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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第八章 暗き時代

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勇士の生き様

 臧紇ぞうこつが斉に出奔した頃、曲沃で戦闘を行っていた欒盈らんえいが死んだ。


 欒氏一門は皆殺しにされ、唯一生き残った欒魴らんぼうは宋に出奔した。


 この報告は晋から帰国中の斉の荘公そうこうの元に届いた。


「ふん、使えん男であった」


 荘公はそう吐き捨てるように言うと軍を莒に向けるよう指示を出した。


 彼は莒を攻める前、勇士に五乗の賓を与えた。


 五乗の賓というのは爵禄のことのようで、恐らく五乗(一乗は面積で六里四方)の賦税を俸禄にできたことから、この名がついたようである。


 また、勇士に与えられた車が五乗だったのかもしれない。


 この人選の中に入っていないことにがっかりしていた二人の男がいた。


 杞殖きしょく(字はりょう)と華還かかん(字はしゅう)である。


 二人は元気をなくし、家に帰っても食事をしなかった。(家が莒と斉の国境沿い?)すると母が言った。


 因みにどちらの母が誰に言ったのかははっきりしない。二人に言ったのか?


「汝(もしくは汝等)が生きていても義を語らず、死んでも名(功名)がないのであれば、たとえ五乗の爵禄があったとしても、汝を笑わない者はいないのではないのですか。逆に生きている間に義を行い、死んでも名を残せば、五乗の賓も皆、汝の下になるでしょう」


 母は食事をするように勧めた。二人は元気を出して、食事を取り、食べ終わると莒討伐に改めて、従軍した。


 彼らが戻る前に斉軍は且于(莒の邑)の城門を攻撃していた。しかし、荘公が股を負傷したため一時兵を還した。


 荘公は再戦のために、翌日、寿舒(莒の邑)で軍を集結させるように命じた。


 その夜、杞殖と華還は兵車に甲士を載せて且于の隘路に進入し、莒の郊外で堂々と一泊した。











 翌日、彼らに気づいた莒人が迎撃を行ったが、杞殖と華還は車を降りて戦い始め、その武勇は凄まじく、甲首三百を獲った。


「見事である」


 そう二人を称えた荘公は二人を止めて言った。


「戦いを止めよ。私と共に国を治めようではないか」


 荘公は二人の勇猛ぶりを知って、二人が犠牲になることを惜しんだのである。


 しかし杞殖と華還は答えた。


「主公は五乗の賓を設けられましたが、我々には与えませんでした。それは我々の勇を軽視したからではありませんか。しかし敵に臨みて困難に至れば、利によって我々を止めようとしました。それは我々の行動をけがすこと行為でございます。敵陣に深く入って多くの者を殺すのは、武臣の任務。国の利は、我々が知ることではありません」


 二人は戦いを続け、莒軍の陣営を崩していった。莒軍で敵う者はいなかった。


 そんな二人が莒の城下に迫ると莒人は火がついた炭を地にばらまいた。


 これによって、二人の進撃が止められた。すると車右の隰侯重が言った。


「古の士は、艱難を乗り越える時、使える物を利用したと申します。私があなた方を通過させましょう」


 隰侯重は楯を持ったままなんと、火炭の上に伏せた。


 それを見た二人は彼のその行動の意味をすぐに理解し、彼の上を走って渡った。


 渡り終えると二人は振り返って哭した。


 華還が杞殖よりも長く泣いていたため、杞殖が言った。


「汝は勇を失ったのか。なぜ長く哭した」


 華還は毅然とした態度で答えた。


「勇を失うことはない。彼の勇は我々と同じである。しかし我々よりも先に死んだ。だから哀しんだのだ」


 彼らの武勇は敵国である莒人も称賛の声を発し、彼らのこう叫んだ。


「あなた達が死ぬことはない。我々と国を共にしようではないか」


 どれほど超人的武勇を発揮しようと二人だけでは、戦に勝つなどできるはずがないからである。


 更に莒君も二人の武勇を大いに気に入り、彼らに直接、盟を結びたいと言った。


 華還が応えて言った。


「財貨を貪り、君命(莒討伐)を棄てるは、国君が嫌うことである。昨晩、既に命を受けたにも関わらず、日が正午に至る前に君命を棄てれば、今後、主君に仕えることができなくなる」


 杞殖も同意し、言った。


「左様である。自国を去りて、敵に帰順するは、忠臣の行いではなく、主から離れて他者の賜を受け取るのは、正行(正しい行為)ではない。昨晩の主公の命を、日中(正午)に忘れるようでは、信とはいえない。敵陣に深く入り、多くの者を殺すのは武臣の任務である。莒の利は我々が知ることではない」


 二人は戦いを続けた。


 莒君は感嘆しながらも兵たちに一斉に彼らを襲わせた。


 多勢に無勢、二人だけでは、莒軍全てを相手にできるはずはない。しかしながら彼らは二十七人を殺してみせ、戦死した。


 会戦後、莒は斉と講和した。


 荘公が帰還する時、郊外で杞殖の妻に会った。荘公は彼の武勇を失ったことを悲しんだため、使者を送って弔問させた。


 しかし妻はこう言った。


「殖に罪があるのであれば、君命を煩わせることはできません(弔問は不要です)。もしも罪から免れることができるのであれば(無罪なら)、先人(夫)にも敝廬(粗末な家)がありますので、下妾(私)は郊で弔を受けるわけにはいきません」


 当時の礼においては、賤しい身分の者が郊外で弔問を受けることになっていた。杞殖は大夫だったため、正式な弔問を要求したのである。


 荘公は誤りに気がついて杞殖の家に弔問に行った。






 杞殖の妻のその後について書く。


 彼女には子がなく、親戚もいなかったため、夫が死んでから頼るべき人がいなくなった。


 妻は夫の遺体を抱えて城下で泣き続けた。その姿は人々の心を動かし、道を通る者は皆涙を流したという。


 十日後、妻の強い哀痛の情によって城壁が崩れてしまったと言われている。これと似た話が秦代にもある。これが元になった話かもしれない。


 夫の葬儀・埋葬が終わってから、彼女は、


「私はどこに行けばいいのでしょうか。婦人は誰かを頼りにしなければならないもの。父がいれば父に頼り、夫がいれば夫に頼り、子がいれば子に頼るもの。しかし今、上は父がおらず、中は夫がおらず、下は子もいません。内に頼る者がいなければ誠意を明らかにさせ、外に頼る者がいなければ貞節を立てるものです。二人の夫に仕えることはできません(再婚することはできません)」


 と言い、淄水に身を投げて死んだ。


 この時代の勇士の名を歴史に刻んだ二人の人物の物語の裏で、一輪の花が水の中を舞った。



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