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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第八章 暗き時代

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䔥の会

遅くなりました

 楚の子囊しどうは鄭が晋に帰順したことを受けて、秦に出兵を請うた。共同で鄭を攻めるためである。


 秦は同意し、右大夫・せんに軍を率いさせて、楚の共王きょうおうに従わせた。


 楚、秦の攻撃を受けた鄭は晋と盟を結んだばかりであるが、楚軍を迎え入れて服従した。


 帰順を申し込んだ鄭の簡公かんこうに対し、共王は宋を共に攻めるよう指示したため、簡公は同意し、共に宋に侵攻した。


 九月、晋の悼公とうこう、魯の襄公じょうこう、宋の平公へいこう、衛の献公けんこう)、曹の成公せいこう)、斉の世子・こう、莒君、邾君、滕君、薛君、杞君、小邾君が再び鄭を攻撃した。


 鄭はまた晋に帰順した。


 鄭簡公は良霄りょうしょう伯有はくゆう公孫輒こうそんちょうの子)と大宰・石?(せきちゃく)(毚の下の「兎」が「大」という字を書く)を楚に派遣し、晋に服従することを報告してこう言った。


「私は社稷を守るため、楚君を想うことができなくなりました」


 楚に仕えることができなくなったということ。


「貴君には玉帛で晋を鎮めていただきたく(財物を贈って晋と和を結んでもらいたい)、それができないようなら、武力によって威を振るわせることで晋と決着をつけてほしい、私の願いです。」


 楚は鄭の行人(使者)二人を捕えた。


 諸侯が鄭の東門で武威を示しました。楚に出兵の動きはなかった。


(我らの使者を捕らえるが、晋は怖いか……)


 かつての強さが無いと感じながら鄭の簡公は王子伯駢おうじはくへんを送って晋に和を請うた。















 晋の趙武ちょうぶが鄭に入って簡公と盟を結んだ。


 十月に入ると鄭の子展してんが鄭城を出て悼公と盟を結んだ。


 十二月、諸侯が䔥魚で会した。鄭が正式に晋に帰順を示す場である。


 悼公はここで鄭の捕虜を釈放し、礼を用いて帰国させた。鄭を探るための斥候も撤収し、鄭での略奪を禁止し、また、羊舌肸ようぜつきつ叔向しゅくきょう)を使ってこの三事を諸侯の軍にも命じた。


 命を受けた魯の襄公が臧孫紇ぞうそんこつを送って悼公に応えた。


「同盟した国の中で、小国に罪があったら大国がそれを討伐し、成果を挙げれば、小国を赦すものです。罪のある鄭を討伐し、鄭が既に帰順しましたので、我が君は晋の命に従います」


 その後、鄭が悼公に師悝(しかい・師觸ししょく師蠲しけん(三人とも楽師)、広車と軘車(どちらも兵車)各十五乗(合計三十乗)、武器を整えた他の兵車と併せて百乗、および歌鍾二架と鏄・磐(全て楽器)、女楽二八(十六人)を贈った。


 悼公はそれら楽器と女楽の半分を魏絳ぎこうに下賜した。


「あなたは私に諸戎狄と和すことで諸華(中原諸国)を正すことができると教えくれた。そのおかげで、八年間で諸侯を九合することができたのである」


 諸戎と和してから足掛け八年。戚・城棣・鄬・邢丘・戲・柤・虎牢・亳・䔥の会を開いたことである。


「今は音楽が和すように、諸侯が和諧している。よって、私はあなたと楽(音楽。喜び)を共にしたいと思い、下賜する」


 魏絳が辞退した。


「戎狄と和したのは国の福であり、八年の間で諸侯を九合できたのは、主君の霊(威霊)と二三子(群臣)の功労によるもの。私に何の力があったと言うのでしょうか。私は、主君が楽(喜び)を享受しながら、終わりも考慮できることを願っております」


 確かに、その功績は覇業を成したと言えるが、油断することなく気を引き締めるべき時でもある。


「『詩(小雅・采菽)』にはこうあります『諸侯公卿が皆喜ぶ。天子を助けて国を鎮める。諸侯公卿が皆喜ぶ。福も禄も享受する。周辺を治めて、服従させん』楽(音楽)によって徳を安定させ、義によって徳に応じ、礼によって徳を行い、信によって徳を守り、仁によって徳を奨励するものです。そうしてから、邦国を鎮め、福禄を共に享受し、遠人(周辺諸国の人々)を招くことができるのです。これが楽(喜び。楽しみ)というもの。『書(佚書)』にはこうあります『安定した時に危難を思わん』危難を思うことができれば備えができ、備えがあれば患がなくなるのです。今はめでたい時ですがこれらの事を敢えて諫言させていただきます」


 悼公が感嘆して言った。


「あなたの教えに私は逆らうことはない。しかしあなたがいなかったら私は戎の対応を誤り、黄河を渡ることもできなかったであろう(鄭を服従させることもできなかった)。賞とは国のきまりであり、盟府に記録されるものである。これを廃してはならない。あなたはこれを受け入れてもらいたい」


 魏絳は賞賜を受け入れ、金石の楽(鍾・鏄や磐の音楽)を擁すようになった。


 見事な君臣関係であり、悼公は名君の名に相応しい人である。


 また、彼にはこういう逸話もある。


 悼公と司馬侯しばこう叔侯しゅくこう女斉じょさい汝叔斉じょしゅくせい。司馬は官名。晋の大夫)が楼台に登って遠くを眺めたことがあった。


 悼公が言った。


「実に楽しいものであるなあ」


 司馬侯がそれに答えた。


「高いところから下を見渡すのは、確かに楽しいことですが、徳義の楽しみには及ぶことはないでしょう」


「徳義とは何であろう﹖」


「諸侯の行いとは、いつも天子の側にいるのと同じです。恭敬慎重でなければなりません。善ならば行い、悪ならば戒めるものです。これを徳義といいます」


 悼公が問うた。


「誰ならそれができるであろう?」


 司馬侯が答えた。


「羊舌肸は春秋(歴史。人事の善悪の記録)を修めております」


 悼公は叔向を召して太子・ひょうの傅(教育官)に任命した。



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