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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第八章 暗き時代

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晋と鄭

大変、遅れました

 四月、魯が郊祭を四回卜い、不吉と出たため郊祭を行わなかった。


 周・蔡・宋・楚に隣接する鄭は中原に覇を称えるためには必争の地と言えた。かつては晋と秦が鄭を争い、今は晋と楚が鄭を争っているのが、今の現状である。


 鄭の人々は晋と楚を憂い、鄭の諸大夫が言った。


「晋に従わなければ国が亡ぶであろう。楚は晋よりも弱いものの、晋には今すぐ我が国を奪おうというつもりはない。もし晋が我が国を本気で奪おうとすれば、楚は晋を避けるはずだろう。晋軍に死力を尽くさせ、我が国と戦わせて、楚が晋にかなわないことがはっきりすれば、我々は晋との関係を固めることができるだろう」


 子展してんが言った。


「宋を挑発すれば諸侯は宋を援けに来るだろう。そこで我が国が諸侯と盟を結べば、楚軍が出て来る。我々がまた楚に従えば、晋の怒りは甚だしくなり、頻繁に攻めて来るであろう。そうなれば、楚は晋に抵抗できず、我々は晋との関係を固めることができるのではないか」


 大夫は納得し、国境の司(官吏)に宋を挑発させた。


 挑発に乗った宋は向戌しょうじゅつに鄭を攻撃させて大きな戦果を上げさせた。


 子展が言った。


「軍を発して本格的に宋を討つ時が今、来た。我々が宋を討てば、諸侯が力を尽くして我が国を攻撃するだろう。我々は諸侯の命に従い、同時に楚に報告しようではないか。楚軍が到着したら再び楚と盟し、晋軍にも厚く賄賂を贈れば、禍(連年の戦争)から逃れることができる」


 鄭の子展が宋を侵した。


 これを受けて、晋の悼公とうこう、魯の襄公じょうこう)、宋の平公へいこう、衛の献公けんこう、曹の成公せいこうと斉の世子・こう、莒君、邾君、滕君、薛君、杞君、小邾君が鄭を討伐した。


 斉の太子・光と宋の向戌が先に鄭に入り、東門を攻撃した。


 その夜、晋の知罃ちおうが鄭の西郊に至り、東進して許の故地を攻める。更に衛の孫林父(そんいんぼは鄭の北境を攻めた。


 六月、諸侯が北林(棐)で合流し、向(鄭地)に駐軍した。


 その後、西北に回り、瑣(鄭地)に陣を構え、鄭都を包囲しや。また、南方の楚を威嚇するため、南門に兵を集めて武威を示す。


 更に後続の軍が西から済隧(黄河の支流)を渡った。


 晋が鄭を攻めたため、鄭は諸侯と講和した。


 七月、鄭と諸侯が亳(または「京」。鄭地)の城北で盟を結んだ。


 晋の士匄しかいが進言した。


「盟書に慎重にならなければ、諸侯を失うことになるだろう」


 二年前の戲の盟で造られた盟書を彼は批難しているのだ。


「諸侯を疲弊させて成功を得ることがなければ、二心を持たれても当然ではないか」


 彼の言葉を受けて、載書(盟書)にはこう書かれた。


「同盟した国は、穀物を留めず(隣国で災害があったら救済し)、利益(山川の利)を独占せず、姦(他国の罪人)を守らず、慝(邪悪の者)を留めず、災患を救済し、禍乱を憐れみ、好悪を共通にし、王室を助けることを誓う。この命に逆らう者がいれば、司慎・司盟(どちらも天神)、名山・名川、群神・群祀(各種の鬼神)、先王・先公、七姓十二国(姫姓の晋・魯・衛・曹・滕、子姓の宋、姜姓の斉、己姓の莒、曹姓の邾と小邾、任姓の薛、姒姓の杞。または盟主の晋を除いて姫姓の鄭が入るのかもしれない)の祖と明神が誅滅し、その民を失わせ、その君を殺して族を亡ぼし、その国を崩壊させるだろう」

















「盟約というものは難しいものですな」


 そう言ったのは、陳無宇ちんむうである。


「何故、そう思うのかね」


 陳無宇に問いかけるのは、晏弱あんじゃくである。


「盟とは互いに信頼関係があってこそ、結ぶものであり、二心があっては無理でしょう」


「そうですな」


 晏弱は彼の言葉に頷いた。


(良かった。病がちと聞いていたが、お元気そうだ)


 陳無宇は晏弱の様子を見ながらそう思った。彼が晏弱の元に出向いたのは、元々彼への見舞いである。


「鄭人は嬢が薄く、未来を見通す目が無い。あのようでは、益々疲弊するでしょうあの国は」


 鄭は今回の盟約を必ず破る。彼はそう確信していた。


「かもしれませんね」


 晏弱は頷きながら、ふと後ろにいる少年の方を向いた。


「どう思う?」


「鄭は晋を信頼できないのでしょう」


 少年はそう言った。


「確かに晋には横暴な部分はあるが、楚と晋の間にいる苦しみはあるにせよ。あのような態度はどうかと思われませんかな」


 陳無宇の言葉に直様、少年は答えた。


「晋が横暴なのは事実。されど、鄭が晋と付き合いたいと考えつつも、晋への不信感が燻っているのです」


「不信感……」


 確かに、晋の鄭への態度はそれほど良いものではない。されど、それは鄭側にも問題はあるはずではないか。


「鄭では、内乱が起こったことは陳無宇殿もご存知か?」


「ええ、存じております」


 鄭は内乱によって、三人の重臣の他、多くの者が死んでしまった。


「その内乱の首謀者たちのほとんどは宋に逃れましたが、一人は」


「なるほど、晋に逃れた」


「そのとおりです」


 なるほど、鄭が晋を信頼できないのは、鄭で内乱を起こした罪人を晋が匿っているためか。だが、


「確かにそうではありますが、罪人を取り戻したければ、盟を結び、友好を深めてからで良いのでは?」


「それは考えてはいたでしょう。しかし、楚と盟を結んだ以上は表立って、晋とは交渉できない。変にやれば、楚に疑いをかけられます。だから先ずは宋と交渉したのではないではないでしょうか?」


 少年が言った。


「宋との交渉。そのようなことは」


「公式には行ってはいなかったのでしょう。楚と盟を結んでおりましたので」


 鄭は内乱の首謀者の引渡しを宋に求めていた。だが、宋はこれを拒否した。


「宋は拒否した上で、鄭へ侵攻した」


 晏弱はそう言うが、陳無宇としては、それは無いと思われた。


「それはありえないのでは?」


 記録では、鄭が挑発を行ったため、宋は侵攻を行ったはずだからだ。そこまで考えて、陳無宇は気づいた。


「そうか鄭の人質を求めたことを宋は鄭の挑発行為と伝えたのか」


 鄭の挑発というのは、宋の嘘で本当は非公式の罪人引渡し交渉であった。


「だが、それを宋は拒否した挙句、鄭へ侵攻した」


 鄭としては、面白くない。それはわかる。だが、


「そうだとしても、宋への侵攻は、何故です。余計に拗れるだけでは?」


「晋を交渉の座に持っていくためではないでしょうか?」


 宋に侵攻してくれば、晋は鄭を討伐するために侵攻してくる。そこで、宋のことを訴えるつもりで、宋へ侵攻した。


「されど、晋は宋の立場を尊重した」


 これは結構単純である。宋が晋と長年盟を結んできた国なのだ。故に、鄭と宋の主張どちらを取るかと言えば、宋を取るというのが人情であろう。


「晋は亳での会盟で、罪人の引渡しを行えば、鄭は心の底から晋に従ったかもしれない」


「しかし、それで晋を責めるのは難しいのでは?」


「そのとおりです。どちらの国も国の立場や利益、諸国との信頼関係様々なことを考えて、このように行ってきたのでしょう」


 ある意味、互いに相手の国の事情を尊重し合えていない。


「互いに不信感を抱いている以上、陳無宇殿の言うとおり、盟を結べるほどの信頼関係を作りきれていないのです。あの両国は」


 晏弱はため息を付いた。


(だが、そういった細かい気遣いが必要とされるのは盟主である晋の方が必要であろう)


「盟を結ぶだけでも本当に難しいものです。ゴホ、ゴホ」


 晏弱は咳き込み始めると後ろにいた少年が立ち上がった。


「父上、薬を持ってまいります」


「ああ、頼む……」


 少年はその場を離れた。


「あれは御子息でしたか。まだ、幼いとはいえ、中々ですな」


 陳無宇がそう言うと、晏弱は笑って言った。


「ええ、きっと国に役に立てる者となれるのではと父親ながら自負しております」


「きっとなりましょう」


「感謝します。但し、一つ陳無宇殿のお考えに訂正を加えたい」


「訂正とは?」


 陳無宇は首を傾げると晏弱はこう言った。


「息子は既に成人しております」


「なんと……」


 彼は驚いた。見たところ、晏弱の息子は「六尺(周代の1尺は22.5cm。約135cm)に満たない。


「息子のこと、お見知りを」


 晏弱の息子の名は晏嬰あんえい(字は仲)といい、後に司馬遷しばせんが尊敬した人物として知られることになる人物である。



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