謀者の格
大変遅れました
紀元前522年
正月、婺女(女宿。星座名)から一つの星が現れた。
鄭の裨竈が子産に言った。
「七月戊子に晋君が死ぬことになりましょう。今年は歳星(木星)が顓頊の虚(玄枵。歳星の軌道の一部。女・虚・危の三宿)におり、そこは姜氏(斉)と任氏(薛)が守る地にあたります。婺女は玄枵の首にあり(婺女は玄枵三宿の頭)、そこから妖星(新星)が現れました。これは邑姜(斉の太公・呂尚の娘と言われている。晋の祖・唐叔の母でもある)に禍を告げているのでしょう。邑姜は晋の妣(先祖の妻)です。天は七で数を記し(二十八宿は四方に分けられ、それぞれに七宿がある)、戊子は逢公(商代の諸侯。斉の地に封じられていた)が天に昇った日(死んだ日)です。その時(逢公が死んだ時)も妖星が現れたと言います。私は星象から晋君の死を知ったのです」
斉の恵公の子孫にあたる欒氏(欒施。字は子旗)と高氏(高彊、字は子良)は酒好きなうえ、婦人の言を信じて賢人を遠ざけていたため、多くの怨みを招くようになっていた。
また、欒氏と高氏の勢力は陳氏と鮑氏をしのぎ、しかも二氏を嫌うようになっていた。
夏、田乞が父である陳無宇に言った。
「子旗と子良が陳氏と鮑氏を攻撃しようとしているようです」
また、彼は人をやって同じ情報を鮑氏(鮑国)にも告げていた。
「鮑氏と協力し、彼らと対峙するべきです」
この息子の言葉を信じて武器を部下に配り、陳無宇は鮑氏の家に向かった。
「父上、あれを見てください。子良です」
その途中で二人は酔った子良が車で道を駆けて行く姿を見た。
「子旗の元に向かっているのでしょう。急ぎましょう」
田乞は父を急かすように言ったため、陳無宇はあまり子良の様子を見ることなく、鮑氏の屋敷に向かった。田乞はちらっと子良の駆けていく様子を見ながら、
(よし、計画通りだな)
実は欒氏と高氏が対立し、陳無宇が和解に導いた後、彼は密かに彼らの元に度々会いに行っていた。そこで酒や美女を紹介したりと印象を良くするように努め、気に入られるようになると彼らに田乞は囁いた。
「そう言えば、この人がこう言ってました」
と言って、彼らに諫言しようとする人物の印象を悪くし、遠ざけるように進言したのである。また、彼らに融通した女たちにも口添えをするようにするなど念入りに自分の言葉を信じられるようにした。
彼らが遠ざけた人物の諫言しようした内容は酒や美女を遠ざけるようにというものであったのだが、田乞が先に彼らへの讒言を行っていたため、遠ざけられてしまい。その諫言を受けることは彼らはなかったのだ。
彼らの排除を優先したのは、何せ田乞が彼らに酒や美女を融通しているのである。
(骨抜きの邪魔をされては構わん)
邪魔者の排除が完了すると次に彼は言った。
「実はあの時、父はあなた方を討伐しようとしていました」
なんと彼はあの時、陳無宇がごまかしたことを話したのである。それを聞いた二人は当然、田乞に激怒した。それに対して、田乞は自分が父を止めたことを話した。
ここまで彼は驚くべきことに事実しか話していない。
二人に不満を持つ臣下がいたことも事実、陳無宇が討伐しようとしたことも事実、自分がそれを止めたことも事実である。
(あるのは、話していない事実があるぐらいだ)
彼は嘘を吐くことなく、彼らと話しをしているのである。
(それでも人の信頼を受ける時は嘘も入れなければならない)
ここで自分が父のやり方に不満を持っていると彼らに伝えた。これは嘘である。しかしながら彼らと敵対する相手の身内が自分たちの味方であることは彼らからすれば、これほど良いことはない。しかも情報を伝えてくれるとなれば、猶更である。
彼らは田乞を信頼するようになった。更に田乞は彼らに父と鮑氏が協力し合っていることも伝えた。これにより、彼らは陳氏と付き合いのある他の勢力へも疑いの目を向けることになる。
これで彼らと他の勢力の交流を抑えることができる。それからはある程度の情報を敢えて彼らに伝えるようになった。これで陳氏と鮑氏の動きが知ることができるようになったため、二人は田乞がいることで安心感を覚えるようになった。
よって、彼らは必要以上に陳氏らへの警戒を強めることがなくなった。
その安心感から二人は更に宴を開きようになっていったのである。
(愚かな連中だ)
田乞は謀略を行う際、必要以上に他者を使わずに行っている。これはある意味では、秤に自らの命をそのまま乗せている行為と言える。しかし彼はそれを敢えて行うことで、自らの謀略の成功率を上げているのである。
(さて、総仕上げだ)
陳無宇と田乞が鮑氏の家に到着した時、鮑国も田乞の手の者が伝えた情報を信じて、部下に武器を配っていた。
「おお、陳無宇殿」
「鮑国殿も知っておられるのか?」
「左様、ある者が子旗と子良が我らを殺そうとしていると伝えられてな。事は一刻も争う事態だ」
「その通りであるものの、冷静さを欠いてはなりません。人を送り、やつらの動きを探りましょう。失敗はできない以上、万全を期すべきです」
「陳無宇殿の言う通りだ」
二人は人を送って子旗と子良の様子を探らせた。だが、様子を探らせた者の報告を聞いて、二人は驚いた。
なんと子旗と子良の二人はともに酒を飲んでおり、攻撃しようという様子がないと言うのである。
(つまり、情報は嘘だったということになる)
陳無宇は目をとがらせ、田乞を見た。
(図ったか乞)
しかり彼は怒りをぐっと抑えた。ここまで来た以上、田乞を責めることはできない。恐らく鮑国に情報を伝えたのは、田乞であろう。
(ここで発覚すれば、鮑氏も騙されたことに怒り、こちらに協力しなくなる可能性がある)
ここで躊躇すれば、破滅しかない。ならば、突き進むしかないのである。
陳無宇は鮑国に言った。
「報告した者は信用できない者であったようです。しかしながら我々が武器を配ったと彼らが知れば、必ず我々を駆逐しようと動くはずです。酒を飲んでいる今のうちに討つべきです」
当時、陳氏と鮑氏は関係が良いこともあり、鮑国は同意し、協力して欒氏と高氏を攻撃することにした。
陳氏と鮑氏の攻撃を受けた子良は酔いが醒めないながらも兵を動員し、抵抗した。だが、苦戦を強いられたため、彼は、
「先に公(斉の景公)を得れば、陳氏も鮑氏も手が出せない」
と言って虎門(宮門)に向かった。
陳無宇はその動きから彼らが景公を狙っていると判断し、鮑国と一緒に軍を急いで、虎門へ向かわせる。
「父上、もう少し、相手よりも遅く到着しましょう。先に攻めては外聞が悪いです」
田乞がそう言った。彼は相手の実力を下に見つつ、自分たちの立場のことを考えて発言している。
(戦の経験の無い男の言葉だ)
陳無宇はこの状況で、悠長に政治的立場を重視する息子の言葉に憤りを覚える。だが、田乞は自分の考え通りに物事が動いていると考えている。
(今、乞は自分の計画が完璧に進んでいると思っている。しかし、戦場であれ、完璧などはあり得ない。何が起きるかは最後までわからないのだ)
そう陳無宇の思っている通り、完璧に進行する計画など存在はしないと言える。必ず、どこかで問題は起きるのである。
陳無宇らが虎門に到着し、戦闘しようとしたその時、虎門の上、衛兵と共に一人の男が立っていた。
「晏嬰……」
忌々しそうに彼は思わず呟いた。
晏嬰は朝服を着て虎門の上に立っていた。なぜ彼がこんなところにいるかと言えば、たまたまである。しかし、彼は虎門に軍が向かっていると知ると晏父戎と衛兵たちと共に虎門の上に立ったのである。
因みに彼の着ている朝服は戦いに参加しない意志を表している。
彼の存在に気付いた四族(陳氏・鮑氏・欒氏・高氏)は晏嬰を招こうとした。彼を味方に付けば、民の信望を得ることができると考えたのだ。しかし、晏嬰はどこにも行こうとしない。
晏父戎が聞いた。
「坊ちゃん。陳氏と鮑氏を助けますか?」
「彼等に善(この「善」は「義」に通じる)があるだろうか?」
「それでは欒氏と高氏を助けますか?」
「彼等の善が陳氏や鮑氏より優っているだろうか?」
「それでは帰りますかな?」
晏父戎としてはもうすぐ戦場になりかねないこの場所から主を遠ざけないのである。
だが、晏嬰は、
「国君が攻撃されようとしているにも関わらず、どこに帰るというのだ」
そう言って断固として、ここから動こうとしなかった。
晏嬰が虎門を開けず、誰とも協力をしないことで、痺れを切らし、四族は戦闘を始めた。虎門には矢が飛び交い、どの勢力も激突した。
「下がってください」
「国君の危機に下がるわけにはいかない」
晏父戎は必死に矢が晏嬰に当たらないようにしながら叫ぶがそれでも彼は動かない。
(頭が硬い人だよ。全く)
彼はため息をつきながらも衛兵と晏氏の兵たちに叫んだ。
「この方に指一本、矢一本たりとも触れさせるな。この方が倒れない限り、ここは落とされることはない」
晏嬰の不動さとこの言葉に兵たちの士気は上がった。
一方、田乞は陳無宇に進言した。
「一気に虎門を破りましょう」
彼の筋書きでは、簡単に虎門を突破し、景公を得ることができていたはずであった。
「ならん。晏嬰と敵対しては民も敵に回すことになる」
陳無宇は欒氏と高氏との対決に集中することにした。
「しかし」
これでは大義名分という飾りを得ることができない。
「お前は飾り付けを全て個人でやろうとし過ぎたのだ」
陳無宇は大義を得ることを捨てた。ここは欒氏と高氏への勝利こそが一番と判断したのである。
やがて、景公は戦闘が起きていることと、虎門に晏嬰がいることを知った。
「晏嬰を死なすわけにはいかん」
彼は晏嬰を自分のところに招くように兵に命じた。
「主公の命なら仕方ない」
陳氏と鮑氏が欒氏と高氏との対決に集中したこともあり、晏嬰は公宮に入った。
「この戦闘をどうにかしたのだが」
景公がそう言うと晏嬰に言うと彼はこう答えた。
「この四族の戦闘はどちらかが倒れるまで終わらないでしょう。一先ず、虎門での戦闘を行われないようにすることが先決です」
この言葉を受けて、景公は大夫・王黒に霊姑銔(斉の桓公の龍旗)を授けて兵を率いさせようとした。
まず吉凶を卜うと「吉」と出た。しかし王黒は大夫であるため、諸侯(国君)と同じ旗を使うことを遠慮し、三尺切断してから旗を使った。
五月、四族は虎門から離れ、稷(斉の城門)で交戦し、欒氏と高氏が敗れた。後退する二氏を陳氏と鮑氏は追撃し、荘(市の名)でまたしても破り、国人もそれに同調して追撃すると、最後には鹿門(城門)で敗れ、欒施と高彊は魯に奔った。
「戦には勝ったか……」
勝者となった陳氏と鮑氏は欒氏と高氏の家財を分けることになった。
すると晏嬰は陳無宇に会いに行くと、こう言った。
「主公に譲るべきです。謙譲とは徳の主であり、人に譲ることを懿徳(美徳)と申します。血気がある者は、皆、争う心を持っていますが、だからと言って、力で利を奪おうとしてはなりません。義を思えば人に勝ることができるのです。義とは利の本と言うべきものです。利を蓄えれば孽(妖害)を生みますので、今は蓄えてはなりません。利は義によってゆっくり成長させればいいのではありませんか」
「承知した」
陳無宇がそう答えると晏嬰は横目で陳無宇の傍に控えている田乞を見た。
「少々、才気があり過ぎたご様子ですね」
その言葉に田乞は少し、動揺する。
「口はしっかりと絞めねばなりませんよ。乞殿」
「どういう意味かわかりませんが?」
田乞は思わず、そう言った。
「それならば、そうで構いません。ところで人を殺す際、最低でも何人いれば良いと乞殿は思いますか?」
そんなことを彼は田乞に言いはじめた。
「三人いれば良いと思います」
ここで言う三人とは、武器を持っての殺害で必要な数ではなく、言葉で殺す場合の数である。
「なるほど、謀事に長けておられる」
晏嬰は傍に控えている臣下を招き、その者が持っていた桃を手にすると彼は桃を田乞に渡した。
「そこまでで、よろしいか」
陳無宇はそう言って、晏嬰の退出するよう勧めた。晏嬰が立ち去ると陳無宇は言った。
「謀事に長けているか……乞よ。玄謀の者はその桃一つで人を殺せる。覚えておくと良い」
田乞は父の言葉を聞いて、手に持っている桃を見つめた。
翌日、朝廷において陳無宇は奪った財を全て景公に譲ることを伝え、
「この度の私闘を起こし、主公の御身を危険に曝した責任を持って、莒(斉の邑)において告老(引退)することを願います」
この陳無宇の言葉に斉の群臣たちをはじめ景公も驚いた。景公は晏嬰を見ると彼は頷いた。
「わかった。今までご苦労であった。汝の後は誰が継ぐのだろうか?」
「我が長子・開(または「啓」)が継ぎます」
これによって陳無宇は引退した。
引退する準備を行う上で彼は景公に進言した。
子尾(子良の父)によって子山、子商、子周等の諸公子が追放されていたのを呼び戻すように進言を行い、個人的に幄幕や器用(器具)、従者の衣屨(衣服・履物)を与え、子山は棘の地を返され、子商も奪われた邑が返され、子周は夫于(邑名)が与えられた。
また、子旗によって子城、子公、公孫捷が追放されていたが、彼らも呼び戻すよう進言し、俸禄を増やさせた。
公子や公孫で禄がない者には、陳無宇は自分の邑を分け与え、貧困な家庭や孤寡(身寄りがない者)には自分の家の粟を施した。
「与えすぎではないですか?」
田乞がそう言うと、陳無宇はこう言った。
「『詩(大雅・文王)』はこう言っている『自分が得た賞賜を施しに使ったが故に、私は周を建てることができたのだ』桓公も施しができたから霸を称えたのだ」
景公はこれを喜び、陳無宇に莒の傍の邑を与えようとしたが、陳無宇は辞退した。
しかし穆孟姫(景公の母)が景公に勧めたため高唐の地が陳氏に与えられた。交通の要所と言うべき土地である。
「しばらくは私はここで土地の整備を行う。乞よ兄を良く補佐し、一族を反映させよ。良いな」
「はい」
以後、陳氏(田氏)はますます大きくなっていくことになる。
一方、陳氏・鮑氏・欒氏・高氏のうち、欒氏・高氏は滅び、陳氏の当主である陳無宇が引退したこと、鮑氏は陳無宇が私闘を行ったことを理由に引退したことで、政治を握るには、分が悪かった。よって斉においての政治的順位は晏嬰が頂点に立つことになったのである。
(しかしながら姜氏の勢力は弱まってしまった)
だが、それと引き換えに陳無宇を政権の座から引きずり下ろすこととなった。痛み分けと言えた。




