宋の子罕
紀元前558年
春、宋の平公が向戌を魯に送って聘問した。過去の盟約を確認するためである。
向戌は魯の仲孫蔑に会うとその家屋が豪華すぎることを指摘した。
「あなたには令聞(名声)があるにも関わらず、屋敷が豪華すぎます。これは人々が求めていることでしょうか?」
仲孫蔑が答えた。
「私が晋にいる間に、兄がこの屋敷を建てたのです。取り壊すにもまた労力を必要とすることになり、それこそ人々の求めていることではなく、兄を非難することもできません」
このように遠まわしに彼の言葉を退けた。
二月、魯は向戌と劉(魯都・曲阜附近)で盟した。
周の劉夏(定公)が斉に行き、王后を迎えに行った。しかしながら天子の后を迎えに行くのは卿と決まっていた。それにも関わらず、卿ではない劉夏(大夫、または士)を派遣したことは非礼と非難された。
楚の公子・貞が死んだため、公子・午が令尹に、公子・罷戎が右尹に、蔿子馮(蔿艾獵の子。蔿艾獵は孫叔敖または孫叔敖の兄)が大司馬に、公子・橐師が右司馬に、公子・成が左司馬に、屈到が莫敖に、公子・追舒が箴尹に、屈蕩が連尹に、養由基が宮厩尹になり、楚国を安定させたため、人事において、然るべき処置をしたと讃えられた。
鄭で尉氏と司氏が乱を起こした際、その余党は宋に逃げた。
鄭は子西、伯有、子産の三人の父は尉氏と司氏に殺されているため、彼らのために、宋に馬四十乗(百六十頭)と師茷、師慧(楽師)を贈って余党の返還を求めた。
これは前から続いていた交渉であった。しかしながら、宋はどうにも首を縦に振らなかった。
「如何にするべきか……」
鄭の重臣たちは悩んでいると、子西が提案した。
「宋に私の弟を人質として出しましょう」
子西の弟は公孫黒といい、字は子晳である。
子晳は兄の言葉を聞き、大いに驚いた。
「何故、私が……」
「黙れ、弟よ。子ならば、父上の仇を討つためにはどのような手段も用いるものだ。父上の仇を討つためである。人質ぐらいなれ」
渋る子晳を子西が折檻し、
三月、子晳を人質として宋に送った。
鄭の態度にやっと折れた宋は返還に同意した。
子西、子産が直接、宋に向かうと宋の司城・子罕は宋から亡命していた堵女父、尉翩、司斉を差し出した。
「一人足りないように思われるが?」
子西は司臣がいないことを子罕に問い詰めた。しかし、子罕は表情を変えることなく、言った。
「今、宋にいるのは、三人だけです。あと一人は存じ上げません」
(嘘だ)
子産は彼の言葉を聞き、そう思った。確かに彼の思った通り、司臣のことを知らないということは嘘である。
(だが、宋にいないことは本当であろう)
子罕は司臣は見込みがある人物であると思い、魯の季孫宿に司臣の保護を求めたのである。そのため司臣は今、魯にいて、季孫宿によって、卞に住ませられている。
ただ、司臣は季孫氏に仕えたものの、ほとんど飼い殺しに近かった。季孫宿は世間体を気にしたのである。その点、子罕は季孫宿という人物を見誤ったと言える。
(確か、二月に向戌殿が魯に行っていたな。それに同行させていたか)
中々に食えないことをすると子産は思った。
「しかしながら、先の約束に反することになりますぞ」
子西は子罕に詰め寄ろうとしたが、子産が止めた。
「子西殿、ここはこれで引きましょう。変にこじらせれば、三人さえ得られなくなります」
子産の言葉に悔しそうにしながらも子西は従った。
その後、鄭は三人を処刑した。
子罕という人物は季孫宿という人物は見誤ったものの、人を見抜く目は持っている。
ある日、鄭から来た師慧が宋の朝廷で小便をしようとした。それを相(盲人を助ける人。楽師の慧は盲人である)は慌てて、
「ここは朝廷です」
と言って止めると、慧は
「誰もいない」
と言った。
「ここは朝廷ですよ。誰もいないはずがありませんよ」
慧は鼻で笑う。
「ここには誰もいないではないか。もしも人(賢人)がいると言うのであれば、千乗の相(一国の相。鄭の子産等)が淫楽の矇(盲目の楽師)を使って罪人と交換させるはずがないではないか」
つまり、自分のような賄賂を受け取らなければ罪人を返さないのは、宋に賢人がいないからであると罵ったのである。
これを聞いた子罕は彼を賢人と思い、平公に進言して師慧を帰国させた。
また、彼にはこういう逸話がある。
宋のある人が玉を得たため、子罕に献上しようとした。しかし、子罕は玉を受け取ろうとはしなかった。
玉を献上しに来た者が言った。
「この玉は玉人(玉を加工する工匠)が宝物だと認めたものであり、そのため献上しているのです」
偽りのものではなく本物であるとその者は主張したのである。
子罕はそれに答えた。
「私は貪欲ではないことを宝だと思っている。あなたは玉を宝だと思っている。もしも玉を私に譲っってしまえば、双方の宝を失うことになるではございませんか。それぞれが自分の宝を守れば良いと私は考えます」
玉を献上しに来た者は恥じ入って、稽首した。
「小人は玉を持って故郷に帰ることは難しく、必ずや途中で襲われてしまうでしょう。これを受け取って、死から逃れさせてくださいませ」
そこで、子罕は玉を受け取ると、玉人に加工を命じて売り出し、そこから得た富を玉を献上した者に与えて故郷に帰らせた。
子罕という人はこういう人である。




