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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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輝きを拾い、伝える者

バンジージャンプする気持ちで投稿

 楚軍は昨年から徐を包囲していたが、楚都での混乱もあり、撤退を開始した。

 

 その隙を突いて、呉が豫章で楚軍を破り、五帥(前年出征した蕩侯とうこう潘子はんし司馬督しばとく、囂尹・、陵尹・)を捕えた。

 

 楚の平王へいおうは二人の王を殺して即位し、更にこの敗戦もあったため国人や諸侯の非難を恐れた。そこで、協力した者には財物を与え、民に施しを行い、寛大な政治を心がけ、罪人を赦し、免官された賢才を登用した。

 

 また、陳と蔡を再建し、かつての邑を復旧させた。

 

 更に平王は観従かんじゅうを召した。


「汝が欲することなら何でも叶えよう」

 

 すると観従は、


「私の先祖は卜師の佐(助手)でございました」

 

 平王は観従を卜尹(卜師。大夫の官)に任命した。

 

 平王が枝如子躬(枝如が姓)を鄭に送って聘問させた。


 彼を通じて平王は鄭に犨と櫟の地(どちらも元は鄭の地ですが、楚が占有していた)を返還して、鄭の支持を得ようとしたのである。

 

 しかし枝如子躬は鄭で聘問を終えても領地返還について話すことはなかった。


 鄭人が言った。


「道々で『我が君に犨と櫟の地が返還される』という噂が流れているようです。どうか命(返還の君命)をお与えください」

 

 枝如子躬が偽って言った。


「私はそのような命を聞いたことがございません」

 

 帰国後、平王が犨と櫟について問うと、枝如子躬は上服を脱ぎ、


「私は君命を誤りました。返還の約束はしておりません」

 

 枝如子躬は国のために敢えて詭弁を弄し、しかも平王が批難されないようにするため、自分に罪があると言って謝罪したのである。また、上服を脱ぐというのは大きな屈辱を受ける意味を持つ。


 平王は子躬の忠心を理解し、子躬の手をとって言った。


「汝に罪はない。今後、私に事があれば、また汝を用いよう(使者として任務を授けよう)」








「どうか、どうかお願いします」


 父の懇願の声が聞こえる。


「これは最早、どうにもなりません」


 医者は父の願いに対し、悔しそうにしつつもそう言った。その声には優しさがある。悪い医者ではないようである。その方がそう言うのであれば、そうなのだろう。


「息子はまだ、若いのですぞ。それであると言うのに……」


 父はなおも懇願する。


「父上、もう良いのです。それ以上、困らせてはいけません」


 私は父の声の方に身体を向きつつ、言った。


「だがなめい


「これも天命でございましょう。先生此度は診ていただきありがとうございます」


 父である左丘信さきゅうしんを宥めつつ、左丘明さきゅうめいは医者が声を発したと思われる方に頭を下げる。


「力になれず、申し訳ありません」


「いえいえ、十分力になっていただきました」


 医者が家を出ると父は何故、こうなってしまったのかと悔いる。


「何故、何故、お前がこんなにも辛い目に遭わねばならぬのか」


 そんな父の姿を見ることができない。それはある意味では、幸せなことなのだろうか。それとも辛いことなのか。


 そう左丘明の目は見えなくなっていた。


 そのことへの嘆き、悲しみは自分よりも父の方が大きかった。


「父上、私は大丈夫です。家の中でありますれば、どこに何があるのかもわかりますし、文字もしっかりと書く事ができます。記憶力には自身がありますからね」


 そう言って、父を慰めようとするのだが、父は自分を責めてばかりで、父の悲しみを癒すことはできないでした。


(確かに目は見えなくなった。それも天命である。仕方ないことだ)


 彼はそう考えている。


 それでも父は嘆き、悲しんだ。そして、その悲しみを癒すためか酒を多く飲むようになっていった。


 そんなある日、父が泥酔していると、


「申し訳ありません。崔杼さいちょ様……」


 と寝言のように言った。


(父は崔杼に仕えていたのか)


 崔杼と言えば、斉で国君を殺したという大悪人である。しかし、それが何だというのか。父がどれほど優しい人であるかは自分が知っている。だが、


(何故、父は崔杼に謝っているのか……)


 そこまで考え、彼は見えない自分の手を見た。


(まさかな……)


 ふと、思い浮かんだ考え、しかしどこか()に落ちるものを感じた。


(それでも私は左丘明だ)


 そうして生きてきた。これからもそう生きていくだろう。その事実こそが真実であり、真理だ。


(それで良い。それで良いのだ)









 翌日、左丘信は慌てていた。そして、隣家の孔丘こうきゅうの家に駆け込んだ。


「息子を見なかったか?」


「見ておりませんが、どうなさったのですか?」


 孔丘は慌てている彼を落ち着かせるような口調をしながら言うが、


「息子が、息子が家にいないのだ。目が見えないのにだ」


「落ち着いてください」


 それでも左丘信の動揺は大きかった。


「取り敢えず、町を探してみましょう。私は探しますから」


「ああ」


 二人は町で左丘明を探し始めた。


 その頃、左丘明は杖で、地面を叩きながら歩いていた。


(思ったよりも難しいものだ)


 杖で地面を叩きながら歩いても石などを踏んで、転びそうになったり、人とぶつかりそうになることもしばしばあった。


「おっと、申し訳ない」


 その時、一人の男とぶつかった。


「おや、目が見えぬのか。相はおらんのか?」


 相とは盲目の人を助ける役割の人物である。盲目の人がなることの多い楽官には大抵、そう言う人が付いている。


(声がまるで雲のようにふわふわしているような人だな)


 そう思いながら左丘明は、


「いえ、私の家は貧しいため、そういった方はいないのです」


「ふむ、そうか。ならば、何故このようなところで歩いておるのか?」


「歩くことに理由は必要でしょうか?」


 説明してもわかってはもらえない。そう左丘明は思った。


「確かに歩くことに理由は無いか……ならば、何故、人は歩くのだろうか」


 そんなことを男は言い始めた。


「何故と言われましても」


 急な質問に左丘明は混乱する。


「取り敢えず、あそこにでも座って、答えを聞かせておくれ」


 そう言うと男は彼の手を引っ張り、近くの屋台らしきところに一緒に座った。


「何故、歩くのだろうか。それも人だけではない。犬や猫もだ」


「足があるからではないでしょうか?」


 左丘明はそう言った。


「足があるから歩く。確かにその通りかも知れない。ならば、蛇はどうだ。彼らには足は無い。されど彼らは進むことができる。足がないのにだ。君は足があるから歩くと言った。しかし、蛇には足が無い」


 確かに蛇は足は無いが進むことができる。もし足があることが歩く条件ならば、歩いていないということになる。


「しかしながら人は蛇が進むことを這って進むと言うことがある。もし進むことが歩くことと同じことであるのであれば、足が歩くことにおける最大の条件と仮定した場合、這って進むことは歩くということにはならないはずだ。しかし。人は這って進むと説明をしつつ人が歩くことと同義している」


 男がそういうのを聞きながら、彼は、


(何を言っているのだろうか)


 と頭は混乱していた。


「言葉というのは、便利なもののようであるが、その実、不便なものだ。人はこの世にあるものを説明するために言葉と文字を生み出した。しかしながらこの世にあるもの全てを言葉も文字も説明し尽くそうとしていながらも実は説明などはできていない。もしかすれば、この世を説明することは言葉や文字だけでは不可能ということなのかもしれない。それでも人は言葉や文字を離そうとはしない」


 男はそれは何故かいと左丘明に訪ねた。多くの者はわからないと答えるような質問である。彼とて男の質問はわからなかった。それでも彼は考えた。何故かこの男の言葉に答えるべきだと思ったからである。


「もしかしたら人は誰かに理解してもらいたい。共感したいと思うからこそ、文字や言葉を使うのではないのではないでしょうか」


 男はにやりと笑った。何故か、見えない目にはそう映った。


「それが君の言葉だね。やっと君自身の言葉を聞くことができた」


 男は笑う。


「君の言葉を借りれば、言葉や文字を人が離さないのは、そういうことかもしれない。人や犬が進むことを歩くと説明し、蛇は這って進む説明する。しかしながらそれは同じ前に移動するという行為の説明であるはずだ。しかし、表現が違うのは何故か。それは表現を変えることで、他者への理解を深めるためなのかもしれないね」


 男は左丘明の言葉を聞いて、先ほど自分がした疑問への答えを言って見せている。もし、これが左丘明の答え方が違った場合、男は同じような言葉を言うだろうか。それは否であろう。


「同じ進むという意味を違った表現を使う。それはつまり、同じ意味であろうとも別の表現を使うことができるという証明である。歩くということは足が無ければならないということは当てはまらないのではないか。敢えて言えば、足がなくとも歩ける。手がなくとも触ることはできる。目が見えずとも見ることができるということだ」


 左丘明は自分の見えない目を男に覗かれる気分を覚えた。


「君は自分が目が見えなくとも歩いていることを説明をしなかった。それは理解はされないと考えたからだ。同時に君は理解されたいと思っている。共感して欲しいと思っている。その相手は私ではないことはわかっている。それは別の誰かだろう。しかし、私は君が思っていることを知りたいと思っている。それを聞いてみたいと思っている。どうか君の言葉を聞かせて欲しい」


 男の言葉を聞き、左丘明は俯き、そして、話し始めた。


「目が見えないことは悲しいことなのでしょうか?」


「目が見えないということは世の中の余計なものを見えずに済むということではないか」


 男は即答した。


「それでも悲しむ人がいます」


「そうだろうね。見えていた者が見えない。見えている人たちの風景を見ることができない。それは大いなる孤独となりえるかもしれないからね」


 左丘明は顔を上げ、言う。


「でも、私は悲しくありません」


「それは何故だい?」


「私は、目が見えないことで、辛いと思わないからです。目が見えずとも教えてもらえば、どこに何があるかを知ることができます。父が学ばしてくれたおかげで、文字を書くことは見なくともできます」


「それには人の助けがなければならない」


「人は助けあって、生きるものです。助けがあらねばならないことを恥だとは思いません」


「皆が助けてくれるわけではないよ」


「悪い人がいる。ずるい人がいる。でも、良い人は必ずいる。それは人の長い歴史が証明しています」


「歴史がかい」


「はい」


 左丘明は目を輝かす。


「歴史は多くのことを教えてくれます。私は多くの歴史上の賢者から教わっています」


 彼は言う。


「国のために私情を殺してでも信念を貫いた人がいました。地位や立場が変わっても友のことを考えた人がいました。老年になろうとも努力し続けて、高い地位に登った人もいました。人を信じ続けて、困難を乗り越えた人もいました。例え、天に認められずとも尽くした人がいました。どんなに苦しくとも生きて、努力した人がいました。汚名を背負いながらも、国のために努力した人がいました。人の思いを背負い、奮闘した人がいました。妥協を許さず、堂々と天下に力を示した人もいました。一度受けた恩義を全身全霊をもって、返した人もいました。どんな強敵であろうとも一歩も引かず、正義を貫いた人がいました。たくさんの人々が歴史の彩り、これからも彩っていくことでしょう。私は彼らが羨ましい。近づきたいと思っています」


 左丘明は一旦、息を吐き、続ける。


「だからこそ、彼らに恥じない生き方をしたい。目が見えないそんな逆境を乗り越えたい。それだけです。その証明のために一人で街中を歩いていたのです。こんなことで証明できるのかと思いながらですけど」


 彼は頭をかく。


「良いではないか。それだけでも君は行動している。歩み続けようとしている。人は歩み続ける生き物だ。何を恥じる必要があるというのか」


 男はそう彼を称えた。


「ありがとうございます」


 彼は嬉しかった。今の自分は恥じられる立場でもなければ、悲しまれるような人間ではない。


「君は自分が歴史上の者たちに及ばないと言った。しかし、そんな彼らの輝きを伝えていくのは君かもしれない」


「どういう意味ですか」


「君は多くの輝きを拾い、伝えることができるだろう。人が言葉と文字を持って、世界を説明しようとした。君はそれらを駆使して、この時代の者たちのことを伝えていくのだろう。それが君が受けた天命なのだろうな」


「天命……」


 その時、遠くから声が聞こえた。


「明」


 父の声であった。


「こんなところにいたのか。心配したのだぞ」


「申し訳ありません」


 左丘明は頭を下げる。


「そうだよ。一人では大変ではないか」


「孔丘殿も探してくれたのか」


「友人なのだから当然であろう」


「明、どうして」


 左丘信がそう言おうとすると左丘明は、


「父上、私は目が見えないことが悲しくも辛くもないのです」


「明……」


「私は大丈夫です。しっかりと生きることができます。だから心配しないでください」


「馬鹿を申すな。心配をするのが、親の特権であろうが」


 左丘信は涙を流す。同時に左丘明が強い子に育ったことを実感した。


「それでも良かった」


 彼は左丘明に抱きついた。そこから父としての愛を感じた。


「ありがとうございます。父上」


 左丘明はぎゅっと父を抱きしめた。


「あっそうだ。今、隣の人と話していたのですよ。紹介しますね」


「明、君の隣に誰もいないよ」


 孔丘に指摘され、彼は驚く、確かに隣には誰かがいたはずなのだ。


(夢、そんなはずは……)


 しかし、既に彼の隣には誰もいなかった。










「どこに行かれていたのですか。先生」


 一人の男が先ほどまで左丘明と話していた男を先生と呼びながら訪ねた。


「うん、いや何、面白そうな子がいてな」


「そうでしたか。でも連れてこなかったのですね」


「ああ、たんよ。あの者はな人の中でこそ輝くものだ。こちら側の者ではない」


「そうですか」


 聃と呼ばれた男は頷いた。この男は、姓をまたはろう、名は、または重耳ちょうじ、字は聃または、伯陽はくようといい、後世の者には老子ろうしと呼ぶ方が馴染み深いと思われる。


 但し、老子と呼ばれる者は複数おり、この人物と孔子の時代から百年後の人物としての老子や太史・せんという人物も老子と言われている、または楚の隠者に老萊子ろうらいし)という隠者がおり、彼が老子ではないかという説もある。


 そのため正確に誰が道教の祖である老子かは不明である。


 そして、左丘明と会話し、老子に先生と呼ばれた男は常摐という人物である。老子の師匠として名を残した男である。


「あの者の目にどれほど多くの者の輝きを拾われるのだろうな。そして、その輝きを持って、どれほど多くの者を輝かすのだろうか」


 常摐は笑う。


「のう、天よ」





 


 


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