかけないのですか?」


「一兵も仕損じることなくこの地を手に入れたのだ。良しとしようではないか」

 

 七月、孫書率いる斉軍は紀鄣に入った。


「見事な勝利です」


 青年は義父を称えた。


「いやいや、勝利における条件がある程度、整っていたからね」


「勝利の条件とは?」


「一つは、あの城にいたものたちの心が統一されていなかったこと、莒君は評判も悪く、先の戦での敗者でもある。その彼を擁していることの不安が城にくすぶっていた。二つ目に我々に縄を垂らしてくれたご婦人の存在、内に我々に協力する者が城内にいたことは幸運なことだった。まあ、それも莒君の不徳故だがね」


「なるほど、あの城には人の和に欠け、我々は天の時を得たというべきでしょうか。それによって、敵はせっかくの地の利も活かすことはできなかった」


「良い例えだね」


 孫書は目を細めた。青年の言葉は自分の行ったことを的確にかつ、明確に言葉にして説明してみせたのである。


 自分の婿でもある青年に眩しいほどの光を放ちそうな輝きを微かに感じた瞬間であった。






 

「手を抜きおったなぁ」


 田乞は孫書を責めた。


「勝利しましたでしょうに手を抜いたとは失礼ではありませんかな」


「お前というやつは……もう良い。汝に期待したのが馬鹿であった。この愚弟めが」


 孫書は肩をすくませながら彼の元から退いた。


「どうして大叔父上はあれほどお怒りになったのでしょうか?」


「勝利に対する共有を行えなかったための見解の不一致さ」


 孫書は兄に対してやれやれと思いながら、青年にいう。


「兄が望んだ勝利の形と、私の作った勝利の形は違っていた。そのことが兄のお怒りを被ってしまったのだよ」


「それでも大叔父上は勝利せよと仰せになられました。それでもこの勝利に価値が無いと言うのでしょうか」


 勝利したことには変わらないではないか。


「兄が望んだ勝利は高発殿の得た勝利よりも上の勝利だった」


「しかし、義父殿の勝利は一兵も仕損じることの無い見事な勝利ではありませんか。それなのに高発殿の勝利よりも下というのですか?」


 兵を失う戦をしたであろう高発よりも兵を仕損じなかった戦をした孫書が下とは思えない。もし上がいるとしたら、彼の兵を一兵も仕損じることなく撤退戦まで行ったという士会しかいぐらいしかいないではないか。


「兄上の望んだ以外の勝利は兄上にとっては勝ちはないのだよ。それだけのことさ」


「しかし」


「まあ、良い。これでしばらくは兄上にこき使われなくて済む」


 こう言うものの孫書は兄・田乞の望んだ勝利を理解していなかったわけではない。やろうと思えば、できる勝利の形でもあった。しかし、それによって田家の勢力が大きくなっても苦しい状況になると彼は考えていた。


晏嬰あんえいの爺様がいる)


 あの人がいる限り、下手をすると潰しにかかられるかもしれない。


 かつて父・陳無宇に聞いたことだが、晏嬰が兄に対し、『口はしっかりと絞めねばならない』と言ったことがあるという。


 これはかつての田氏、鮑氏と欒氏、高氏の戦闘を行われた後の言葉である。これは田乞が裏で糸を引いて、対立煽ったことでの戦闘であった。


(あの時、兄上は独断でしかも自ら自分の計画を進めていた。しかし、そうは言っても人を使ってはいる)


 されど、田乞は人を使っても彼らに自分の考えはほとんど明かしていない。そして使うと言っても欒氏、高氏の当主がどのようなものが好みかと言ったようなことを聞いたり、好みのものを知れば、その好みのものを他の者に用意させるなど、謀略を行う上で必要なものは細かく分担させていた。


 そのため一人として自分の行ったことが田乞の謀略のためと気づいている者はいなかった。


(兄上は人をお信じになられていない)


 田乞は他者を信じず、他者との計画という名の秘密の共有を行わなかったのである。


(身内にさえな)


 秘密の共有による暴露を田乞は恐れたと見るべきだが、その秘密の共有によって互いの団結が行われるというのも事実である。


 その団結がないために自分が頼まれたことを聞かれたことに対し、答えやすい状況でもあった。


 田乞のことだから直接、会うということもなかったであろうが、それでも答えなくとも良いと思えるほどの強制力を与えることができていないことで、答える者はいるはずである。しかも答えても何の問題も無いと答えた者たちは思うだろう。


 何せ、自分が謀略に関わったとは思っていないのだから。


 それに目を付け、調べ上げた晏嬰の目線には敬意を示すべきであり、それに気づき自分の進退を引き換えに庇った父・陳無宇の田乞への愛情を思うべきである。


(晏嬰の爺様がいる間は何もしないに限る)


 孫書としてはそう考えていた。


「しかし、残念なことです。義父殿の勝利は戦の法則を見出すような戦であったというのに」


「法則とは、面白いことを言うな」


 青年の言葉に孫書は笑みを浮かべつつ、青年の才覚の底しれなさに驚いてもいた。


「私のは、それほど大層なものではない」


 戦に法則など、本当にあるとは彼は思わない。これはこの時代の戦においては卜いを用いて、戦を行うことが多いのもその所以でもある。


「だが、もしそのような法則を文章化、言語化出来た時、それは一国を滅ぼすことよりも、遥かに大きな事業であろうなあ」


 その時、青年の目が大きく輝いたような気がした。


(それを果たす男が目の前にいるのかも知れない)


 孫書は婿である青年を見ながら目を細めた。


 青年の名は孫武そんぶ、史上最も有名な兵法書である『孫子の兵法』の書いた人物である。


 春秋時代も後期に入り、時代は大きな変動期を迎えようとしていた。



 

 

 

 


孫書がやけに個性を持った人物になりました。

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