幼くも誇り高き、我らが国君よ
すいません。遅くなりました。
「殺せ、何としても主公を得るのだ」
尉止が叫ぶ。兵はそれに答えるが、それを阻むは子国である。
「主公へは行かせん」
子国は剣を振るい、兵を殺していく。
「おのれぇ矢を、矢を射掛けよ」
それにより、矢が放れていき、子国はそれを払うものの、数が多く一本、二本と身体に刺さっていく。
それでも子国は止まらない。
「どうしたこの程度か」
「くそ、化物め」
尉止らは子国の強さに驚きながら更に矢を射掛けさせる。
(良いものだ)
矢が体に刺さり、傷も増え、血まみれになりながらも彼は笑う。
(このような戦を私はしたかった)
武人として、国のために誇り高く戦う。それが彼の願いであった。今までの戦には誇りはなかった。
(だが、今この時、私は誇りを持って戦っている)
なんと嬉しきことだろうか。この愛すべき国の未来のために今、自分は剣を振るえているのだ。
「者共、たかが一人であるぞ。さっさと殺さんか」
兵たちが槍を持って、一斉に子国に突入した。そして、その数多の槍が子国を貫き、子国の口からは血が流れていく。
(ここまでか)
子国は倒れこむ。
(生きろと言われたが、無理であったな)
彼は簡公の言葉を思い出す。
(主公、申し訳ございませぬ。ああ、不甲斐なき私をどうかお許し下さい)
目に靄がかかり始める。
(僑。この不甲斐なき私の分まで幼くとも誇り高いあの方を頼むぞ……)
その頃、北宮へ子駟は簡公を連れ、尉止らから逃れようとしていた。
「くそ、先回りされていたか」
前方に司臣、侯晋が兵と共に立ちふさがった。
「逆賊、子駟よ。主公を開放せよ」
「逆賊はきさまらであるぞ」
「黙れ、売国奴めが」
彼らはそう叫んで、兵を突撃させ、子駟を斬り捨てさせた。
「主公には、危害を加えてはいないだろうな」
そこに尉止、堵女父、子師僕が駆けつける。
「主公はご無事だ。逆賊も殺した」
「良し、これで後は、子孔殿が来れば良い」
「うむ、その前に主公」
彼らは簡公へと顔を向けた。簡公は憮然とした表情で彼らを見ていた。
「主公、逆賊の首魁こそ始末致しましたが、逆賊の家は残っております。どうか宮門を閉め、逆賊の三家を討つよう大夫らにお命じください」
尉止が柔らかく言うが、簡公はなお憮然とした表情を浮かべるだけであった。
「主公、あの者は主公のお父上であり、先君を殺した男ですぞ」
子駟を指さしながら言うものの、簡公は特にそのことに反応はしなかった。
彼は知っているのだ。それでもなお、子駟を許そうとしたのである。それを邪魔したのは彼らである。
「もういっそのこと、斬って他の公子を立ててはどうだ?」
堵女父がそう言ったが、尉止は首を振って言った。
「それでは我らの行いが正義にならない」
彼は自分たちの行為は正義の行為であると考えている。そのためには、簡公の同意が必要なのだ。
彼らは取り敢えず、北宮に簡公と共に移動し、説得を始めた。
公宮を守っていた兵士たちはこの事態を知って、重臣たちの元に行き、事態を知らせた。
最初に異変の報告を受けたのは、子西(公孫夏の字。子駟の子)である。
「父上が危ない」
彼は剣を片手に、備えもせず、家を飛び出した。
公宮に入り、父・子駟の死体を見つけるとこれを収めてから尉止らを追った。尉止らが北宮に入っていることを知り、彼らの守りは固いと考えた子西は屋敷に帰って甲(兵)を集めることにした。
しかし、家に戻ってみると彼は驚いた。
「どういうことか」
臣妾(男女の奴隷)の多くが逃走し、器物もほとんどがなくなっていたのである。
この混乱に恐怖した臣妾らはここが戦になると思い、器物を持って、逃げ出してしまったのだ。
「これでは兵を集めることができんではないか」
彼は悔しそうに剣を大地に叩きつけた。
「いつになったら来るんだ」
「子孔様は来られない。このままでは主公が」
門を守っている兵士たちは心配そうにしていると、そこに一団が近づいてきた。
「あれは子孔様の兵か?」
「いや、違うあれは国氏の兵だ」
子産(子国の子)は子西とは違い、異変を聞くと門に警護の兵を置いて人の出入りを禁止し、群司(諸官員)を配置し、府庫を閉じて物資を守り、守備を固めてから、兵車十七乗を従えて家を出たのである。
「主公はご無事か?」
この方は父よりも国君の心配をなさっている。
「北宮に賊と共におられます」
「わかった」
子産はそのまま、兵を北宮に向かわせた。
その途中、父の死体があった。
「父上……」
子産は悲しみをぐっと堪え、子国の死体を整え、数人の兵を残してから、そのまま北宮に向かった。
「私は親不孝であるな」
「これを親不孝と罵る者がいれば、我らはその者を許しませぬ」
子産の呟きに臣下たちは一斉に答えた。
「私は臣下の恵まれた。必ずや主公をお救いするぞ」
「おう」
子産らは北宮を攻めた。
「国氏の兵は少ない。他の重臣たちのところにも更に、使者を送るのだ」
門を守る警備隊長がそう指示を出し、部下が駆ける。
その一人が子蟜(公孫蠆)の家に至ると兵を準備している姿があった。
「報告します。只今、国氏の兵が北宮に籠る賊を攻めております」
「なんと、国氏の若殿がか。子国殿は良き御子息を持たれたものだ」
子蟜は驚きと子産への称賛をし、兵に向かって言った。
「我らも負けてはおられん。準備はできたか」
「できております」
「良し、出陣」
彼が出陣すると共に、多くの者もこれに参加をした。
子蟜が国人を率いて子産を援けに向かうと戦闘は一進一退であったものの、
(国氏の兵の強さよ)
そう称えながら、子産と合流した。
「子産殿」
「子蟜殿」
二人が会うと更に、別の者も近づいた。
子展(公孫舎之)である。
「遅れて申し訳ない」
「いえ、こうして集まれただけでも、良かった」
三人は戦闘が続けられている北宮を見る。
「あそこでは、兵だけではありません。主公も戦っております」
「主公も……」
「はい、主公を捕らえた賊は自分たちの行動を正義としたいのです。そのため、彼らのために私を含めて、三家を滅ぼすよう命ずるよう、迫っているはずです。それを主公は良しとはせず、抵抗しております」
子産の言葉を聞きながら二人は簡公が幼いにも関わらず、一人戦っていることを知り、驚きながらも感動を覚えた。
(幼くとも国のために戦っている。これに答えずして何が臣下であろうか)
「早く、お救いせねばならん」
「はい」
戦闘は最終局面へと突入する。
尉止は剣を振るい、抵抗をするものの、段々と押されていた。
「くそ、主公さえ肯けば……」
彼らの不幸であったのは、簡公が頷かず、自分たちの行為を正義としなかったこと、子産の動きが早く、それに同調する者が多かったこと、そして、子孔が来ないことである。
(おのれ、子孔め)
子孔は行こうとはしていたが、胸騒ぎを覚え、ゆっくりと向かっていたのである。
そのようなことを知らない尉止からすれば、知ったことではない。
兵をなぎ払う内に、一人の筋骨隆々の若者が矛を持って、現れた。それを見た子展は、
「全く、馬鹿息子めが」
「あれは御子息ですか?」
子産が言うと彼は答えた。
「ええ、家の愚息であります。子皮(罕虎)と申します」
子皮は矛を尉止に向け、叫ぶ。
「逆賊、尉止。覚悟せよ」
「黙れ、孺子。逆賊はやつらだ。我らは正義のために……」
「笑止、正義とは弱き者を守るためにある。幼き主公を利用しようとするきさまらの行いが正義であってたまるか」
子皮は矛を突き出す。それを尉止は受け止める。
「孺子めが」
「黙れ、逆賊」
尉止も武勇に優れた男であったが、ここまで続けた戦闘による疲労が溜まっており、子皮の一撃、一撃が重く早い。
「くっ」
遂に子皮の下から突き上げるように上げられた矛によって、彼の剣は飛ばされ、倒されると首元に矛を向けられた。
「汝は許されざる逆賊である。されど、此度の一挙はあまりにも出来すぎている。協力者はいるか?」
尉止は少しの間、黙ってから言った。
「私は何も言わぬ」
「言え」
子皮は更に矛を首元に近づける。
「孺子よ。覚えておけ、どんな悪人であろうとも一度、手を組んだ者は売らん。例え裏切られたとしてもな。それが男というものだ」
子皮は目を細める。
「汝は許されざる罪を犯した。されど、尉止よ。その矜持は……見事だ」
彼は矛をそのまま尉止の首を切り裂いた。雨が噴水のように吹き出し、やがて止まった。
その後、兵も無しに一人乗り込んだ子西が子師僕を殺し、尉止等に従った徒党も全て殺された。
侯晋は晋に奔り、堵女父、司臣、尉翩(尉止の子)、司斉(司臣の子)は宋に奔った。
「全員は捕らえることができなかったか……」
子産、子展、子蟜、子西、子皮そして、簡公は比較的、綺麗な部屋に集まっていた。
「父上の仇を全員、殺せないとは……」
子西は拳をぐっと握り、憤る。
「それにしても主公がご無事で良かった」
子蟜はほっと安堵する。簡公は服に血が付いたりとしているものの、怪我はない。
「尉止は流石に主公をに危害を加えるような男ではなかったようですな」
「あの男自体は武人の部分を心を持っておりました」
子展と子皮はそう言葉を交わす。
「本当にご無事で良かったです」
子産は簡公に近づく。
「申し訳ありませぬ。もっと早く。参りたかったのですが……」
「良い。皆、良くやってくれた」
簡公は椅子に座り、顔を俯きながらも気丈に振舞う。その様子を見た子産は子西の方を向いた。
「子西殿、扉を閉め、扉の前にいる兵たちに少しの間、誰も入れないよう命じて下さい」
子西は彼の言葉の意味がわからなかったが、これに従った。
子産は再び、簡公を見ると膝を付き、言った。
「今、ここには我らしかおりませぬ」
簡公は小首を傾げる。言葉の意味がわからないからだ。
「今、ここには我らしかおりませぬ。故に、今だけは主公は国君であることをお忘れになっても大丈夫ですぞ」
彼の言葉に簡公は目を見開く。
「私は国君である。だから……」
簡公の目に涙が溜まっていく。
「発も騑も私を守って死んでしまった。皆、私のために死んでしまった」
涙が溢れ出しながら声を震わせる。
「皆、皆、死んでしまった」
「されど、主公は良く戦いましたぞ。そんな主公に皆、誇りを持って戦ったことでしょう」
簡公はこの時、八歳という幼君である。それであるのに、凶人を前に耐え続けた。中々にできないことである。
それでも彼は幼子には違いないのだ。本当は泣きたくて、泣きたくて堪らないはずなのだ。されど、国君であることを意識し、ぐっと彼は我慢していたのだ。
でも、今ここには子産たちしかいない。
簡公は我慢できずに泣いた。
その声に釣られて、子産たちも涙を流す。彼らだけではない。
扉の前に立っている兵たち、宮中にいる者たち皆がその泣き声を聞き、涙を流す。
彼の泣き声はこの乱で死んでいった者たちへの鎮魂歌のように宮中を響いていく。
今だけは国君であることを忘れ、童子のように泣く彼の声を聞きながら、皆は願う。
天よ。この幼くも誇り高くあろうとする国君に祝福を。
我らはあなた様に一層の忠義を誓います。
幼くも誇り高き、我らが国君よ。今だけは、たんとお泣きなされよ。
この先、苦難の道を歩むために、悲しみを乗り越えてもう一度立ち上がるために。




