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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第九章 名宰相の時代
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季礼

 魯が杞に田(土地)を還すことになったため、杞の文公(ぶんこう)が魯に来て盟を結んだ。

 

 呉が季札(きさつ)を魯に送って聘問した。呉の魯に対する聘問はここから記録が始まる。


「ここが魯……」


(かつて父が訪れ、礼というものに触れた国……)


 父がここの礼に触れ、その結果、礼に長けた自分を国君に据えようとした。


(私は国君の資格もなければ、その器でもない)


 そのことは自分が何よりも知っている。


(とりあえず、中原の国を見て、中原の礼に触れ、呉のことを知ってもらうことが私の仕事だ)

 

 季札は先ず、魯の叔孫豹しゅくそんきょうに会って喜んだが、同時に危うさも感じたため、こう忠告した。


「あなたは善い終わりを迎えることができないかもしれません。善を好みながらも相応しい人材を選べていないからです。君子の重要な任務は人を選ぶことにあるといいます。あなたは魯の宗卿であり、大政を任されていながら慎重に人を推挙しておりません。どうして禍に堪えることができるでしょうか」

 

 叔孫豹はその言葉を受け入れつつも本当の意味で、その言葉を活かすことはなかった。

 

 季札は魯に対し、周楽(周代の礼に則った音楽)の観賞を望んだ。周公・(たん)を始祖とする魯は、周王室から虞舜・夏・商・周四代の楽舞を行うことが許されていたからである。

 

 魯の襄公(じょうこう)は楽工らに彼に内容を知らせずに『周南』と『召南』を披露させた。音楽が奏でられ、歌が歌われる。『周南』以下、全て『詩経』に収録されている。

 

『周南』と『召南』は周の王業を助けて南方にまで教化を進める周公・旦と召公・(せき)を称える歌である。


 聞き終わってから季札は『周南』と『召南』であることを指摘してから感想を述べた。


「美しい。王業の基礎が造られたものの、まだ完成していません。それでも民は勤勉に働き、怨みを持っておりません」

 

 次に『邶風』『鄘風』『衛風』を披露した。


 邶・鄘・衛は商の王畿だった場所に位置し、「三監」とよばれるそれぞれ独立した国であったが、周王室に対して謀反したため、周公・旦に平定され、衛に統一された。

 

 聞き終わった季札が言った。


「美しく深淵と言えます。憂いがありながら困窮しておりません。衛の康叔(こうしゃく)武公(ぶこう)の徳というのはそのようだったと聞いています。『衛風』は二子を歌っているのでしょう」

 

 次に『王風』を披露した。周王室が東遷する内容である。

 

 季札は、


「美しい。周室の衰退と滅亡を憂慮しつつも先王の遺風があるため、恐れておりません。これは周が東に遷ってからの歌でしょう」


 としっかりとどのような詩かを指摘していく。

 

『鄭風』を披露すると、季札は、


「美しい。しかし内容が細かすぎであると言えましょう」


『鄭風』は男女の恋愛に関する内容が多く、政治に関するものは少ない。そのため取るに足らないことが多いと指摘したのである。


「それでは民は堪えることができません。鄭は先に滅びましょう」

 

  鄭は教化の程度がこのようなため。政治も正しく行われず、民の負担が多くなる。そのため滅びも早いと言ったのである。

 

『斉風』を披露すると、季札が言った。


「美しく広大ですね。これこそ大風(大国の気風・音楽)と言えましょう。東海を率いる太公(たいこう)呂尚(りょしょう))の国は、量り知ることができません」

 

『豳風』を披露すると、季札は、


「美しく膨大ですね。楽しみながらも淫することがなく節度があります。周公の東征(管・蔡の乱)を歌っているのでしょう」

 

『秦風』を披露すると、季札は、


「これは夏声ですね(古代は西方を「夏」といい。秦は西方の国であるため、秦の音楽を「夏声」という)。夏は大を意味しております。大が頂点に達しています。周の旧楽でしょう」

 

 秦の地は周族が振興した場所であるため、周の古い音楽の影響を受けていた。

 

『魏風』を披露すると、季札が言った。


「美しく起伏に富んでおります。粗く大きいにも関わらず穏和で、険しいにも関わらず、進むのは優しいのは、徳によって補佐しているからでしょう。これこそ盟主と言えます」

 

 魏は元々姫姓の国であったが、この頃は晋に滅ぼされて魏氏の采邑になっているため、季札は晋の魏氏を評価している、

 

『唐風』を披露した。唐は晋の祖・叔虞(しゅくご)が最初に封じられた場所で、(ぎょう)が都にしていたといわれている。

 

 季札は、


「思慮が深く。陶唐氏(堯)の遺民が居るのでしょう。そうでなければこれほど遠くを憂いることはできません。令徳(美徳の者)の後代でなければ、誰がこのようでいられると言えましょう」

 

『陳風』を披露すると、季札はこう言った。


「国に主がおられません。長くないでしょう」

 

『鄶風』と『曹風』も披露されたが、季札は評価しなかった。

 

『小雅』を披露すると、季札が言った。


「美しい。憂いがありながらも二心を抱かず、怨みがあっても言葉にしません。憂いや怨みがあるのは周の徳が衰えているためでしょうか。しかしまだ、先王(文王(ぶんおう)武王(ぶおう))の遺民がいます」

 

『大雅』を披露すると、季札は、


「広大で、和して楽しそうですね。曲がっているのに本体が真っ直ぐであるのは、文王の徳でしょうか」

 

『頌』を披露すると、季札は称えた。


「頂点に達しました。正直でありながら不遜にならず、曲がっても屈せず、近くても侵さず、遠くても疎遠にならず、離れても乱れず、往来を繰り返しても厭わず、悲しみつつ憂いず、(天命を知るという意味である)、楽しみつつも度を越さず、用いながらも窮せず、広くても表すことなく(心が寛くても自分からそれを見せることなく)、施しは浪費にならず、物を得ても貪欲にならず、静止しつつも停滞することなく、行動しつつも勝手に流れることがありません。五声(古代の五つの音階)が和し、八風(八音。八方向の風の音)が平(協調)し、節に度があって秩序を守っております。これは盛徳の人が持っていることでしょう」

 

 歌が終わると季札は舞を観た。

 

 まず、『象箾』と『南籥』の舞を見て、こう言った。


「美しい。しかし憾(遺憾)もありますね」

 

 二つの舞踏は文王を称える舞である。文王は天下統一の前に死んでしまったため、「憾がある」と言ったのである。

 

 武王の舞楽である『大武』を見て、こう言った。


「美しい。周の隆盛はまさにこのような状態だったのでしょう」

 

 商王朝の湯王(とうおう)を称える『韶濩』を見て、こう言った。


「聖人のように弘大でありながらも、慙徳(徳に対する慙愧の気持ち)もあります。聖人とは難しいものです」


 湯王は臣下の身でありながら桀王(けつおう)を倒したことで天下を得たため、こう言ったのである。

 

 次に夏王朝の禹王(うおう)を称える『大夏』を見て、こう言った。


「美しい。勤労でありながらも己に徳があるとは思っておりません。禹でなければ、このような舞楽はできなかったでしょう」

 

 (しゅん)を称える『韶箾(䔥韶)』を見て、こう言った。


「徳が頂点に至りました。偉大ですね。天に覆いがなく、地に乗らない物がないのと同じと言えましょう。これ以上大きな盛徳はないでしょう。これで観るのを止めておきます。他に舞楽があったとしても、これ以上、観ることは必要はありません」

 

 この季礼の適切な論評は魯の人々を感動させた。ここまでしっかりとした指摘ができる人物は魯には既におらず、中原諸国の中にもほとんどいないからである。


 その後も季札は魯を始め各国で敬われていく。

 

 斉では晏嬰あんえいに会って喜び、こう言った。


「あなたは速く邑と政(政権)を公室に還すべきです。邑と政がなければ難から逃れることができるからです。斉の政は向かうところが決まっております。そこに至らなければ、難が鎮まることはないでしょう」


 彼はいずれ斉の政治が陳氏に帰すことになると斉の状況を見て判断した。


 晏嬰はこの指摘を受け、すぐに行動に移した。そして、ある家に出向いた。


 突然、晏嬰が屋敷にやってきて、陳無宇ちんむうは大いに驚いた。


(何しに来たのか?)


 彼は内心、晏嬰のことが苦手いや、嫌いである。それは相手も同じことだと思っていた。


「何しに参ってきたのでしょうか?」


「一つ頼みたいことがあり、参りました」


「頼みたいこと?」


「私の政と邑の返上することについてお口添えを願いたく」


「ほう」


(奇妙なことをいうものだ……)


 陳無宇はそう思いつつも、


(この男の願いを叶えるというのも良いものではある)


 自分が相手よりも上の立場にたったように思えるからだ。


「わかりました。引き受けましょう」


「感謝します」


 晏嬰はほっとした。


 こうして陳無宇を通して晏嬰の政と邑を返上された。そのおかげで、後の混乱から逃れることができたのである。









 

 次に季礼は鄭を聘問し、子産(しさん)に会った。二人はまるで旧知のように親しくなり、季札は縞帯(白絹の帯)を贈り、子産は(麻の服)を贈るほどの仲になった。

 

 季札が子産に言った。


「鄭の執政(伯有(はくゆう))は奢侈であるため、間もなく禍難が及び、政権はあなたに渡りましょう。あなたは礼に基づいて慎重に政治を行うべきです。そうしなければ、この国は滅びます」

 

 鄭はぎりぎりの状況で踏みとどまっており、ふとしたことで、一気に滅亡しかねない危うさが秘められているからである。

 

 季札はその後、衛に行き、蘧伯玉(きょはくぎょく史狗(しく)史朝(しちょう)の子)、史鰌(ししゅう)史魚(しぎょ))、公子・(けい)公叔発(こうしゅくはつ)、公子・(ちょう)(あるいは「公孫朝(こうそんちょう)」)と親しくなった。


「衛には君子が多いため、患憂はまだないですね」

 

 季礼は衛から晋に行く途中、戚(孫林父(そんりんぼ)の食邑)に泊まろうとした。


 そこで鐘の音を聞いた。


「不思議なことだ。変(乱。主君を駆逐したこと)を起こしながらも徳がなければ、必ず誅殺されるというのに、彼(孫林父)は主君の罪を得てここにおり、恐れを抱いても足りないはずであるのに、何を楽しんでいるのだろうか」


 鐘の音は孫林父が音楽を楽しんでいたことを表す。


「彼がここにいるのは、まるで燕が帳幕の上に巣を作るようなものである」


 帳幕はいつでも撤去できるため、巣は破壊される危険がある。


「しかもその国君は殯にいるにも関わらず、楽しんでいていいのだろうか」


 衛の献公(けんこう)は死んだばかりで、まだ埋葬されていない。埋葬される前の状態を殯という。

 

 季札はそのまま戚を去った。

 

 これを聞いた孫林父は、終生、琴瑟(音楽)を聴かなくなったという。

 

 傲慢の塊のようなこの男も季礼の言葉には相当、堪える部分があったようである。










 季札が晋の国境を入ると、


「ああ、暴(暴虐)の国であるなあ」


 と言い、国都に入ると、


「ああ、力屈(民力を消耗すること)の国であるなあ」


 と言い、朝廷に入ると、


「ああ、なんと乱れた国であるなあ」


 と言った。従者が問うた。


「あなた様は晋に入って間もないにも関わらず、なぜ躊躇することなくそのようなことを言うのでしょうか?」

 

「私が国境に入った時、田地は荒れ果て、雑草が茂っていた。そこから国の暴を知った。都に入ると、新室(新しい家)の質が悪く、故室(古い家)の方が美しかった。新しい壁は低く、古い壁は高い。そこから民力が消耗されており、民には以前にまさる家を建てる力がないことを知った。朝廷に立った時、晋君は意見を聞くだけで下に問うことがなく、臣下は善伐(自分の功績を誇って自慢すること)するだけで上を諫めようとはしなかった。そこから国の乱れを知った」

 

 季札は晋に入って趙武ちょうぶ韓起かんき魏舒ぎじょと会い、喜んでこう言った。


「晋の政権はこの三族に集まることでしょう」

 

 季札は叔向(しゅくきょう)とも意気投合した。


 晋を去る時、叔向にこう言った。


「あなたは勉めるべきです。主君は奢侈であるものの良臣が多く、大夫が皆富んでおります。政権はやがて家(卿大夫)に移るでしょう。あなたは直言を好みますので、難から逃れる方法をよく考えるべきです」


 少し、話をさかのぼるが季札が呉を出たばかりの時、途中で宝剣を帯びて徐を訪ねたことがあった。


 剣を見た徐君は言葉にはしないものの、季礼は彼の顔色から剣を欲していることが分かった。


 しかし諸国に行かなければならないため、心中ではいずれ剣を譲ると決めていたが、献上せずに旅を続けた。

 

 晋から帰る途中、徐君は楚で死んだ。季礼は剣をはずすと嗣君(徐君の後継者)にこれを譲った。

 

 従者は慌てて、


「これは呉の宝でございます。人に贈ってはなりません」

 

 季礼は、


「人に贈るのではない。以前、徐君は言葉にしてはいなかったが、剣を欲していた。私は上国(諸侯)を巡らなければならなかったため献上しなかったが、心中では譲ると決めていた。死んだからと言って献上しなければ、自分の心を欺くことになるではないか。剣を愛して心を偽るのは、廉者がすることではない」

 

 と言って、季礼は剣を嗣君に譲ると、嗣君はこう言った。


「先君からそのような命は受けておりません。私はその剣を受け取ることができません」

 

 そこで季礼は剣を帯びて徐君の墓に行き、樹木に剣を掛けて去った。

 

 徐人は彼を称賛してこう歌った。


「延陵季子、故人を忘れず、千金の剣をはずし、丘墓に帯びさせん」

 

 この故事は「季札掛剣」という美談として後々まで語り継がれている。



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