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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第八章 暗き時代

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国君という名の演目を

 紀元前559年


 正月、呉が前年、楚に敗れたことを晋に報告した。


 そこで、晋の士匄(しかい、魯の季孫宿きそんしゅく叔老しゅくろう、斉の崔杼さいちょ、宋の華閲かえつ仲江ちゅうこう、衛の北宮括ほくきゅうかつ、鄭の公孫蠆こうそんたいおよび曹人・莒人・邾人・滕人・薛人・杞人・小邾人が向(呉地。または鄭地)に集まり、呉と会見して楚討伐を謀ることになった。


 しかし、晋の士匄は呉の不徳を譴責し、呉人を拒絶した。


 呉が楚に侵攻した時、楚は喪に服していたからである。こうして楚討伐は中止になった。


 この会で莒の公子・務婁むるが捕えられた。莒が楚との間で使者を往来させていたためである。


 晋は更に、戎子・駒支くしを捕えようとし、士匄が自ら朝位(会見の場所に造られた朝廷)で言った。


「姜戎氏よ、昔、秦人が汝の祖・吾離ごりを瓜州に駆逐したため、汝の祖・吾離は粗末な服をまとい、荊棘をかぶって我が先君に帰順したのだ。そこで我が先君・恵公けいこうは、多くない田を汝の祖と分け合ったのである。今、我が君(晋の悼公とうこう)に従う諸侯は昔ほどではなくなった。これは言(情報)に漏洩があるためであり汝に責任があるのである。明朝の会に汝が参加する必要はない。汝が来るようなら、捕えることになるだろう」


 晋側は晋に隣接する戎が悪い情報を流しているため、諸侯の調和を取れないと考えていた。


 それに対し、戎子・駒支が答えた。


「昔、秦人が衆に頼って土地を貪り、我々諸戎を駆逐しておりました。これに対して恵公は大徳を示し、諸戎は四嶽(帝堯時代の方伯。姜姓)の後裔であると言って、我々を棄てようとせず、南境の田(地)を与えてくださいました。そこは狐狸が住み、豺狼が吠える地であったものの、我々諸戎は荊棘を伐り除き、狐狸・豺狼を駆逐し、(晋の)先君に対して不侵不叛の臣となり、今に至るまで二心を抱いたことはございません」


 自分たちが受けた恩義を忘れたことはない。それであるのに、そのようなことを言って糾弾するのはどういいうことであろうか。


「昔、文公ぶんこうが秦と共に鄭を攻めた時、秦人は秘かに鄭と盟して戍(守備兵)を配置したため、殽の役を招きました。しかし晋が上を守り、戎が下で抵抗したために秦軍は還ることができなかったのです。まさに我々諸戎の力による勝利ではございませんか。鹿を捕える様子に喩えるのであれば、晋人はその角をとり、諸戎が後ろ脚をつかまえて、晋と共に倒しこむようなものです。それなのになぜ戎が譴責を受けなければならないのでしょうか。あの時以来、晋の百役に我々諸戎が遅れたことはなく、殽の役と同じように一心になって従ってきました。なぜ晋に背くことがありましょう」


 自分たちはこれほどに晋に尽くしてきた功績があるにも関わらず、何故、疑うのか。


「今、恐らく官(晋)の師旅(執政)自身に欠陥があり、諸侯の離反を招いております。その罪を我々諸戎の着せるのですか。我々諸戎は飲食も衣服も華(中原)と異なり、贄幣(財礼)の往来もなく、言語も通じておりません。どうして悪事を働けるのでしょうか。会に参加できないからと言って、我々の憂いにはなりませんぞ」


 諸侯が晋から離れようとするのは、晋側の問題ではないか。それを押し付けるのは可笑しいではないか。


 戎子・駒支は『青蠅(詩経・小雅)』を賦して去った。君子は讒言を信じないという内容である。


 士匄は戎子・駒支に謝罪して、会見に参加させた。


 この会見では、魯の子叔斉子ししゅくせいし(叔老。子叔が氏。斉子は恐らく字)が季孫宿の介(補佐)として参加していたが、その彼の振る舞いが礼にかなっていたため、晋はこの後、魯の幣(魯から晋に贈る貢物)を減らし、魯の使臣を敬うようになった。


 












 呉の諸樊しょはんは父・寿夢じゅぼうの喪が明けてから、弟の季札きさつに位を譲ろうとした。


 父が望んでいたことを叶えようとしたとも見えるが、その実は、彼の政治的演出であった。


 つまり、季礼を尊重する行為によって、自分の名声を高めようとしたのである。


 そもそも呉の始祖とされている太伯たいはく虞仲ぐちゅうの故事のようにすることもできるのである。


(それが兄上の政治なのだ)


 彼はそんな兄を尊重するだけである。季札は辞退して言った。


「曹の宣公せんこうが死んだ時、諸侯と曹人は曹の成公せいこうを不義とみなして子臧しぞうを立てようとしましたが、子臧が去ったため曹君が即位しました。君子は子臧を『節を守ることができる』と言って称えました。主公は義嗣(正当な後継者)でございます。誰が主公を侵すことができるでしょう。国を持つのは私の節ではありません。私は不才ですが、子臧に従って節を失わないようにしたいと思います」


 諸樊はその後も、強く即位を要求したが、季札が家財を棄てて農耕を始めたため、あきらめた。


「良き弟よ……」


 諸樊は一人呟く。


「もし、弟が少しでも野心を出せば……」


(殺さねばならなかった)


 それが国君というものであろう。


「国君とは、演者だ。国君という役を演じるという演者だ」


 そして、それを演じる際には、多くの感情を殺し、演じるのだ。


「父も、祖父も、歴代の国君誰もがそれを行ってきた」


 もし、演じきれなければ、


「己が滅ぶだけならば良いが……」


 国をも滅ぼしてしまうこともある。それが国君という演目である。


「季礼は良いな。それを理解してくれている。良き弟である」


 弟には弟の役があり、自分には自分の役がある。


(弟よ。互いに自分の役を演じきろうぞ)


 そう思いながら彼は一人笑った。


 呉の歴代の国君はこのように国君という役を演じていくことになる。そして、それを演じきれない者の代に至った時、呉は滅ぶのである。








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