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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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医和

 六月、鄭で游楚ゆうそ公孫楚こうそんそ子南しなん)の乱が起きたため、鄭の簡公かんこうと諸大夫が公孫段こうそんだんの家で盟を結び、協力し合うことを誓った。

 

 その後、罕虎かんこ子皮しひ)、公孫僑こうそんきょう子産しさん)、公孫段、印段いんだん子石しせき)、游吉ゆうきち子大叔したいしゅく)、駟帯したい子上しじょう)の六人が閨門(鄭の城門)の外にある薫隧(道の名)で秘かに盟を結んだ。


 すると公孫黒こうそんこく子晳しせき)も強引に参加し、太史に命じて会盟に参加した者を「七子」と記録させた。

 

 子産はまた、乱を起こさせないため、彼を討伐しなかった。






 

 晋の荀呉じゅんごが無終(山戎の国)と群狄(翟)を攻撃した。

 

 戦いの前に魏舒ぎじょが言った。


「彼等の軍は徒兵(歩兵)に対し、我が軍は車兵です。両軍が遭遇する場所は険阻な地形でございますので戦車の移動が不便です。そのため敵は十人の兵で一乗の車を攻めれば敵が必ず勝利できます。また、険阻な地に車を閉じ込めても、敵が有利になります。よって、我が軍も全て徒卒にするべきではないでしょうか。私から始めさせてください」

 

 晋軍は兵車を棄てて歩兵の隊列を作った。


 五乗の兵車に乗る十五人(一乗の車は三人乗り)を三つの伍(兵団の最小単位。五人で一つの伍)にした。荀呉の嬖人(寵臣)が徒卒への編入を拒否したため、魏舒は彼を見せしめのために処刑した。

 

 五つの陣(両・伍・専・参・偏。歩兵の陣形。詳細はわからない)が互いに連携し、両は前、伍は後ろ、専は右角(右翼)、参は左角(左翼)、偏は前拒(先鋒)になり、敵を誘った。

 

 狄人は兵車を棄てた晋軍を侮り、陣を構えることなく笑っている中、荀呉は狄に急襲を仕掛け、大鹵(大原)で大勝した。歩兵を重視したおかげで得た勝利とい言える。

 

 莒で展輿が即位したが(前年)、諸公子の秩(俸禄)を奪ったため、諸公子は斉から去疾を呼び戻した。

 

 秋、斉の公子・しょが去疾を莒に送り返し、展輿は呉(母の国)に出奔した。即位した去疾を著丘公という。

 

 莒の内乱の隙に、魯の叔弓しゅくきょうが火事場泥棒的に軍を率いて鄆田の境界を定めた。相変わらずである。

 

 莒の務婁、瞀胡および公子・滅明(三人とも展輿の党)が大厖と常儀靡(莒の二邑)を挙げて斉に降った。










 晋の平公へいこうが病を患ったため、簡公が子産を晋に派遣して聘問し、病状を確認した。

 

 晋の叔向しゅくきょうが子産に問うた。


「わが君の疾病について、卜人は『実沈と台駘の祟り』と申しておりますが、太史はそれを知りません。この二人は何の神でしょうか」


 知識量では彼よりも子産の方が上である。先ずは彼は参神の説明を始めた。

 

「昔、高辛氏(帝嚳)に二人の子がいました。伯(兄)は閼伯、季(弟)は実沈といい、曠林(地名。もしくは大きな森林)に住んでいましたが、この兄弟は仲が悪く、いつも武器を持って攻撃し合っていたそうです。そのため帝(帝堯)はこれを嫌い、閼伯を商丘に遷し、辰(大火。火星。心宿)を主管させました(辰星によって時節を定めさせた)。商の人々がこれを受け継いだため、辰は商星とよばれるようになります。また、実沈を大夏に遷して参(参宿)を主管させました。唐の人々がこれを受け継ぎ、夏朝と商朝に仕えました。その季世(後代)が唐叔虞でございます。武王の后・邑姜が大叔(太叔。唐叔虞)を妊娠した際、夢で帝(天帝)がこう申されました。『余が汝の子に虞と名付けん。唐を彼に与え、参星に属させて、その子孫を繁栄させん』やがて赤子が産まれると、掌に『虞』という模様があったため、赤子は虞と命名されました。成王が唐を滅ぼしてから、大叔は唐に封じられ、参は晋星となったのです(唐叔虞は晋の始祖)。こうしてみると、実沈は参神(晋の神)を指すことが分かります」


 次に台駘の説明を始める。


「昔、金天氏(少昊)の裔子(後裔)に昧という者がおり、玄冥(水官)の師(長)を務めました。その後、昧は允格と台駘を産みました。台駘は父の業を継ぎ、汾水と洮水を通じさせ、大沢に堤防を作って大原に住み、人々を高台に住ませました。帝(誰を指すかは不す。一説では顓頊とされいる)はこれを嘉し、汾川(汾水州域)に封じて沈、姒、蓐、黄の四国に台駘の祭祀を守らせることにしました。今、汾水は晋に管理され、四国も晋に滅ぼされております。こうしてみると、台駘は汾水の神(もしくは「汾水と洮水の神」)であることが分かります:


 二人の神を上げながらも彼は平公の病気とは違うことを話し始める。

 

「しかしながらこの二者が君身(平公の身)に及ぶことはなく、晋君の病とは関係ありません。水旱・癘疫(疫病)の災害があれば、山川の神に祈祷し、雪霜風雨が時期に合わない場合は日月星辰の神を祈祷するもの。君身に直接関係するのは鬼神の祟りではなく、出入(労働)、飲食、哀楽でございます。山川や星辰の神が何をするというのでしょうか」


 人の病は生活習慣に気を付けば、防げるものであり、平公の病気は神などとは関係ないのである。

 

「君子には四時(朝・昼・夕・夜)の行いがあると申します。朝は聴政し、昼は訪問(調査・諮問)し、夕は脩令(政令を確認して正すこと)し、夜は安身する(身体を休める)ものです。こうすることで気(血気。体気。精気)の発散を節制し、気の流れを塞ぐことはなく、体の衰弱を防ぐことができます。しかし、心がこれに従わなければ(この道理を知らなければ)、百事が昏乱することになりましょう。恐らく、今は気が一カ所に集まっているため病が生じたのでしょう。


 平公の病の原因は夜になっても休まず、精力が夜に集中しているということであるはずである。

 

「また、内官(国君の妃妾)は同姓であってはならないと申します。子孫が繁栄しないためです。姓を無視して美が一人に集められると病を生みまので、君子はそれを嫌うものです。『志(古書)』にはこう書かれております。『妾を買った際、その姓がわからなければ、卜わなければならない』この二者(昼夜が混乱することと、同姓かどうかを気にせず美女を集めること)は古から慎重にされてきた行為です。男女が姓を分けるのは、礼の大司(大事)と申せます。今、晋君には四姫(姫姓の妃妾が四人。晋君も姫姓でがいますが、恐らくこれが原因であると考えます。今後も二者を犯し続ければ、病はよくなりません。四姫を除けば問題ありませんが、そのままにしていたら病が重くなるのも当然のことでしょう」

 

 叔向は、


「素晴らしい。肸(叔向の名)はそのことを聞いたことがありませんでした。今の話は全てその通りでしょう」

 

 叔向が退出した後、行人・子羽しうが叔向を送った。叔向が鄭の様子と子晳について問うと、子羽はこう答えた。


「子晳は長くないでしょう。無礼なうえに人を凌駕することを好み、富に頼って地位が自分より上の者を軽視しております。久しいはずがありません」

 

 叔向から子産の話を聞いた平公は、子産を


「博物(博識)の君子だ」


 と称え、厚い礼物を贈った。

 











 

 平公は病を解消する上で秦に医者を求めていた。秦の景公けいこう医和いわ)(医者の和。和が名)を派遣した。

 

 医和は診察するとこう言った。


「疾病は治るとは言えないでしょう。女室を近づけすぎていることが原因で、蠱疾(精神惑乱の病)に似ています。鬼神や飲食が原因ではなく、惑(女色に惑わされること)によって志(心。意志)を失っているのです。良臣が間もなく死に、天命も守りはしないでしょう」

 

 平公が、


「女を近づけてはいけないのか?」


 と問うと、

 

「節制しなければなりません。先王の音楽というのは、百事を節制するために作られたものです。だから音には五節(宮・商・角・徴・羽の五音)があり、遅速・本末を調和させ、中声(中和した音)を生みだし、その後、降って音がなくなるのです。五降の後(五音がなくなってから)は、楽器を弾くことができず、もしも更に演奏を続ければ、煩手(繁雑複雑な手法)と淫声(五音が乱れた音楽)になり、心と耳を乱れさせて平和(調和。中和の音)を忘れてしまいますので、君子はこれを聴かないのです。事物も音楽と同じです。煩(過度)になれば止め、病を避けるべきです。君子が琴瑟(女色)を近づける際は、儀節によって心を乱すことはございません。天には六気があり、六気が降って五味(辛・酸・鹹・苦・甘)を作り、五色(黒・白・赤・青・黄)を発し、五声によって表現されます。これらが度を過ぎれば、六疾を生むことになります。六気は陰・陽・風・雨・晦(夜)・明(昼)です。これが分かれて四時(朝・昼・夕・夜)を形成し、五節(五音)の序列を作りますが、度を過ぎたら禍となります。陰が度を超えれば寒疾を招き、陽が度を超えれば熱疾を招き、風が度を超えれば末疾(手脚の病)を招き、雨が度を超えれば腹疾を招き、晦が度を超えれば惑疾(精神の病)を招き、明が度を超えれば心疾を招くのです。女は陽に有するものであり(女は陰に属すが、陽である男につかえたため、陽が所有するものになる)、晦時にあたります(女も夜も陰に属す。また、男女のことは通常、夜に行われる)。よって、度を超えれば内熱・惑蠱の疾を招くことになります。今、貴君は節制もせず時(昼夜)も分けておりません。病を得るのは当然と言えましょう」

 

 医和は退出してから趙武ちょうぶに同じことを話した。趙武は、


「良臣が間もなく死ぬと申されましたが、良臣とは誰のことでしょうか?」


 と聞くと、


「あなた様のことです。あなた様が晋の相となり、八年が経ちましたが、晋には乱がなく、諸侯にも欠陥がありません。良というべきものです。しかし、国の大臣と申しますものは、寵信と俸禄を受ければ大節を担うものです。災禍が起きているにも関わらず、改めないようでは、必ず咎を受けましょう。今、晋君は淫(度を超すこと)によって病を招いております。やがて社稷を図ることができなくなりましょう。これよりも大きな災禍はないと言えます。しかしあなた様はそれを防げなかったため、私はああ言ったのです」

 

 趙武が、


「蠱とは何ですか?」


 と問うと、


「蠱は一つのことに溺れ、心が惑乱することによって生まれます。その文字は皿の上に蟲(虫)がいる状態です。穀物に飛んで集まる蟲も蠱と申します。『周易』には『女が男を惑わすこと。風が山に吹き、樹木を落とす。これを蠱という』とあります。全て同類のものです」

 

 趙武は彼を、


「良医である」


 と言って厚い礼物を贈り、秦に帰らせた。



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