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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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老いた名臣

蛇足の方も投稿しています。読んでいただけると嬉しいです。

 四月、晋の趙武ちょうぶ、魯の叔孫豹しゅくそんひょうと曹の大夫が鄭に入ったため、鄭の簡公かんこうが宴を開いて三人をもてなすことにした。

 

 鄭の子皮しひ)が趙武に宴の日時を伝えると、趙武は『瓠葉(小雅)』を賦した。『瓠葉』は下級貴族の宴の様子を描いており、趙武は簡素な宴を開くように勧めるため、この詩を賦した。

 

 子皮が叔孫豹に日時を伝えに行くと、叔孫豹が子皮に言った。


「趙武殿は一献の宴を求めているようです。あなたはそれに従うべきです」

 

 一献の宴というのは、主人が賓客に一回だけ酒を進めるという士の階級が行う宴のことである。用意される食事も簡素になる。


 ちなみに上公は九献、侯伯は七献、子男は五献と定められていた。

 

 子皮は心配になり、


「それでいいのでしょうか」


 と問うと、叔孫豹は、


「あの人がそう欲しているのだから、問題はありません」


 と答えた。

 

 しかし趙武等が宴席に集まると、五献の籩豆(食事)が東房に用意されていた。趙武は五献を辞退し、秘かに子産しさんに、


「武(私)の意志は既に冢宰(子皮)に伝えました」


 と言うと、一献だけ受けた。

 

 趙武が主客となり、饗礼(主人が賓客に酒を勧める等、宴の冒頭に行う礼)が終わってから正式に酒宴が始まる。

 

 叔孫豹が『鵲巣(詩経・召南)』を賦した。


 鵲が作った巣に鳩が安居するという歌詞があり、本来は新婦が新郎に嫁ぐおめでたい歌として使われるが叔孫豹は鵲を晋、鳩を魯に喩えて、晋の庇護のおかげで魯が安全でいられることを感謝したのである。

 

 趙武は謙遜しながら、


「私にはもったいないことです」


 と言った。

 

 叔孫豹が続けて『采蘩(召南)』を賦した。


 苦労して蘩(植物の名)を採り、公侯の祭祀に使うという内容の詩で、晋に対する貢物を喩えている。叔孫豹は言った。


「小国が蘩(粗末な物)を献上し、大国は節約して使っております。我々が大国の命に逆らうことはございません」

 

 子皮が『野有死麕(召南)』の末章を賦した。


『野有死麕』は女性の視点から描かれた恋愛の詩で、末章には、


「私の腰帯を動かさないで。犬に見つかっても吠えさせないで」


 と女性が男性に話している部分がある。子皮はこの詩から晋が礼をもって諸侯に接していることを表したようである。

 

 趙武は『常棣(小雅)』を賦した。


 兄弟の和を歌った詩である。趙武は、


「我々兄弟(晋・魯・鄭・曹は全て姫姓の国であるため、兄弟と称している)は親密で平和でございます。尨(犬)に吠えさせることはありません」

 

 叔孫豹、子皮と曹の大夫は立ち上がって拝礼し、兕爵(杯)を持って言った。


「小国はあなたのおかげで罪(禍)から免れることができるのです」

 

 それぞれ宴を楽しみ、退席してから趙武は、


「このように楽しいことはもうないだろう」


 と言った。

 

 

 

 周の景王けいおう劉夏りゅうか(劉子。定公)を潁(元は周の邑。この時は鄭領)に派遣して趙武を慰労させ、雒汭(洛水が曲がる場所)に宿泊させた。

 

 劉夏が言った。


の功は素晴らしく、その明徳は深遠と言えます。もしも禹がいなければ、私達は魚になっていたでしょう(治水に失敗して人々は水中に沈んでいた)。私とあなたは弁冕(礼冠・礼服)で身を正し、民を治めて諸侯に臨んでおりますが、全て禹のおかげと言えます。あなたも遠い禹の功を受け継いで、大いに民を守るべきです」

 

 趙武は、


「老夫は罪を犯すことだけを恐れるもの。そのように遠いことを考えることはできません。とりあえず現状の安寧に満足し、朝には夕の事を謀らない日々を送っているのです。どうして遠謀できるでしょうか」

 

 劉夏は帰国してから景王にこう報告した。


「諺には『老いれば、知識が増えるが、耄碌も訪れるものだ』とありますが、それは趙武のことを言っているのでしょう。彼は晋の正卿であり、諸侯の主でありながら、隸人(奴隷)のようにその日暮らしをしています。朝に夕のことを考えないというのは、神と人を棄てることになります」


 民は神の主であり、民のことを考えなければ民も神も去ることになる。


「神が怒り、民が叛すようになれば、長くはありません。彼は年を越せないでしょう。神が怒れば、彼の祭祀を受けいれず、民が叛せば、彼の政事に従わなくなります。祭祀も政事もうまくいかないのなら、年を越えることもできません」

 

 

 叔孫豹が魯に帰国すると、季孫宿きそんしゅくの家臣・曾夭が季孫宿を御して叔孫豹の慰労に来た。しかし朝日が昇って日中(正午)になっても叔孫豹は姿を現すことはなかった。

 

 曾夭が叔孫豹の家臣・曾阜(同族か?)に言った。


「朝日が日中まで昇り、我々は罪(会盟中に他国を攻めて叔孫豹を危険に陥らせたこと)を知りました。しかし、魯は互いに忍ぶことで国を治めてきたのです。外で忍ぶことができたにも関わらず、内に対しても忍ぼうとしないのは、意味があるのでしょうか?」

 

「叔孫豹は数か月も外で忍んできたのです。季孫宿が一旦(朝)だけ忍ぶことに、害があるでしょうか。利益を得ようとしている賈(商人)が、市の喧噪を嫌うことがありましょうか」


 目的を達するために、わざわざ困難を乗り越える必要があるだろうか。その覚悟も無いのに、ズケズケと言えたものである。

 

 室内に戻った曾阜が叔孫豹に、


「外に出ても問題はないでしょう。季孫氏は反省しているようです」


 と伝えると、叔孫豹は楹(堂の大柱。季孫氏の比喩)を指して、


「憎むべきものであっても、除くことはできない」


 と言い、季孫宿に会いに行った。

 



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