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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第八章 暗き時代

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欒盈

 紀元前550年


 三月、杞の孝公こうこうが死に、弟の文公ぶんこう益姑えきこが即位した。


 晋の悼公夫人(晋の平公へいこうの母。杞の孝公の妹)が杞の孝公のために喪に服したが、平公は音楽を退けることがなかった。


 当時の礼では、隣国で喪があったら音楽を廃すことになっていた。


 夏、邾の畀我ひが(または「畀鼻」)が魯に出奔した。この事件の詳細は不明である。


 陳の哀公あいこうが楚に入朝した。


 その時、楚に出奔していた公子・こう(哀公の弟)が二慶(陳の大夫・慶虎けいこ慶寅けいいん)を訴えた。


 楚はこれを受けて、二人を招いたが、二慶は恐れて楚に行こうとせず、代わりに慶楽けいらくを派遣した。楚はこれに怒り、慶楽を殺した。


 これによって、楚が本気で怒ったと思った彼らは哀公不在の陳で謀反を起こした。


 楚の屈建くつけんが哀公に従って陳を包囲した。意外なことに陳人は城を築いて抵抗した。


 哀公は民に嫌われていたようである。


 だが、築城の工事において版(城壁を固める板)が崩れ落ちたため、慶氏は役夫(工事に従事する者)に責任を追及し、殺した。


 それによって、怒った役夫達は互いに連絡を取り合い、それぞれの長を殺すとそのまま慶虎と慶寅も殺した。


 これにより、哀公は入城し、楚は公子・黄を陳に帰国させた。


 


 晋が呉と婚姻を結ぶことになり、晋女が呉に嫁ぐことになった。


 それに目をつけた男がいた。斉の荘公そうこうである。


 彼はこれを晋を打ち倒す良い機会であると考えたのだ。


 彼は晋に晋女のために媵(新婦に従って陪嫁する女性)を送り出すことを願い、許されると析帰父せききほに護送させて送り出した。


 だが、彼が送ったのは決して、媵だけではない。晋から亡命した欒盈らんえいとその士を媵の車に隠していたのだ。


 彼らを使って、晋を混乱させ、その隙に自国の領土を広げようというのだ。


 欒盈としては晋は故郷の国であり、混乱を望んではいない。されど、自分は正しく、正しくない連中がのうのうと生きていることはどうしても許すわけにはいかなかった。


(例え利用されようとも……)


 欒氏再興、己の正義のため、彼は再び晋の曲沃(一説では欒盈の邑)に入った。


 夜、欒盈は曲沃大夫であり、友人の胥午しょごに会いに行った。


 胥午は彼が来たことに驚きつつも、彼を見つからぬように屋敷に招いた。


「何故、このようなところにおるのか?」


「欒氏再興のためだ」


 その後、彼は斉の荘公の協力によって、晋に入ったこと、自分たちが国内で混乱を起こすのに、合わせ斉も動くことを伝えた。


 胥午は首を振って、言った。


「それはいけない。天に廃されたにも関わらず、誰が興隆できるというのか。あなたは死から逃れられない。私は命が惜しいのではない。成功しないと分かっているがために反対しているのだ」


「そうだとしても、あなたの協力を得て死ねるというのであれば、私は後悔することはない。失敗したとしたらそれは私が天に見放されたからであり、あなたの咎にはならない。どうか頼む協力してくれ」


 胥午は上を見上げ、ため息をつくと同意した。友に殉ずることを選んだのである。


 胥午は欒盈を隠してから曲沃の人々を酒宴に招き、音楽を奏でた。胥午が集まった人々に言った。


「もしも欒孺子(欒盈。欒氏の後継者)を探しだすことができるのなら、どうであろう」


 人々が言った。


「主を得てそのために死ねるのであれば、その死は不死と同じことでございます(死ぬ価値があります)」


 人々は嘆息し、泣き始める者もいた。杯をもって胥午が再び欒盈について話すと、人々は、


「主を得れば、二心を抱くことはございません」


 と言った。その言葉に感動しながら欒盈はその場に現れた。皆、驚くと共に、拝礼した。


 彼はそれに答え、一人一人に拝礼した。


 四月、欒盈は甲兵を率いて曲沃を出た。そして、協力を請う使者を魏舒ぎじょの元に送った。かつて欒盈は下軍で魏絳ぎこう(魏舒の父)の佐を勤めていたため、魏舒とも交流があったからだ。


 魏舒は使者が来ると協力を承諾し、昼の間に彼とその配下たちを晋都・絳へ案内した。


 だが、城に入る前に魏舒や胥午は反対したが、その他の六卿へも欒盈は使者を送った。


 されど、どこも良い返事はなかった。


 当然と言えば、当然と言えた。


 趙氏は趙同ちょうどう趙括ちょうかつの難が原因で欒氏を怨んでおり、欒氏に従う義理はなく、韓氏は古くから趙氏と善い関係にあったために趙氏の意見に従っていた。


 中行氏(荀氏の一支)は討秦の役でのことで、欒氏を怨んでおり、士氏とは善い関係にあったためにこれを断り、知盈ちえい知罃ちおうの孫)はまだ十七歳に過ぎなかったために中行氏の指示に従っていた。


 程鄭ていえい(荀氏の別族)は平公の寵臣であるため、欒盈を支持することはなかった。


 魏氏と一部の豪族だけが欒氏に与したことになる。


 


 楽王鮒がくおうふ士匄しかいと一緒にいる所に、欒氏が来たという報告が届いた。


 士匄が恐れると、楽王鮒が言った。


「国君を奉じて固宮(晋君の別宮)に移れば害はないでしょう。欒氏は多くの者に怨まれ、あなたは国政を行っているのです。欒氏は外から来ました(朝廷内で権勢がない)が、あなたは権勢の座におり、多くの利を有しております。利と権があり、更に民柄(賞罰の権利)があるのですから、恐れる必要はございません。欒氏に協力しているのは魏氏だけだそうです。その魏氏も力で取ることができましょう。乱を治めるのは権です。警戒を強めれば問題はございません」


 この時、平公が姻喪(親戚の葬事。悼夫人が杞孝公の喪に服していることを指します)の時だったため、楽王鮒は士匄に墨縗・冒・絰(黒い喪服・冠・帯)を身につけさせ、二人の婦人と輦に乗って平公に会いに行かせた。


 士匄は平公に会うと、彼を連れて固宮(襄公の宮室という説もある)に入った。


 欒盈は国で反乱を起こそうとする上、趙氏といった者たちに呼びかけを悠長に行っている場合ではなかった。さっさと平公の握るか国都において激しい戦闘を行うべきだった。


 正義という名の天秤は士匄側に平公が乗ったことで大きく傾いた。


 士鞅しおうは馬を駆けさせ、魏舒の元に向かった。


 魏舒の軍は既に整列し、士卒は車に乗って欒氏を迎え入れようとしていた。


 士鞅は速足で進んで言った。


「欒氏が賊を率いて侵入しております。私の父と二三子(諸大臣)が国君と共におり、私を派遣してあなたを出迎えさせた。私に驂乗を勤めさせてくださいませ」


 そう言うや否や、士鞅は車上の帯を持ち、魏舒の車に飛び乗った。


 彼は右手で剣を触り、左手で帯を握ったまま、車を駆けさせた。


 呆気に取られた僕(御者)がどこに行くか問うと、士鞅は、


「公のところだ」


 と答えた。


「士鞅殿、私は」


「魏舒殿、既に我らが国君を握っております。この時点は勝敗はわからぬあなただけではないでしょう」


 魏舒は顔を俯かせた。彼としても理解はできていたこの戦はもう、欒氏に勝目はないと。


 到着した魏舒を士匄が階前で出迎え、その手を取って曲沃を魏舒の邑にすることを約束した。


 彼は魏氏を守るため、これに従った。








「魏舒殿が……おのれぇ」


 欒盈は激怒し、兵たちに国都へ侵攻するよう命じた。


 国都において、戦闘が始まると欒盈側の督戎とくじゅうという力臣が奮闘し、士氏側の兵はその強さに恐れ、いつもの力が出ない。


 そんな中、裴豹はいひょうという男が士匄の前に進み出て来た。


 彼は隸(奴隷)で丹書が残されていた。丹書というのは罪を犯して官奴になった者の罪状が赤字で書かれた文書のことである。罪人証明書だと思えば良い。


 彼は士匄に言った。


「丹書を焼いて下さるのであれば、私が督戎を殺しましょう」


 士匄が喜んで言った。


「汝が彼を殺してから、もしも国君に丹書を焼くことを請わねば、日(太陽)の咎を受けると誓おう」


 士匄は裴豹を送り出して宮門を閉じた。


 督戎は裴豹を見つけると鉾を振り回しながら、彼の後を追いかけた。裴豹は逃げるふりをしながら低い壁を越えて隠れた。


 督戎が壁を越えたその瞬間、裴豹は後ろから現れ、襲いかかって彼を刺した。


「ひ、卑怯な」


「ふん、喧嘩に卑怯もくそもあるか。馬鹿が」





 欒氏の中でもっとも恐ろしい督戎を殺せたが、欒氏側の勢いは中々に止まらなかった。


 士氏の徒が楼台の裏で待機していると、欒氏の徒は公門(宮門)を登った。


 士匄が士鞅に向かって叫ぶ。


「敵の矢がもし国君の屋根に届けば、汝は死ななければならないぞ」


 恐れた士鞅は剣を抜くと卒(歩兵)を自ら率いて欒氏と戦った。


 これによって、欒氏が退くと士鞅は車に飛び乗って追撃した。


 士鞅は調子に乗っていると欒楽らんがくに遭遇した。


「楽よ、抵抗するな。もし私が死ねば、天に汝を訴えるだろう」


 欒楽は黙れとばかりに矢を射たが外れ、二発目を射るため弦を引いた時、車が槐の木の根元に横転した。


 車から弾き飛ばされたところに士氏の兵が殺到し、戟で欒楽を打って肘を斬り、欒楽を殺した。


 更に欒魴らんぼうは負傷し、欒盈は曲沃に逃げ帰った。晋軍は追撃し、曲沃を包囲した。










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