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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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宋の火災

寒い日が続きますね。

 晋の悼公が士匄しかいを魯に聘問させた。春の魯の襄公じょうこうの朝見に対する答礼である。あわせて鄭討伐も相談した。


 襄公が宴を開くと、士匄が『摽有梅(詩経・召南)』を賦した。男女が時を失わずに結婚するという内容で、これは暗に魯がすぐに動くように促している


 魯の季孫宿きそんしゅくが言った。


「誰が時機を失うでしょうか。草木に喩えるなら、我が君と晋君の関係は、花や果実に香りがあるようなものであり、喜んで命に従いましょう。速い遅いはございません」


 花や果実があれば香りがあるものだから。晋がいればかならず魯も従いますという意味で、士匄の詩が『摽有梅』だったため、花や果実を例えに使ったのである。


 季孫宿は続けて、『角弓(詩経・小雅)』を賦した。


 兄弟や縁戚の関係に距離はないという内容である。


 士匄が退出する時、季孫宿が『彤弓(詩経・小雅)』を賦した。


 天子が功績のある諸侯を表彰する詩である。


 士匄が詩を受け入れて言った。


「城濮の戦いの後、我が先君・文公ぶんこうは衡雍で戦功を献上し、襄王じょうおうから彤弓を下賜されました。それは子孫代々宝藏となっております。匄は先君の官の後嗣(文公を支えた功臣の子孫)です。命に逆らわず、我が君を正して覇業を恢復させることでしょう」


 紀元前564年


 春、宋で火災があった。『春秋』経文には「宋災」と書かれている。「火」は人為的な火事のことを指し、「災」は天が降した火災と言われている。そのため今回の火災は「天災」とみなされた。但し、原因不明の火事も「災」に含まれているため、注意が必要である。


 尚、『春秋公羊伝』では、『大きな火事を『災』、小さな火事を『火』と書く』と解説している。


 宋では楽喜(がくき)子罕(しかん))が司城として政事を行っていた。


 宋において、右師・左師・司馬・司徒・司城・司寇の六卿があり、司城は五番目の地位にいる。


 本来、政治の最大責任者は右師であるが、楽喜は賢才と仁徳によって政権を握っていた。


 因みに右師だった華元(かげん)はまだ、生きているが、引退している。


 今回の火災が起きた時、楽喜は大夫・伯氏(はくし)に里巷(城民の居住地)を管轄させた。


 伯氏は火が至っていない場所に急行するや、小さな家屋を破壊し、大きな家屋には泥水を塗って、土や水を運ぶ道具を集めさせ、作業の内容にあわせて人員を配置し、水を溜め、土を積み、城郭を巡視して守りが疎かになっている場所を修築した。


 火災が起きているのに、鎮火する前に修築する余裕があるのか、という疑問も起こるだろうが、今は乱世である。火に乗じて侵攻する敵に備える必要があるのである。


 彼は火道(火の向き、勢い)を明確にして人々を非難させた。


 一方の楽喜は、司徒・華臣(かしん)(華元の子)に正徒(正規の兵)を集めさせ、隧正(隧は国都の遠郊です。城外を郊、その外を隧という。隧正は隧の長のことである)に命じて郊保(郊外の堡塁)の兵を城内の火災現場に派遣させた。


 また、右師・華閲(かえつ)(華元の子)に右官(右師の直属の兵)を指揮させ、左師・向戌(しょうじゅつ)に左官を指揮させ、司寇(法官)・楽遄((がくせん)に火災に乗じて起きる犯罪に対応させるため刑具を準備させた。


 宋はこの事態にそれぞれの官が職責を尽くす。


 同時に楽喜は司馬・皇鄖(こううん)(字は(しょう)。東郷為人の子)に命じ、校正(司馬の属官。馬を管理する)に馬を牽いて脱出させ、工正(司馬の属官)に車を移動させ、甲兵(武器・甲冑)を準備して武庫を守らせた。


 その後、太宰(たいさい)西鉏吾(せいしょご)に国庫を守らせた。


 命を受けた西鉏吾は司宮(宮中の宦官)と巷伯(宮中の巷路を管轄する宦官)に公宮を警備させた。


「引退したと思ったら駆り出されるとは、つくづく、この老骨を働かせたいようだ」


 同じ頃、華元と向戌は四人の郷正(郷大夫)に祭祀を行わせ、祝宗が馬を殺して四墉(四城)の神を祭り、西門の外で盤庚(ばんこう)(商王朝の王。宋人の先祖)を祀った。


 こうして宋は火災による危機を何度か脱した。










 宋の火災を聞いた晋の悼公(とうこう)士弱(しじゃく)士渥濁(しあくだく)の子)に問うた。


「宋で火災が起きると天道を知ることができると聞いたが、それはなぜだろうか?」


 士弱が答えた。


「古の火正(官名。火星を祭る官)は、大火(火星)を祭る際、大火を(心)心宿か咮(柳宿)に配しました。火星がこの二つの星の間にあったためです。故に咮は鶉火、心は大火と呼ばれたのです。陶唐氏(帝・(ぎょう))の火正・閼伯(あつはく)は商丘に住み、大火を祀って火星から紀時(時節を確定すること)しました。相土(しょうど)(商王朝の先祖)がそれを受け継いだため、商は大火を祭祀の主星にしました。その後、商人は禍敗の予兆を火から得るようになり、火によって天道を知ることができると言われるようになったのです」


 続いて、悼公が聞いた。


「本当に火から予兆を得ることができるのだろうか?」


 士弱が答えた。


「大切なのは道です。国が乱れようとも、天が予兆を与えなければ知ることができません」


 火災等を予兆として頼っていては、天が災害を起こさなければ禍乱を知ることができなくなる。そのため本当に大切なのは、乱れるようなことがない政治を心がけることこそが大切なのだ。





どの時代も火の用心は大切。

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