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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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陳滅亡

 陳の公子・(しょう)は楚を恐れて、罪を公子・()に着せて殺した。それを楚に伝えたのだが、


「今なら陳を盗れます。陳に軍を出しましょう」


 楚の霊王(れいおう)に対して、公子・棄疾(きしつ)が進言を行った。霊王は天下に武力で力を示したいと考えている。


「良かろう。やってみよ」


 命令を受けた公子・棄疾は晋に出奔している陳の太孫・()(殺された陳の太子・偃師(えんし)の子)を呼び戻した。


 陳侵攻の大義名分とするためである。


 九月、楚の公子・棄疾は太孫・呉を奉じて陳を包囲した。宋の大夫・戴悪(たいあく)も楚軍に合流した。

 

 十月、楚が陳を滅ぼした。公子・(しょう)を捕えると彼を越に放逐し、孔奐(こうかん)(または「孔瑗」。恐らく公子・招の党)を処刑した。

 

 陳の輿嬖(車を主管する嬖大夫。嬖大夫は下大夫の意味)・袁克(えんこく)が馬を殺し、玉を破壊して陳の哀公(あいこう)と共に葬った。

 

 楚人が袁克を殺そうとすると、袁克は命乞いをした。暫くして小便をしたいと言い、帳幄の裏で小便をした。その隙に絰(麻の帯。喪に服す時に使った)を頭に結んで逃走した。

 

 戦勝を受けた霊王は穿封戌(せんほうじゅつ)を陳公にした。穿封戌は楚の大夫で、楚の公は県公であるため、陳は楚の県になったことになる。


 この人事は周りの者たちは驚き、霊王に理由を聞いた。

 

 霊王は、


「城麇の役で彼は私に媚びなかった」


 霊王がまだ王子・()と呼ばれていた頃、穿封戌と捕虜を争ったことがあり、怒った穿封戌は戈を持って王子・囲を追いかけたことがあった。

 

 それだけにこの人事は驚かれたのである。

 

 穿封戌が霊王に従って酒を飲んだ時のこと、霊王が言った。


「城麇の役の時、私がこうなると知っていれば(即位すると知っていれば)、汝は私に譲っていたであろうな」

 

 すると穿封戌はこう答えた。


「もし主公がこうなると知っておりますれば、私は死礼(葬礼。死ぬこと)に至ろうとも楚を安定させることに尽力したでしょう」


 もし私が王子・囲に国君になる野望があると知っていれば、楚王・郟敖のために命をかけてあなたを殺していたでしょうという言葉である。

 

 しかし、彼のこの発言は霊王を憎んでいるという意味ではなく、国王が誰であろうともその時の国王のために尽くすという意味である。


 今後、霊王の命を狙う者がいれば、同じように霊王のために命をかけることができるという忠心を表している。

 

 この発言があって、霊王は彼を信頼し、陳公に封じたのだろう。

 

 陳が楚に支配されたことは晋にまで伝えられた。


 晋の平公(へいこう)史趙(しちょう)に聞きいた。


「陳はこれで滅亡したのだろうか?」

 

「まだです」


「そう言いきれる根拠は何だ?」

 

「陳は顓頊の後裔でございます。顓頊が死んだ際、歳星(木星)は鶉火(星宿の名)にいたと言われています。陳が滅ぶ時も同じはずです。今、歳星は析木の津(天河)にいるため、間もなく復国することになりましょう。また、陳氏は斉で政権を握ってから滅亡することになります。幕(顓頊の子。(しゅん)の先祖)から瞽瞍(舜の父)にいたるまで命(天命)に逆らったことがなく、舜によって明徳が重ねられ、その徳は遂(虞遂。舜の子孫。商代に遂国に封じられた)まで続き、遂の子孫も代々徳を守ってきました。そのため、胡公・不淫(不淫は胡公の字)の代になって、周王が姓を与え(舜の姓は姚ですが、胡公は嬀姓を与えられた)、虞帝(舜)の祭祀を命じたのです。その盛徳は百世の祭祀を受けると聞いています。虞の世数は百に達していません。将来、斉で祭祀が守られるはずです。その兆は既に現れております」










「今、帰りました」


「おお、帰ってきたか」


 息子の左丘明(さきゅうめい)が家に帰ってきたため、左丘信(さきゅうしん)は彼を出迎える。


 左丘明は十三歳となり、彼は学問に努めるようになった。


(隣に住んでいる孔丘(こうきゅう)殿は若いながらも学識高い人物である。先祖は貴族であったと聞いたが、良いことだ)


 左丘明にとっては、年が近く互いに教えあえる存在がいることは、自らの学を鍛える意味でも良いことである。


「孔丘殿は本当にしっかりと学を磨いている方です。あの知識量には圧倒される思いです」


 左丘明も良く孔丘のことを褒めていた。


「そう言う友は大切にせねばならない。先にお前は知識量に圧倒されると言っていたが、卑屈になってはいけない。卑屈になるよりも相手への尊重を大切にしなさい。そうすれば、相手もお前を尊重してくれる」


「はい」


 尊重し合える友人関係であるべきだ。それは富を積み上げることよりも素晴らしい宝物となる。


(孔丘殿は明の良い友となってくれると良いな)


 父として、彼はそう願うようになっていた。


 左丘明とて、孔丘に負けず、一度見た文字や文章は忘れることがなかったりとその才能を見せている。


(最近は仲孫家にも出入りできるようにもなった。いずれは魯に明を仕えさせる道も生まれるかもしれない)


 最近の仲孫家は広く人材を求めるようになっており、左丘信は計算や学問があるということで、仲孫家は彼を招くようになっていた。


 因みに後に孔丘のことを仲孫貜(ちゅうそんかく)に伝えたのは、彼である。


 そんな父を見ながら左丘明は服を着替えていた。彼は孔丘に言われた言葉を思い出していた。


『君のお父上は元は貴族なのかい?』


『何故、そう思うのでしょうか?』


 左丘明は物心がついた頃から今の家におり、貧しい生活を送っていた。


『君のお父上はとても礼節を大切にし、教養があるからさ』


 だが、貴族だとすれば、貧しい生活を送っているのかという疑問が生まれる。もしかすれば、孔丘のように先祖が貴族であったという可能性もある。


(もし、貴族だとして、私の先祖はどんな人であったのか)


 知りたいという気持ちとそれを聞く怖さもあった。


「明、食事にしよう」


「わかりました」


 父の元に行こうとしたその時、世界が歪んだ。思わず、目を覆った彼に、


「どうした」


 左丘信が声をかけると、左丘明は手を目から放す。すると目の前は、普通の光景が広がっていた。


「少し、立ち眩みをしたみたいです」


「そうか、きっと疲れたのだろう。無理をしないようにな」


「はい」


 二人は静かに食事をとった。





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