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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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飾り付け

 陳の哀公(あいこう)の元妃(嫡夫人。正妻)・鄭姫(ていき)は太子・偃師(えんし)悼太子(とうたいし)。悼は諡号)を産み、二妃(次妃)は公子・(りゅう)を、下妃(三妃)は公子・(しょう)を産んだ。


 このうち、二妃が哀公に寵愛されたため、公子・留も気に入られて司徒・(しょう)と公子・()(どちらも哀公の弟)に託された。

 

 因みに、陳は(しゅん)の子孫の国といわれており、舜には三妃がいたため、陳の国君も三妃を立てているのが、伝統である。

 

 やがて、哀公が病にかかると三月、公子・招と公子・過は太子・偃師を殺して託された公子・留を後継者にした。

 

 太子・偃師の子・()は晋に出奔した。

 

 四月、そのことを知った哀公はそのことを憂い、首を吊って死んだ。

 

 干徴師(かんびし)が楚に哀公の死と公子・留の即位を報告したが、公子・勝が楚に先回りしており、太子が殺されたことを訴えたため、楚は干徴師を捕えて殺してしまった。

 

 楚のこの動きに恐れを抱いた公子・留は鄭に出奔した。






 

 魯の叔弓(しゅきゅう)が晋に入った。虒祁宮の完成を祝賀するためである。鄭の簡公(かんこう)も晋に入って祝賀した。游吉(ゆうきつ)子大叔(したいしゅく))が相を勤めている。

 

 晋の史趙(しちょう)が游吉に会って言った。


「偽りも甚だしいですね。弔する(悲しみ慰める)べきにも関わらず、祝賀するとは」

 

 これには、游吉ではなくとも頭にくる発言である。わざわざ晋にまで来た相手に対しての発言とは思えず、そのようなことを言う割には、平公に対して、その件に関して諫めたようでもない。


(もし、私ではなく子産殿であれば、このようなことを言わないのだろうな)


 下に見られたという思いもあって彼はこう反論した。


「なぜ弔すのでしょうか。我々だけが祝賀しているのではないのです。天下(諸侯)が祝賀しているのですよ。諸侯が祝賀しているのですから、我が国だけ祝賀しないわけにはいかないではないですか」

 

 秋、魯が紅(魯地)で大蒐(狩猟。閲兵式)を行った。


 魯の東境にあたる根牟から西境の商(宋。宋は商王朝の後裔で、魯では定公(ていこう)の名である宋を避けて商と呼んだ)・衛に渡る全国で兵が動員され、革車(兵車)千乗が紅に集まった。







 

 七月、斉の子尾(しび)が死んだ。このことをいいことに子旗(しき)(欒施)らんし))が子尾の家政を掌握しようとし、梁嬰(りょうえい)(子尾の家宰)を殺害した。

 

 八月、子旗が子成(しせい)(または「子城」。頃公(けいこう)の子・())、子工(しこう)(または「子公」。子成の弟・(きん))、子車(ししゃ)(または「子淵捷」「子淵棲」。頃公の孫・捷)を放逐した。三人とも斉の大夫で、子尾の党である。

 

 三人は魯に奔った。

 

 邪魔者を排除した子旗は子良(しりょう)(子尾の子・高彊(こうきょう))を当主に立てた。このままでは子旗の思うがままだと考えた子良の家臣達が相談した。


「孺子(子供。子良を指す)は既に成長したのだ。それにも関わらず、子旗が我々の家を助けているのは、兼併したいと思っているからだ」

 

 家臣達は武器を持って子旗を攻撃しようとした。

 

 しかし、自分たちだけでは難しいという考えもあったため、陳無宇ちんむうも武器を取るよう願った。彼は子尾と仲が良かったため、武器を受け取って子良の家臣達を助けることにした。

 

 ある人がこの動きを子旗に報告したが、子旗は信じようとしなかったが、暫くすると数人が報告しに来たため、子旗は子良の家に行くことにした。ところが道中でも数人が同じ報告をする。そこで子旗は陳氏の家に行った。

 

 陳無宇は丁度、家を出たところであったが、


「何、子旗が来ただと」


(くそ、馬鹿と何やらは予測がつかないとは言うが……)


「直ぐに戻りましょう。こうなっては仕方がありません」


 そう言ったのは、息子の田乞(でんきつ)(陳乞(ちんきつ))である。


「だがな」


「ここで変に見られるよりはマシです。それに馬鹿と何やらは使いようですよ」


「使いようとは?」


「折角ですから、ここは仲直りさせましょう。獲物を絞める際はまとめてやった方が手間がかかりません」


 さらっと怖いことを言うのが、この男の特徴である。そして、それを笑みを浮かべながら言えるのが、この男の恐ろしいところである。


「それに調理をする際に主菜には飾りが必要ですが、今回の挙にはいささか飾りが足りません。もっと飾り付けてからでもよろしいでしょう」


(こいつは父に良く似てる)


「お前は飾り付きが多すぎる」


 そう言いながらも陳無宇は、屋敷に戻り、軍服を脱いで游服(宴游の服)に着替えてから子旗を迎え入れた。

 

 陳無宇は子旗に言う。


「高氏(高彊。子良)が武器を配ってあなたを撃とうとしていると聞きましたが、あなたはそのことを知っていますか?」

 

「聞いたことがない」

 

「あなたはなぜ甲(甲冑。武器)を配らないのでしょうか。私はあなたに従いましょう」


 その言葉を聞いた田乞は父を横目で見る。陳無宇としては、彼らの関係がもし良く成ることがあれば、それを排除するのは、面倒であるという考えである。

 

「汝はなぜ戦おうというのだ。彼は孺子である。私が教え諭してもまだうまくいかないのではないかと常々心配して家宰を立てたのだ。もし互いに攻撃すれば、先人に対してどうするつもりだ(欒氏も高氏も恵公の子孫)。あなたは彼を説得するべきだ。『周書(尚書・康誥)』にはこうある『恵まない者に恵みを与え、勉めない者に対して勉める』こうであったから康叔(こうしゅく)は寛大でいられたのだ」


(これぐらいの教養があるか……)


 一方が戦いを望まず、それを知ってしまった以上、戦闘することを煽るようなことを言うのは、問題であると彼は考えた。

 

 陳無宇は稽顙(額を地に着けて拝すこと)して言った。


頃公(けいこう)霊公(れいこう)があなたを守っています。私はあなたの恩恵を受けたいものです」

 

 陳無宇が間に立って、両家は和解して以前と同じ関係に戻った。


「もっと飾り付ける必要があるか……」


「そうですとも折角ならば、そうするべきです。手間だと思って、手を抜くと失敗する可能性が大きくなるものです」


田乞はそう言いながら、笑みを浮かべた。


「そうしないと勿体ないではないですか。父上」


「そうだな」


(全ては我が一族のためだ)

 

 

 

  

 

 


斉の恵公は息子に頃公と公子・欒、公子・高がいて、頃公は霊公を産んだ。


公子・欒は公孫・竃(子雅)を産み、公孫・竃が欒施(子旗)を産んだ。


公子・高は公孫・蠆(子尾)を産み、公孫・蠆が高彊(子良)を産んだ。

 

 よって、霊公は子雅と子尾の従兄弟に、頃公は子雅と子尾の伯父になる。

 

 陳無宇が頃公と霊公の名を出したのはそのため。


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