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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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知識と言葉の刃

蛇足も更新しました。内容はやっと外伝らしい内容で褒姒です。

 楚の霊王れいおうが州来で狩りを行い、潁尾(潁水が淮水に入る場所)に駐軍した。そこで大夫の蕩侯とうこう潘子はんし司馬督しばとく、囂尹・、陵尹・に命じて徐を包囲させた。


 徐の国君の母は呉人であるため呉に圧力をかける意味を持つ侵攻であった。 霊王は乾谿に入って後援になった。

 

 その駐屯中に雪が降ってきたため、霊王は皮冠、秦復陶(秦が贈った禽獣の皮衣)、翠被(翠鳥の羽で作った肩掛け)、豹舄(豹皮の履物)を身に着けてから鞭を手にした。傍には太僕・析父きほが従う。

 

 夕方、右尹・子革しかく鄭丹ていたん)が霊王に会いに来た。


 霊王は冠と被をはずし、鞭を置いて(大臣に対する敬意を表す)、子革と話をした。霊王が問うた。


「昔、我が先王の熊繹(最初に楚に封じられた国君)は呂伋りょきゅう(斉君。太公・呂尚りょしょうの子)、王孫牟おうそんぼう(衛君。康叔・封の子)、燮父しょうほ(晋君。唐叔・虞の子)、禽父きんほ(魯君。伯禽。周公・旦の子)と共に周の康王こうおうに仕えたが、四国には分(珍宝の器)が贈られたにも関わらず、我が国には贈られなかった。今、私は周に人を送って鼎を賞賜として要求しようと思うが、王(周の景王けいおう)は私に譲るだろうか?」

 

 子革が答えた。


「周は王に譲ることでしょう。昔、我が先王の熊繹は荊山の僻地に住み、篳路・藍縷(粗末な車と衣服)で土地を開き、山林を越えて天子に仕えておりましたが、桃弧(桃の木の弓)と棘矢を貢納することしかできませんでした。これに対し、斉は王舅(母の兄弟。周の成王(せいおうの母は太公・呂尚の娘)で、晋・魯・衛は王の同母弟でございました。だから楚には分がなく、彼等にはあったのです。今は周も四国も王に仕えており、その命に従っております。鼎を惜しむことはないでしょう」

 

 続いて、霊王が問うた。


「昔、我が皇祖伯父・昆吾(楚の遠祖・季連の兄)は旧許の地に住んでおられたが、今は鄭がその田(地)で利を得ている(許は葉の地に遷り、更に夷の地に遷った。許の故地は鄭の支配下にある)。我々が求めたら譲るであろうか?」

 

「王に譲るでしょう。周が鼎を惜しむことがないのですから、鄭が田を惜しむはずがございません」

 

「昔、諸侯は我が国が遠かったため、晋を畏れていた。今、我々は陳、蔡と二つの不羹に城を築き、それぞれの地で千乗の兵車を擁しており、汝が功労を立てた。諸侯は我が国を畏れているだろうか?」

 

「王を畏れています。この四国(陳、蔡と二つの不羹)だけでも人を畏れさせるには充分にも関わらず、更に楚全土の力を擁しておられるのです。諸侯が王を畏れないはずがありません」

 

 この時、工尹・が来て霊王に言った。


「王は圭玉を削って鏚柲(斧の柄)の装飾にするようにお命じになられました。準備ができたましたので、指示を出してください」

 

 霊王は装飾の指示を出すため、退席して工尹・路について行った。

 

 すると析父が子革に近づき、言った。


「あなたは楚の望と呼ぶべき方です。しかし先ほどは王が話すことに応じるだけでした。これで国をどうするつもりでしょうか」


 ここまで霊王は彼に対して言った言葉はどれも自分の徳に関してのことではなく皆、自分の力についてのことしか言っていない。とてもではないが、王としての言葉ではない。


 王を補佐すべき者として、それについて子革は意見を述べずにいる。しかし、子革はこう答えた。


「刃を磨いて待っているのです。王が戻られたら、私の刃で斬ってみせましょう」


 子革の言う刃とは知識と言葉のことである。彼は霊王の悪徳を斬る機会を待っていると言いたいのだ。諫言は言うだけならば、誰にもできる。しかし、その諫言によって相手が改めることがなければ、意味が無い。


 諫言を行う上では、意味あるものであることと同時にタイミングが重要なのである。

 

 暫くすると、霊王が戻って再び会話を始めた。

 

 その時、左史・倚相が小走りで通りすぎたため、霊王が子革に言った。


「彼は良史(優れた史官)と言える。汝は彼を厚遇した方が良いぞ。彼は『三墳』『五典』『八索』『九丘』(全て古書の名)に通じている」

 

 子革は今こそ、諫言を行う良い機会であると思い、言った。


「以前、私は彼と周の穆王ぼくおうの話をしました。穆王は私心のままに天下を巡り、あらゆる場所に車轍馬跡を残そうとされましたが、祭公・謀父ぼうほが『祈招』の詩を作って穆王を諫めました。そのおかげで穆王は祗宮で寿命を終えることができたのです。そこで私はこの詩について彼に問いましたが、彼は知りませんでした。これよりも遠いことであるのであれば、なおさら彼は知らないでしょう」


 霊王は左史・倚相を見識のある良吏であると言ったが、子革は倚相には見識があまり無いと批難した。

 

 その批難よりも霊王は、


「ならば汝はその詩を知っているのか?」


 と聞いた。彼は話しの中で出てきた『祈招』に興味を覚えた。子革の狙い通りと言える。自分の言葉に興味を覚えてもらうことも諫言を行う上で大切なことである。


「知っています。その詩にはこうあります『祈招(祈父官・しょう)のこと、祈父は司馬と同義)は穏和で徳音を表し、我が王の風度を想いやるは、まるで玉や金のようだ。民のために尽力し、酒色に溺れる心はない』」

 

 霊王は子革の言葉に深く感じ入り、揖礼して部屋に入ると、食事も睡眠も少なくなったと言う。正に知識と言葉の刃で見事に切り裂いたと言うべきだろうか。


 しかし、どれほど素晴らしい諫言であってもそれを受け入れる度量が相手に無ければならないものである。数日後には霊王は自らを律することができなくなり、ついに禍を招くことになるのである。

 

 

 




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