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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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后子

100万字、突破しました。ここまで書いてこれたのは、皆さんのご愛顧のおかげです。

 鄭の大夫・徐吾犯じょごはん(徐吾が氏)には美しい妹がおり、公孫楚こうそんそ游楚ゆうそ子南しなん穆公ぼくこうの孫)が聘(婚約)した。しかし公孫黒こうそんこく駟黒しこく)子晳しせき、彼も穆公の孫)も強引に委禽(婚約の礼物を贈ること。礼物には雁が使われた)をしたため、徐吾犯は恐れて子産しさんに報告した。


 子産はこう言った。


「これは国の政治が正しくないために起こったこと。あなたが心配する必要はない。本人が希望する方に嫁がせればよい」

 

 そこで徐吾犯は公孫楚と公孫黒と相談し、妹に選ばせることで二人とも同意した。

 

 公孫黒は華やかに着飾ってから徐吾犯の家を訪ね、布幣(婚礼の礼物)を届けると退出した。

 

 公孫楚は戎服(軍服)を着て庭で矢を射てから、車に飛び乗って去った。彼は聘をした時、既に礼物を贈っているため、今回は送っていないのである。

 

 妹は房内から二人の様子を見ており、こう言った。


「子晳様は確かに容貌が優れていおりますが、子南様は夫(男)らしいです。夫が夫らしく、妻が妻らしくあることを順と申します」

 

 妹は公孫楚に嫁ぐことにした。

 

 公孫黒はこれに不満を抱き、服の中に甲を着て公孫楚に会いに行った。彼を殺してその妻を奪うためという愚かな考えである。


 それを知った公孫楚は逆に戈を持って公孫黒を追い、衝(大道が交わる場所)で戈を突いた。公孫黒は負傷して帰り、諸大夫にこう告げた。


「私はいつもと同じように彼に会いに行ったのだ。そのため彼に異志(企み)があるとは思わず、怪我を負ってしまった」

 

 諸大夫がこの事件について相談した。婚姻を巡る争いとはいえ、相手を傷つけた障害事件であり、相手が貴族の一人である以上、国政に関わる問題である。

 

 子産は、難しい顔をしながらも、


「それぞれに理由がある場合は、幼賤(年が若く身分が低い者)を罪とするべきと申します。楚(公孫楚)に罪があるとするべきでしょう」

 

 子産は公孫楚を捕えて罪を宣言した。


「国の大節は五つある。それを汝はそれを全て犯した。主君の威を恐れ、その政令を聴き、貴人を尊び、年長者に仕え、親族を養う。この五者があるから国が治まるのだ。今、主君が国にいるにも関わらず、汝は兵器を用いた。これは威を畏れないことに繋がる。国の紀(法規)を犯したのは、政令を聴かないことにつながる。子晳は上大夫であり、汝は嬖大夫(下大夫)であるにも関わらず、下になろうとしなかった。これは貴人を尊んでいないことに繋がる。年が下にも関わらず、年長を敬わないのは、年長に仕えていないということに繋がる。従兄に対し、兵器を用いるのは、親族を養わないということに繋がる。国君はこう言われた『余は汝を殺すのが忍びないため、死を免じて遠くに去らせることにしよう』と、勉めて速やかに去れ。これ以上、罪を重ねてはならない」

 

 五月、鄭は公孫楚を呉に追放した。

 

 公孫楚が出発する前、子産が子大叔したいしゅく游吉ゆうきつ)に意見を求めた。公孫楚は游楚といい、その兄の子が子大叔である。游吉は游氏の宗主である。

 

 彼はこう言った。


「私には自身を守る力もないため、宗族を守ることはできません。彼がやったことは国の政紀に関わることであり、私難(個人の難)ではございません。あなたは国のために図っており、利があるから行っているのです。何を疑うのでしょうか。周公が管叔かんしゅくを殺して蔡叔(さいしゅくを追放したのは、彼等を愛していなかったからではありません。王室のためです。もし私が罪を得たとしたら、私にも刑を行ってください。諸游(游氏の宗族)を気にする必要はありません」


 公孫楚が呉に至るとそこには妻である徐吾犯の妹と資産があった。子産の配慮である。










 秦の景公けいこうの同母弟・けん后子こうし桓公かんこう)の子)は桓公に寵愛されていたため、景公即位後も国君のような振舞いをしていた。

 

 ある日、見かねた母が彼を諫めた。


「もしも自分から去らなければ、追放されますよ」


 我が子を思う気持ちと同時に国を思う気持ちを持った女性である。

 

 五月、后子は結構、単純な性格をしており、その通りだと思うと母の意見に従い晋に出奔した。その車は千乗に及んだと言われ、そのため舟で黄河に浮橋を作り、十里ごとに車を置いた。車は秦都・雍から晋都・絳まで連なったという。


「流石に少しは置いていくべきでは?」


 家臣はそう言ったが、


「先君の下さったものを蔑ろにするわけにはいかない」


 と言って、全部持っていった。

 

 后子が宴を開き、晋の平公へいこうを招待した。亡命したにも関わらず、国君を招くことができる宴を開けることは彼の資産の多さを示している。


 彼は国君の礼にあたる九献の礼を行った。


 先ず、酒宴の主人が賓客に酒を勧める。これを「献」といい。次に賓客が主人に返杯する。これを「酢」という。最後に主人が自分で酒を注いで飲み、再び賓客に勧める。これを「酬」という。


「献」「酢」「酬」を合わせて「一献」といい、「酬」の時に主人は賓客に「酬幣(礼物)」を贈る。


 九献は「献」「酢」「酬」が九回繰り返されるため、「酬幣」も九回贈られる。后子は「酬幣」を取りに行くために車と宴席の間を八回往復した。

 

 司馬侯しばこう女斉じょせい)が后子に問うた。


「あなたの車はこれで全てでしょうか?」

 

 后子は頭を掻きつつ、


「これだけあれば既に多いというべきで、もしもこれより少なければ、あなたに会うことはなかったでしょう」


 笑いながら言った。


 こんなに無ければ確かに出奔する必要もなかったが、あなたに会えた。言葉からは悲哀さを感じさせず、明るさを持った人である。


 また、この人は自分が金持ちであるということを隠そうとしない割には、嫌味を感じさせないという魅力をもった人物である。不思議な男と言える。

 

 司馬侯が平公に報告した。


「秦の公子は必ず帰国できましょう。君子は己の過ちを知り、必ず令図(善い計画や将来)を持つと申します。令図とは、天の賛助によるものです」

 

 后子が趙武ちょうぶに会うと、趙武は、


「あなたはいつ帰るつもりでしょうか?」


 聞いた。

 

「私は我が君に追放されることを恐れましたのでここに来ました。嗣君(後継ぎ。景公の次の国君)の即位を待っております」

 

「秦君はどのような人物でしょうか?」

 

「無道に近いかと」

 

「それでは、秦は亡びましょうか?」

 

 后子は眉をひそめ、


「なぜそのように言われるのでしょうか。一世が無道でも国は絶えないものではありませんか。国は天地の間に立ち、必ず助ける者がいるものです。数代にわたって淫でなければ、国が倒れることはありません」


 その証明はどの国でもやっており、晋でも同じことではないか。

 

「では、秦君は夭(短命)でしょうか?」

 

「ええ」

 

「どれくらい生きるでしょうか?」


「国が無道にも関わらず、穀物が豊作であるのは、天が助けているからです」


 国が無道で収穫も無ければ、天の助けがないのですぐに死ぬことになる。


「秦君の寿命は少なければあと五稔(五年)でしょう」

 

 趙武が影を眺めながら言った。


「朝には夕のことがわからないもの。誰が五年も待てるだろうか」

 

 后子は退席してから知人にこう言った。


「趙武はもうすぐ死ぬだろう。民の主でありながら年を弄び、日を急ごうとしている。これでは長いはずがない」


(もっと楽に生きれば良いのに)


 彼はそう思った。




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