帯は細すぎる
蛇足書かないとなあ
魯の季孫宿が莒を攻めて鄆(または「運」)を取った。鄆はこれまで魯領になったり莒領になったりしている地である。
莒人は会盟に参加している諸侯にこの魯の侵攻を訴えた。
楚が晋に言った。
「弭兵の盟を確認しているにも関わらず、解散する前に魯が莒を討った。これは斎盟を冒涜する行為ではないか。魯の使者(叔孫豹)を処刑するべきだ」
晋の趙武を補佐している楽王鮒は叔孫豹のために命乞いをする代わりに賄賂を強要しようとした。相変わらず、賄賂の好きな男である。
使者を送り、叔孫豹に装飾された帯を要求した。しかし叔孫豹は拒否した。
叔孫豹の家臣・梁其踁が叔孫豹に問うた。
「財家とは身を守るためにあるのです。あなた様はなぜそれを惜しむのでしょうか?」
叔孫豹は、
「諸侯の会は社稷を守るためにある。私が財貨で自分を守ったとしても、魯は必ず侵攻を受けるだろう。これは国の禍であり、私個人が助かっても社稷を守ることにならない。人が壁を造るのは、悪(盗賊)を防ぐためである。壁に亀裂が生まれたとしても、誰を責めることもできない」
壁は自分が悪を防ぐために造ったのである。それが破損するのは自分の責任でしかない。よって、家に悪を入れてしまうのも、自分の罪であり、責任である。
「国を守るために会盟に参加しながらも、国に悪(禍)をもたらせば、私は亀裂が生まれた壁よりも大きな罪を犯したことになるではないか。季孫は憎むべきかもしれないが、魯には罪がない。叔(叔孫)が国を出て会議に参加し、季(季孫)が国を守るのは、以前から繰り返されてきたことである。誰を怨む必要があるのか」
言い終えた叔孫豹は続けてこう言った。
「そうは言っても、鮒(楽王鮒)は賄賂を好む男。何も与えなければ、収まらないか」
叔孫豹は楽王鮒の使者を招くと、裳(衣服の下半身の部分)を裂いて帛を渡し、
「帯は細すぎる」
と言った。叔孫豹の帯は細すぎるため彼への礼物にするには相応しくない、だから裳を切り裂いて帯として贈ろう、という意味である。
表面上は自分の帯は細すぎるという謙遜の言葉を述べているものの、実際は装飾された帯ではなく普通の帛を贈っている。
叔孫豹の言葉を聞いた趙武は、
「患憂に臨みながらも国を忘れないのは忠である。危難を思っても職責を守るのは信である。国のことを図り、死を惜しまないのは貞である。この三者を中心にして考慮することができるのは義である。彼には四者がある。殺してはならない」
と言い、楚にこう伝えた。
「確かに魯には罪がありますが、その執事(叔孫豹)は難を避けず、楚の威を恐れながらも楚の命を敬っております。あなたは彼を赦して左右(楚の群臣)の教訓となさるべきです。もしもあなたの群吏が国内で汚(困難)を避けず、国外で難から逃げなければ、憂患がなくなりましょう。憂患が生まれるのは、汚を治めず、難があっても守らず逃走するからです。この二者を全うできれば憂患の必要はありません。賢能の者の地位を安定させねば、誰があなたに従うでしょうか。魯の叔孫豹は賢能というべき人物です。彼を赦すことで他の賢能の者を安定させるべきでございます。あなたが諸侯の会に参加して、罪がある国を赦し、更に賢能の者を賞せば、全ての諸侯が喜んで楚に帰順し、疎遠な者も近親のように親しくなりましょう。また、国境の邑は頻繁に所属が代わるもの。常態というものではございません。王や伯(覇者)の政令とは、封疆(国境)を定めて官員を任命し、表旗(国境の標識)を立てて制令(国境の取り決め)に書き記し、過ちがあれば(国境を超えたら)刑を用いるものではありますが、それでも境界の邑を一定にすることはできません。だから明王の時代においても虞(舜の時代)には三苗がおり、夏には観・扈がおり、商には姺・邳がおり、周には徐・奄がいたのです。令王(明王)がいなくなってからは諸侯が拡大し、斎盟の主も交代してきました。これでは一定になるはずがないではありませんか。大(国の滅亡や国君の弑殺等)を憂いて小(小さい問題)を棄てることができてこそ、盟主になることができるのです。小事まで関与する必要はございません。封疆の削減は、どこの国でもあることです。斎盟の主がそれを全て解決できましょうか。呉や濮には隙がありますが、楚の執事(執政官)は盟約を守り、呉や濮に進攻しないと約束できましょうか。莒の疆事(国境の事)は、楚には関係ないことであり、諸侯もこれを煩い(討伐の原因)としなくてもいいはずではありませんか。莒と魯は鄆を争って久しく、社稷に対して大害がないようならば、わざわざあなたが守ることもありません。煩わしい事を除き、善を赦せば、皆が尽力するようになりましょう。あなたはよく考えるべきです」
晋が強く要求したため、楚は同意し、叔孫豹は禍から逃れることができた。
楚の令尹・囲が趙武を宴に招き『大明(詩経・大雅)』の首章を賦した。周の文王を称える内容で、公子・囲は自分を文王に喩えている。
趙武は『小宛(詩経・小雅)』の第二章を賦した。天命は一度去れば、再び戻る事はない。という内容で、公子・囲を戒めている。
宴が終わってから趙武が叔向に聞いた。
「令尹は王のようにふるまっているようだが、どう思う?」
「楚は王が弱く令尹が強いため、成功するでしょう。しかし善い終わりを迎えることはできないかと思われます」
「何ゆえにそう言い切れるのか?」
「強に頼り、弱に勝ち、その地位を安定させるのは、強の中でも不義に属す行為です。不義にも関わらず、強ければ、倒れるのは速くなります。『詩(小雅)』にはこうあります『強大なる宗周は、か弱い褒姒に滅ぼされてしまった』これは強くても不義であったということです。令尹が王になれば、必ず諸侯を求めるでしょう。楚が強くなり晋が弱くなれば、諸侯は楚に向かいます。もし諸侯を得ても暴虐がますますひどくなるようならば、民はこれに堪えることができません。これでは善い終わりを得るはずがございません。強によって王位を手に入れ、不義によって勝てば、それが常道になりましょう。淫虐が常道になったら、久しく保つことはできません」




