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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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師曠

七月、魯の季孫意如(きそんいじょ)(または「隠如」)、叔弓(しゅくきゅう)(季孫意如の佐)と仲孫貜(ちゅうそんかく)が莒を攻撃し、郠を取った。


凱旋した季孫意如は太廟に捕虜を献上し、始めて人を犠牲に使って亳社(殷社ともいいます。亡国の戒めとして、諸侯が国を建てる時に造る社です)を祀った。


斉に亡命していた臧孫紇(ぞうそんこつ)がこれを聞いて言った。


「周公(魯の祖)は魯の祭祀を受けなくなるだろう。周公は義がある祭祀ならば受けるが、今の魯に義はない(人を殺して祭祀を行ったから)。『詩(小雅・鹿鳴)』にはこうある『徳教が明らかならば、民は軽率にならず、義を重んじるだろう』人を殺して祭祀を行うとは佻(軽率。短慮)も甚だしいことだ。敢えてこのようなことをすれば、誰が福をもたらすというのだろうか」







かつて晋の平公(へいこう)が西河で遊び、こう言った。


「どうすれば賢士を得てこの楽しみを共にできるだろうか」


それを聞いた船人・盍胥(または「固桑」)が跪いて言った。


「国君は士(人材)を愛しておりません。珠玉は江海で産出され、玉石は崑山で採れます。これらの宝物は足が無いにも関わらず、国君の下に集まっています。それは国君がこれらを好んでいるからでしょう。ところが、士には足があるのに集まりません。それは国君が優れた士を好まないためです。士が集まらないことを憂いる必要はありません」


ムッとした平公は、


「私の食客は門左に千人、門右に千人を数え、朝食も足らないほどである。夕方になって市賦(市の税)を集めても、夕食も不足しているのだ。なぜ私が士を愛していないというのか?」


盍胥はこれに対し、こう答えた。


「鴻鵠は一挙して千里を飛びますが、六翮(大きな両翼)に頼っております。背上の毛も腹下の毳(毛)も、増えたところで更に高く飛べるわけではなく、減ったところで飛べなくなるわけではないのです。今、国君の食客は門左と門右に各千人おりますが、その中に六翮と呼べる者はいるでしょうか。全て背上の毛、腹下の毳の類ではありませんか?」


平公の元にいる臣下たちは玉石混淆とはいえ、優れた人もいるが、平公は優れた人物たちを扱えていないのである。


また、ある時、宝物を保管する楼台で火災があった。それを知った士大夫が車に乗り、馬を駆けさせて消火に励み、三日三晩経ってやっと火を消すことができた。


すると公子・(あん)が束帛(五匹の帛)を持って祝賀し、


「とても善い事が起きました」


と言った。これに平公が怒った。


「秘蔵の珠玉は国の重宝であるにも関わらず、天が火災をもたらした。士大夫は車を走らせ馬を駆けて消火したのに、汝だけは束帛を持って祝賀に来た。これはなぜだ。正当な理由があれば生かしてやろう。それがなければ殺すことになるぞ」


公子・晏が言った。


「理由はあります。私はこう聞いています。王者は天下に藏し、諸侯は百姓(民)に藏し、農夫は囷庾(食糧庫)に藏し、商賈(商人)は篋匱(箱・箪笥)に藏す。今、百姓は宮外で窮乏し、短褐(麻等で作った裾が短い服。平民の服)は身体を隠すことができず、糟糠(酒糟、米糠等、粗末な食べ物)は口を満たすことができず、このように虚耗しているにも関わらず、賦税には限りがありません。ところが楼台には民の財貨の大半が藏されておりました。だから天が火災を降したのです。昔、桀王(けつおう)は海内で暴虐を行い、賦税は限度が無く、万民を苦しめたため、湯王(とうおうによって誅され、天下の笑い者となったのです。今、皇天が藏台に災を降されたのは、国君の福であると思うべきです。それなのに自ら悟ることができなかったら、主公も隣国の笑い者になることでしょう」


「わかった。今後、財貨は百姓の中に藏すことにしよう(民の財は民に使わせよう)」


人よりも財物を大切にするなど、平公は決して良い国君とは言えなかった。しかしながら諸侯の盟主である晋の国君である以上、そのままでいさせるわけにはいかなかった。


そのため多くの者が彼の間違えを正そうと諫言を行うのである。


ある日、平公が師曠(しこう)に問うた。


「人君の道(道理)とは何であろうか?」


「人君の道とは清浄無為であり、博愛に務め、賢人の任用を重視し、耳目を広くして万方を考察し、流俗(世俗の風習・習慣)に拘泥することなく、左右の者に制御されず、遥か遠くを見据えて独立しており、頻繁に考績(成績・成果)を省みる。このような態度で臣下に臨むことでございます。これは人君の操(行動・行為)です」


平公は納得して、


「善し(善)」


と言った。


こういった会話は平公と師曠の間では繰り返させられている。師曠の気苦労は限りないものである。


師曠が平公に同行して狩りに出た時、乳虎を見つけたことがあった。その乳虎は伏せたまま動こうとはしなかった。


平公が振り向いて師曠に問うた。


「霸王の主が外に出れば、猛獣は伏せたままで起きようとしないという。今、私が外出したら乳虎が伏せて動かなくなったが、これは猛獣と言えるのだろうか?」


師曠は言った。


かささぎはりねずみを食べ、猬は鵔鸃(伝説の鶏)を食べ、鵔鸃は豹を食べ、豹は駮(伝説上の馬に似た猛獣)を食べ、駮は虎を食べると申します。駮の姿は駮馬(恐らく駿馬)に似ていると申します。今回の狩りでは、主公の車は駮馬が牽いているのではありませんか?」


彼は盲目であるため、そういう確認を先ず、行った。


平公が、


「そうだ」


と答えると、師曠は、


「一度、自分を誣(偽る。ここではみえを張ること。自分の功績を過大評価すること)したら窮し、再度自分を誣したら辱めを受け、三度自分を誣したら死ぬと申します。乳虎が動かないのは駮馬が原因であり、主公の徳義ではありません。主公はなぜ自分を誣すのでしょうか?」


後日、平公が朝会に出た。すると一羽の鳥が平公の周りを飛んで去ろうとしなかった。


平公が振り返って師曠に問うた。


「霸王の主が現れれば、鳳が降りて来るという。今、朝会に出たら鳥が私の周りを飛び、朝会が終わるまで去ろうとしない。この鳥は鳳ではないか?」


「東方に諫珂という鳥がいます。その鳥は身体に模様があり、赤い足をもち、鳥を嫌い、狐を愛していると言います。我が君は狐裘(狐の皮で作った大衣)を着て朝会に出たのではないでしょうか?」


平公が、


「そうだ」


と答えると、師曠はため息をつき、


「既に私はこう申しました。一度自分を誣したら窮し、再度自分を誣したら辱めを受け、三度自分を誣したら死ぬ。鳥は狐裘のために飛んでいるのであり、我が君の徳義のためではございません。なぜ主公は二度も自分を誣すのでしょうか?」


平公は不快になった。


また後日、平公が虒祁の台で酒宴を開いた。


事前に郎中・馬章(ばしょう)に命じて階段に蒺藜(棘がある植物)を敷かせ、人を送って師曠を招いた。台に到着した師曠は靴を履いたまま堂を登ろうとした。


すると平公が言った。


「人臣でありながら靴を履いたまま人主の堂に登る者があるだろうか?」


師曠はその言葉を受けて、靴を脱いで階段を登った。しかしながら師曠は盲目のため、蒺藜が見えない。そのため蒺藜は足に刺さり、驚いた彼が思わず、その場に坐ると膝に刺った。


明らかに悪意のある行為と言える。


師曠は天を仰いで嘆息すると、平公が師曠の手を引いて言った。


「今日は叟(老人)と戯れたのだ。叟は何を憂いるのだろうか?」


良くもまあ言えた言葉である。


だが、師曠にとってはからかわれたことなどはどうといったことではないのである。


「肉は自ら蟲を生じ、自分(肉)が蟲に食べられることになります。木も自ら蠹(木を蝕む虫)を生じ、自分(木)が喰われることになります。人が自ら妖を興せば、自分を害すことになります。だから五鼎(大夫の食器・祭器)で藜藿(粗末な食物)を調理してはならず、人主の堂廟に蒺藜を生えさせてはならないのです」


その言葉を聞いて、恐怖した平公は、


「既にそれをやってしまったが、どうなるというのだろうか?」


「妖は既に目前にいます。どうしようもありません。来月三日になったら百官を整え、太子を立てるべきです。主公はもうすぐ死にます」


翌月の七月八日の朝になったが、平公は特に体の異変を感じなかった。師曠に言った。


「叟は今日が私の最期だと言ったが、私の様子は如何だろうか?」


と笑みを浮かべながら言った。だが、師曠は喜ばず、拝謁を終えると帰った。そのすぐ後に平公が死んだ。


後にこのことを知った人々は師曠の神明さが知り、称えたが、彼からすれば何の喜びでもなんでもなかったであろう。






最後のエピソードは『説苑・辨物(第十八)』の話しだが、その話では平公が死ぬのは、七月八日となっているが、左氏伝だと三日となっているため、それに合しました。

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