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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第八章 暗き時代

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救うのは

 欒盈らんえいの党人たちが乱を企てたことにより、党人たちは殺された。


 その殺された中に羊舌虎ようぜつここと叔虎しゅくこがいた。彼は叔向しゅくきょうの弟である。


 それによって、叔向は家臣たちと共に囚われていた。


 ある人が叔向に言った。


「あなたは士氏に協力しなかったため、罪を得ました。これを智と言えるでしょうか?」」


 叔向が答えた。


「捕えられて難を受けることになったがそれは、死や亡命よりはましである。『詩(恐らく逸詩)』にはこうある『自由気ままに歳を送らん』これこそが智である」


 誰にも与せず、政争に巻き込まれるず、自由に生きること。それこそが智であって、自分が捕えられるのは羊舌虎の兄だったからにすぎないのだ。


 自分が智かどうかとは違うことである。


 その後、彼の脳裏にはあることが思い出されていた。


 叔向の母は叔虎の母の美貌を嫉んでいた。


 そのため叔向の母は叔虎の母を夫の寝室に近づけさせようとはしなかった。叔虎が産まれる前の事である。


 叔向を始めとする子供達はそのことで母を諫めると、母はこう言った。


「深山大沢には龍蛇がいるというものです。彼女はとても美しいため、私は彼女が龍蛇を産んで、お前たちの禍になることを恐れているのです。お前たちは敝族(権勢を握らない一族)です。今、国には多くの大寵がおり(六卿が専権し)、不仁の人がその関係を壊そうとしているのです。大変、難しい状況と言えましょう。私自身のためにこうしたのではございません」


 この後、叔向の母が叔虎の母を夫の寝室に行かせたため、叔虎が産まれた。


 叔虎は美貌があり、勇力があったため、欒盈に気に入られた。


 その結果、今回、羊舌氏一族が難を受けることになっている。


(母の言葉が当たったと思うべきか……いや、あの人は父を取られたくなかっただけだ)


 叔向と母との間には溝がある。


 その後、楽王鮒がくおうふ(楽が氏)が叔向に会いに来た。


「私があなたの命乞いをしましょうかな?」


 この言葉に家臣たちは内心、喜んだ。楽王鮒は平公に近似する寵臣なのである。その彼が平公に口添えしてくれれば、開放されるだろう。


 しかし叔向は答えず、楽王鮒が帰る時も拝することはなかった。


 家臣の一人が叔向を咎めた。折角、釈放される機会をもらえそうであったからである。


 叔向はこう言った。


「私を救ってくれる者がいるとすれば、祁大夫(祁奚きけい)であろう」


 それを聞いた室老が叔向に言った。


「楽王鮒は国君に進言して拒否されたことがございません。それなのに、彼があなた様の赦しを請おうとしてもあなた様は同意なさいませんでした。祁大夫では力が及ぶことではございません。なぜ祁大夫でなければだめなのでしょうか?」


 楽王鮒は国君の傍にいて、信頼されているその人物の言葉よりも、既に引退している祁奚がどうにかできるとは思えないのである。


「楽王鮒は国君が言うことなら何にでも従う人物である。彼に任せるわけにはいかない」


 楽王鮒は平公の言葉を先読みして、進言しているだけで、その言葉には信念も何も無い。また、此度の状況は弟が欒盈に関わった部分もあるものの士匄しかいの意思の方が強い。


 今回の事態は国君の意思を動かすのではなく、士匄の意思を動かす必要がある。


 彼の意思を動かすには、祁奚のような信念を持った人の言葉しかない。


「祁大夫は外は讎を棄てて人材を推挙し、内は親族でも遠慮せず選ぶことができた方である。私だけを棄てるはずがない。『詩(大雅・抑)』にはこうある『実直な徳行があれば、四国が帰順するだろう』夫子(彼。祁奚)は覚者(徳を覚った実直な人物)である」


 家臣たちはそれでも不安にかられながら、主の言葉を信じるしかなかった。













 その頃、平公が叔向の罪を楽王鮒に問うていた。それにしても平公は冷たいとしか言い様がない。


 叔向は元々、平公の教育係を勤めていた人物なのだ。平公にとっては恩師であるはずの彼を平公は庇う素振りも見せない。


 楽王鮒は、


「親族(羊舌虎)を棄てるとは思えません。共謀していたことでしょう」


 と答えた。彼は叔向のことを救う気などはさらさらなかった。しかし、叔向が自分に命乞いすれば、少しは力になってやろうとは思っていた。


 だが、叔向は命乞いをしないどころか。拝礼すらしなかったのである。


(あの男は、頭が良いことをいいことに……)


 叔向は自分を下に見ている。そのため、叔向のことが昔から気に食わなかった。


(さっさと死ねば良いのだ)


 そんな男が此度の事態で処刑される。実に滑稽と言えるだろう。


 さて、この時、急いで晋都に向かっていた者がいた。祁奚である。


 彼は告老(引退)して、悠々自適の生活を送っていたが、朝廷の様子を知るや否や、馹(駅車)に乗って士匄に会いに行った。


 祁奚は士匄に言った。


「『詩(周頌・烈文)』にはこうございます。『限りなき恩恵を与え、子孫が永遠にそれを保つことを願わん』また、『書(尚書・胤征)』にもこうございます。『策謀と訓戒を知りし、智者は信を明らかにして己を守ることができるものである』策謀があって過失が少なく、人に訓戒を与えて厭うことがない、叔向とはこのような人物であり、社稷の固(柱)とも言うべき人物。たとえ彼の十世後の子孫が過ちを犯したとしても、それを赦すことにより、能力がある人材を激励させるべきです。此度、突然の禍から逃れることができなかったからと言えども、社稷を棄てさせる(処刑する)のは相応しくはございません。こんが誅殺されて)(夏王朝の始祖)が興こり、伊尹いいん(商王朝初期の賢人)は大甲たいこう(商王。湯王の孫)を放逐致しましたが、後に大甲は伊尹を相に任命して怨色を表すことはございませんでした。管・蔡は殺されましたが、周公(管叔・蔡叔・周公とも周の武王ぶおうの弟)が王(成王せいおう)を補佐した。このような前例があるにも関わらず、なぜ叔虎が原因で叔向に社稷を棄てさせようとしているのでしょう。あなたが善を行えば、皆があなたのために努力することでしょう。殺人を多く行って何になるのですか」


 士匄はこの祁奚の諫言に喜び、同じ車に乗って平公に謁見し、叔向の釈放を乞うた。その結果、叔向は釈放された。


 家臣たちは喜び、祁奚によって救われたことを知り、叔向の見識に舌を巻いた。


 しかし、叔向を助けた祁奚は叔向に会うことなく去った。


 家臣たちは祁奚に会うことを勧めたが、叔向は祁奚に釈放の報告をせず、直接入朝して平公に謝した。


 その後、屋敷に帰還する途中、家臣が叔向に訪ねた。


「会わなくとも良いのですか?」


「良い」


「あなた様を救ってくださったのですぞ」


 祁奚は命の恩人というべき方である。その彼に対し、お礼はするべきではないのだろうか。


「勘違いするな。あの方は私を救ったわけではない」


 叔向は空を見上げる。


「あの方が救うのは国だけだ。そのために必要なものに私があっただけだ」








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