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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代

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鄭の子産

 楚の令尹・公子・が大司馬・蔿掩を殺して家財を奪った。

 

 申無宇しんむうが言った。


「王子(公子・囲。楚は王を名乗っているので、その子は「王子」になる。「公子」は『春秋左氏伝』等、史書による呼称)は禍から逃れられないだろう。善人とは国の主である。王子は楚の相として善を育てなければならない立場であるにも関わらず、逆にそれを虐げている。これは国に禍をもたらすことだろう。しかも司馬というのは令尹の偏(補佐)であり、王の四体(手足)というべきもの。民の主を絶ち、自身の偏を去り、王の体を除けば、国に禍を招き、これ以上大きな不祥はない。難を逃れられるはずがない」

 

 宋で火災があったため、諸侯の大夫たちが会して救済を相談し、宋に財貨を送ることにした。

 

 諸侯の大夫が澶淵で会した。

 

 晋の趙武ちょうぶ、魯の叔孫豹しゅくそんひょう、斉の公孫蠆こうそんそう、宋の向戌しょうじゅつ、衛の北宮佗ほくきゅうた北宮括ほくきゅうかつの子)、鄭の罕虎かんこ子皮しひ)と衛、曹、莒、邾、滕、薛、杞、小邾の大夫が集まった。

 

 しかし大夫達は一堂に会したものの、結局、宋の救済は行うことはなかった。

 

『春秋左氏伝』はこの会を「不信(信がない)である」と批難した。


「子皮殿、宋の火災への救援は行わなったのですか?」


 子産しさんがそう尋ねると子皮は、


「ああ、どうにも趙武殿がなあ、人の言葉を良く聞き逃したり、同じ言葉ばかり繰り返すなどしてな。どうにも調子が悪く、諸大夫らをまとめられなかったのだ」


「ほう、あの趙武殿が……あの方は優しい方ですので、調子が悪いとはいえ、宋を助けると思いましたが」


「大夫らはそれを見て、不安を覚えてそれどころではなかったのだ。何より、向戌殿が独力で何とかすると言ったのだ」


 ある意味では、趙武の調子悪さを見て、向戌は趙武は頼りにならないと判断したのである。


「趙武殿は優しすぎるのだ。故になんでもかんでも背負いこみ過ぎるのだ。優しいにも限度はある」


「確かにそうですね。それでも優しい方であったが、ために宋の盟を結べたのですよ」


「そのとおりではある。だが、私は汝の優しさの方が好きだがな」


 子産が首を傾げると子皮は言った。


「虐げる者と虐げられる者がいる時、虐げられる者に寄り添いながら和解を目指すのが趙武殿。虐げられる者のために虐げる者と戦おうとするのが子産殿だ。この優しさに上下は無く、優しさの形が違うだけだが、私は子産殿の優しさの方が好きだ」


 子皮はそう言って、笑った。











 

 帰国して数日後、子皮は子産に政権を譲ろうとした。

 

 しかし子産は辞退した。


「国が小さく、大国の圧力を受けております。族が大きく寵も多いため(権貴な大族が多いため)、私には無理です」

 

 しかし、子皮は頑固として譲らず、


「虎(子皮の名)が彼等を率い、命ずれば、あなたに逆らう者はいない。大いに国を補佐してくだされ、国に小さいも大きいもない。たとえ小国でも大国にうまく仕えることができれば、寬となる(余裕ができる)。それができるのはあなただ」

 

 子産は子皮に同意して執政を開始した。

 

 先ず、最初に彼が行ったことは公孫段こうそんだん(字は子石しせき伯石はくせきともいう)に政務を命じ、同時に邑を贈った。

 

 これに疑問を覚えた子大叔したいしゅくが子産に問うた。


「国は皆のものでございます。なぜ彼だけに邑を贈るのでしょうか」

 

 子産が答えた。


「無欲になるのは難しい。皆の欲を満足させながら命令に従わせ、成功を得ることができるとすれば、それは私の成果となる」


 事を成就することができるかどうかは執政する者がどのように人を使うかにかかっているのである。


「邑を惜しむことはない。邑がどこに行くというのか」


 元々邑は鄭のものであるのだから、鄭の臣下に邑を与えたとしても問題はない。

 

 納得できない子大叔は、


「四方の国々が批難すれば、どうなさるおつもりでしょうか?」

 

「邑を与えたのは群臣を仲違いさせることではなく、皆を従わせるためである。四国を憂いる必要はないではないか」


 国内が団結していれば、諸国がこれを非難する必要性がどこにあるというのか。


「『鄭書(鄭の史書)』にはこうある『国家の安定を望むのであれば、先ず大きい者から始めよ』と、先ずは大族を安定させて、彼等がどうするかを観ようではないか」

 

 暫くすると公孫段は不安になって邑を返還した。しかし子産はそれを許さず、笑みを浮かべながら邑を公孫段に与えた。


 公孫段としては、これがとんでもなく恐ろしかった。

 

 彼は伯有はくゆうが死んだことで、鄭の簡公かんこうが大史(太史)に命じて公孫段を卿に任命させるということがあった。

 

 大史が公孫段に卿を任命することを伝えると、彼は辞退した。そのため大史が退席すると、公孫段は大史に会いに行き、再び卿に任命するよう求めた。


 太史は首を傾げながらも、元々任命するのだからと改めて任命を宣言したが、公孫段はまたしても辞退した。これが繰り返され、三回目に公孫段はやっと入朝して任命を受け入れた。とんでもない偽善的行為であった。

 

 このことは子産にも伝えられ、彼は公孫段を嫌うようになったという話は有名であったのである。その彼が自分にわざわざ、邑を与えるというのである。警戒するのは当たり前と言える。


 子産は彼を嫌っていた。そのため彼を近くに敢えて、置くことで睨みを効かせようとしたのである。子産は人の好き嫌いははっきりしている方である。

 

 次に子産は都(都市部のこと。国都や采邑。大夫・工商が多く住む場所)と鄙(郊外の田地。農民が多く住む場所)の区別をはっきりさせ、上下の秩序に従って職責を与えた。


 こういう区画整理を行えるのは、強権を振るわねば中々できない。現代の区画整理よる立ち退きに関する揉め事を思えば、想像はしやすいだろう。

 

 田地の境界を定め、灌漑を行って水路を増やした。


 井田制では九夫(九家の農民)が一つの井戸を共用していたが、新たな区画が行われたため、廬井の配置も変わった。廬は農舎、井は井戸の意味である。これらが基礎となって税制が整理された。これにより、井田制が崩壊していくことになる。

 

 更に子産は大人(卿大夫)の中で忠倹の者に親しみ、驕慢奢侈な者を淘汰していった。

 

 豊巻ほうかん(字は子張しちょう穆公ぼくこうの子孫)が自分の家の祭祀を行う際、子産に田(狩猟)の許可を求めた。祭品を得るためである。


 しかし子産は拒否した。


「国君だけが狩猟で得た新鮮な獲物を供えることができる。衆人の祭祀は、だいたい足りていればそれで充分ではないか。狩りの必要性は無い」

 

 これに怒った豊巻は退席すると兵を集めた。戦闘を避けて、子産は晋に奔ろうとしたが、子皮が子産を留めた。


「言ったであろう。私が命を守らせると」


 彼は逆に豊巻を放逐してしまった。豊巻は晋に出奔した。

 

 更に徹底しようとした子皮に対し、子産は豊巻の田と里(住居)を没収しないように求め、三年後、豊巻を帰国させて田、里と三年間分の収入を全て返した。

 

 子産が政治を始めて一年目、人々はこう歌った。


「我等の衣冠(税)を奪い、蓄えとし、我等の田地を奪い税を課すものがいる。誰が子産を殺すというのであれば、私もそれに協力するだろう」


 随分、殺意の高い歌である。

 

 三年後には民はこう歌うようになった。


「我等に子弟がいて、子産が教導する。我等に田地があり、子産が増産させてくれる。もしも子産が死ねば、誰に跡を継げるというのであろうか」


 子産の改革の成果を認めた歌である。


 子産がこれほどの改革を成し遂げたのは、子皮と簡公が子産に全幅の信頼を置き、断行させたことである。


 簡公は子産に常常こういっていた。


「私は宮内の政(事務)に関しては出さず、逆に宮外の政(朝廷の政治)を宮内に入れないようにしている。衣裘(衣服)が美しくなく、車馬に装飾がなく、子女の品徳が高尚ではなければ、それは私の醜(恥。過失)である。しかし国家が治まらず、封疆が不正であれば(国境が安定しないのであれば)、それは汝の醜である」


 自分は国君としての職務を果たそう。だから、子産も相としての職務を果たせば良いと言っているのである。

 

 子産は簡公が死ぬまで相として政治を行い、その結果、国内では乱が起きず、国外では諸侯の脅威がなくなった。





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