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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第八章 暗き時代

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周の太子・晋

 晋の平公へいこう程鄭ていていを寵信しており、下軍の佐に任命した。欒盈らんえいの代わりである。


 鄭の行人(使臣)・公孫揮こうそんき子羽しう)が晋を聘問した時、程鄭が彼に会って、言った。


「どうすれば降階(降格)できるでしょうか?」


 公孫揮は驚きのあまり、答えられなかった。本来、出世すれば、喜び更なる出世を望むものである。それなのに、この人は降格を望んでいる。


 彼は帰国すると然明ぜいめいにそのことを話した。


 然明はこう言った。


「彼はもうすぐ死ぬか、亡命することになるでしょうな。身分が貴くなれば、恐れを知り、恐れて降階を心配するが故に、自分の能力に相応しい位階を得ることができるのです。降階とは、自分の位を人に譲って自ら人の下になるというだけのこと。わざわざ質問することではない」


 わざわざ、自分から降格したのだが、どうしたら良いのかなど、一臣下に過ぎない男が、他国の臣下に問いかけるのは、可笑しいのだ。


「既に高位に登って、自分には相応しくないと思って階位を降ろすことができるのは、知人(智者)というでしょう。しかし程鄭のような者にはそうではない」


 程鄭は所詮、阿諛追従によって卿位を得たに過ぎず、智者と呼ばる人物ではない。


「彼の質問は亡命の予兆でしょう。そうでなければ惑疾(不安で精神が安定しないこと)であり、もうすぐ死ぬことを知って憂いているのでしょう」


 そういう見方もあるのかと子羽は関心した。しかし、これほどの男だが、実は子産しさんに嫌われている男でもある。


 理由としては、この男の顔が醜悪というところにある。


 人の性格は顔に出ると信じられていた時代であるというより、容貌で相手を判断してしまうのは、どの時代も共通であると思うべきである。


「子産殿と早く話したいものだ。早よ、紹介せい」


(あとは、このがめつさであろうな)


 子羽は笑った。








 この頃、晋は叔向しゅくきょうを周に派遣していた。


 彼が周に入ると諸大夫に礼幣(礼物)を贈った。


 卿士・単靖公ぜんせいこう単襄公ぜんじょうこうの孫、頃公けいこうの子)にも幣を贈ったため、単靖公は宴を開いて叔向をもてなした。


 宴そのものは質素であったが、単靖公の態度は恭敬で、贈(礼物)も餞(飲食)も単靖公より上の立場にいる人として用意された。但し度を過ぎることもなかった。


 また、個人的に交流することもなく、見送る時も郊外を出ず、宴席では『昊天有成命(詩経・周頌)』を歌った。


 この態度に叔向は大いに称えた。


 周を聘問した叔向は次に太子・しんと会った。


 彼と答弁をしたが、五件のうち三件は言葉に窮した。叔向は不才を恥じて帰国し、平公にこう言った。


「太子・晋は十五歳ですが、私はまともに受け答えができませんでした。主公は声就と復与(どちらも晋が周から奪った邑)の地を返すべきです。もしも返さねば、太子が天下を得た時、咎を受けることでしょう」


 平公は同意しようとしたが、師曠しこうが反対した。


「瞑臣(盲目の臣。師曠は盲目の楽師)を派遣して太子と話をさせてくださいませ。私に勝てれば、土地を返せばよろしいかと思います」


 師曠は周に入り、太子・晋に会って言った。


「王子の語は泰山より高い(無上。この上ないほど優れている)と聞きましたので、私は夜も眠れず、昼も落ち着かず、遠路を苦ともせずここまで参りました。一言をいただきたいものです」


「私は太師(師曠)が来ると聞いてとても喜びましたが、同時に恐れも抱きました。何故ならば、私はまだ幼く、あなたに会って畏怖し、心の内のことを全て忘れてしまいました。だから授けられる言葉はございません」


「王子は古の君子のように事を成就しても驕ることがないと聞きました。その太子に会えるので晋から周に来るのにも、労苦を感じなかったのです。是非とも言葉を戴きたい」


「古の君子は、その行いは慎重で、食糧を蓄え、道路に障害を設けず、百姓を喜ばせることができたといいます。人々は君子に会うために遠くから助けあって訪問し、喜びのおかげで遠路を遠く感じなかったものです。私は古の君子には及びません」


 師曠は太子を称賛してから言った。


「古の君子の行動は、我々の準則にすることができるもの。しゅんより後で誰に広徳があったでしょう」


「舜は天のような人物です。舜は自分の場所にいたまま天下を利し、遠方の人も保護し、人々は皆、仁を得ることができた。このような存在を天と申します。禹は聖(聖人)です。労苦が多くても功を誇らず、天下を利しました。取ることを好まず、与えることを好み、度が正であること(物事が適切・適度であること)を求めてきました。このような存在を聖と申します。文王ぶんおうの大道は仁であり、小道は恵でした。天下の三分の二を擁しながらも、他者を敬い商に仕え、天下の衆を得た時にはその身を失いました(逝去しました)。このような存在を仁と申します。武王ぶおうは義です。一人を殺すことで、天下を利し、異姓も同姓もいるべき場所を与えられた。このような存在を義と申します」


 師曠は太子を称賛してから、また言った。


「名号の区別において、異姓、外邦も含む王・侯・君・公の中で、どれが最も貴く、最上と申しましょうか?」


「人が生まれると丈夫(男子)を重視するものです。丈夫は『胄子(長子。後継者)』になるからです。胄子が成長し、官に就けば、『士』となり。士が衆を率い、適時に労作すれば、『伯』と呼ぶようになり。伯が善事を大衆に広め、百姓と好悪を共にできれば、『公』と呼ばれるようになり。公が名声を得て万物を養い、天道と共に歩むことができれば、『侯』になります。侯が群を治めることに成功すれば、『君』になります。君に広徳があり、諸侯を任じ、信を守れば、『予一人』と呼び、善が四海に及べば、『天子』です。四荒(四方の荒遠の地)に及べば、『天王』です。四荒の人々が帰順し、怨みも非難も無ければ『帝』に登ることができましょう」


 師曠は厳粛な顔をして言った。


「温恭敦敏(温厚聡明)で普遍の徳を変えず、物を聞き、下から学んで帝臣に登り、最後は天子になった者は誰でしょうか?」


「恭敬な舜は光明まぶしく、義(基準・道理)をもって律を作り、万物が栄えさせました。自然界の財を均等に分割し、万物(民衆)を楽しませるのは、舜でなくて誰にできたでしょうか」


 師曠は足踏みして、


「素晴かな。素晴かな」


 と言った。


 ここまで師曠が太子に質問し、太子は完璧な回答をしてきた。


 ここからは太子が師曠に質問するようになった。


 太子が最初に質問したのは、


「太師はなぜ足踏みするのでしょうか」


 というものであった。


 師曠が答えた。


「天が寒く足がつりやすくなっております故、頻繁に足を動かしているのです」


 そこで太子は師曠を部屋に招くと、席を設けて瑟を渡した。


 師曠は『無射』という曲に合わせて歌を歌った。


「国は確かに安定し、遠人が観光にやって来た。義を学んで久しく、音楽を好も、頽廃することはない」


 師曠が太子に瑟を返すと、太子は『嶠』を歌った。


「なぜ、遥か遠い南から、遥か遠い北の地まで来たのでしょうか。国境を越える道のりを遠いと思わないのでしょうか」


 これは師曠がわざわざ周に来た理由を聞いている。


 師曠が来た理由は太子の能力を確認し、周から奪った地を返すか返さないかを判断することである。しかしそれを言うわけにはいかない師曠は急いで立ち上がって、


「瞑臣はここまで帰ろうと思います」


 と言った。


 太子は一乗の車と四頭の馬を贈ってこう聞いた。


「太師は車を善く御しましょうか?」


 師曠は首を振って、言った。


「御術は学んだことがございません」


 太子は疑問に思って言った。


「あなたは『詩』を研究しているのではないのでしょうか。『詩』にはこうあります『馬が剛烈ならば、手綱を緩め、馬が剛烈でなければ手綱を固くする。心は柔軟であるべきで、決断に迷ってはならない』これが御術です」


 つまり、詩には御術の教えがあるではないか。それなのに、御術を学んだことはないと言えないのではないかと言いたいのである。


 師曠が言った。


「瞑臣は目が見えないので、人を見分ける時は耳だけが頼りなのです。しかし耳も寡聞なので(聞き洩らすことが多いので)、太子の言葉は大変高尚であるため、言葉に窮してしまいます。王子は天下の宗(明主)になるのではないでしょうか」


「太師は私に冗談を言っているのでしょうか。太昊(伏羲)以下、堯・舜・禹に至るまで、一つの姓で再度天下を有した者はおりません。木は伐るべき時に伐らなければ、天から与えられることはないのです」


 天命とは測りがたいものである。時機を得なければ天下の主になることはできず。自分が盟主になるかどうかは、天命次第なのである。


 太子・晋は言った。


「あなたは人の寿命を知ることができると聞きました。教えていただけましょうか?」


「あなたの声は清汗です。あなたは赤白の色をしているはずですが、火色は長寿ではないようです」


 師曠の言葉にある「清汗」がどういう意味かは分からない。そのためここからは、勝手な推測を話す。


 その推測を話す上で、五行思想の考えを用いてみる。


 五行思想とは戦国時代に成立したものだが、その考え方の原型は春秋時代からあると思われる。


 その五行思想は簡単に言ってしまえば、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなり、それら五種類で、万物を説明することができるという考え方である。


 これを踏まえて、水は色では、青を表し、中国医学では五臓六腑というものがあり、その五臓の内、腎は水を表すことができる。腎は腎臓のこととされているが、実際は微妙に違う。


 火は赤を表し、金は白を表し、臓器では火は心、金では肺を表す。


「清汗」の清は青のことではないか。だとすれば、師曠は太子の言葉を聞き、腎が悪くなっており、それが心や肺にまで影響を与え始めていると言いたいのではないのだろうか?


 閑話休題。


 太子が答えた。


「その通りです。私はこの後三年で、上帝がいる場所に行くはずでしょう。あなたはこの事を口外してはなりません。あなたにも禍が及んでしまいますので」


 師曠が晋に帰ってから三年もせずに、太子・晋の訃報が届けられた。




 師曠のセリフにある「物を聞いて」の箇所は原文では「聞物□□」となっており、物の後の二文字が読めなくなっている。

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