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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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韓厥

清々しい人と汚れている人のお話し

 紀元前566年


 四月、魯が郊祭(郊外で行う天の祭り)について三回卜ったが、どれも不吉と出たため、牲(犠牲の牛)を殺さず、郊祭も行わなかった。


 仲孫蔑ちゅうそんべつが言った。


「私は今回初めて卜筮に意味があることを知った。郊とは后稷こうしょくを祀って農事を祈るものである(郊祭では、周王室の先祖である后稷を天に配して儀式を行った)。だから啓蟄(二十四節気の一つ)を越えれば、郊祭を行い、郊祭が終われば、農耕が始まる。今回は既に農耕を開始してから郊を卜ったのだから、不吉と出るのは当然であろう」


 魯の南遺なんいが費の宰(県宰)になった。費は季孫氏の邑である。


 叔仲帯しゅくちゅうたいが隧正(徒役を管轄する官)に任命されると、季孫氏と関係を結ぶため、南遺にこう言った。


「あなたが費の築城を請えば、私が多数の役夫を手配しましょう」


 季孫氏は費に城を築いた。


 秋、魯の季孫宿きそんしゅくが衛に行った。紀元前572年に衛の公孫剽こうそんひょう子叔ししゅく)が魯に聘問した時の答礼のためである。


 六年経ってやっと衛を聘問したため、季孫宿は衛の献公けんこうに遅くなったことを謝罪し、二心がないことを説明した。


 十月、晋の韓厥(かんけつ)が告老(退職)した。


 韓厥の長子である韓無忌かんむきには廃疾(不治の病)があったが、韓厥は韓無忌に卿の位を継がせようとした。


 されど韓無忌は辞退して言った。


「『詩』にはこうあります『朝晩、会いたくないわけではございません。道の露水が多いのです』」


 これは『国風・召南・行露』の恋愛中の男女の詩の一部である。男が女に会おうとするのに、女は礼教を守ってなかなか会おうとせず、それを露水のせいにした。韓無忌は自分自身に病があるため、頻繁に国君に会って仕えることが困難であることを伝えるために、この詩を引用したのである』


「また、こうもあります『自ら恭しく事を行わねば、民の信を得ることはできないだろう」


 これは『小雅・節南山』である。病の身である韓無忌は、政務が不便なので信を得ることができないという意味である。


「無忌(私)は不才であるために、卿の位を他の者に譲るべきだと考えます。韓起かんき。韓無忌の弟)が相応しいでしょう。彼は田蘇でんそ(晋の賢人)と交流があり、田蘇も『起は仁を好む』と評価しております。『詩(小雅・小明)』にはこういう句もございます『忠実かつ恭敬に汝の位に臨みて、誠実実直を好み。神はそれを知り、大福を汝にもたらさん』民を慈しむことを徳といい、直を正す(真を守る)ことを正といい、曲を正すことを直といい、三者(徳・正・直)を和すことを仁といいます。このようであるからこそ、神がその徳を知って福を降すのです。彼を卿に立てるべきです」


 韓厥は韓起を入朝させ、自身は引退した。


 晋の悼公とうこうはこれを聞き、韓無忌に仁があると称えて公族大夫の主席に任命した。韓無忌は公族穆子と呼ばれることになる。


 韓厥は趙盾ちょうとんから受けた恩義を生涯忘れることなく、趙氏を守り、晋という国さえも立て直して見せた。名臣と称える値する人物である。













 衛の孫林父そんりんぼが魯を聘問し、季孫宿の言(魯の聘問が遅れたことの謝罪と説明)に答謝して、孫良夫そんりょうふの盟を温めた。


 魯の襄公じょうこうと孫林父が盟を結んだ。


 襄公が殿上に登った時、孫林父も並んで登った。


 これに相(賓客をもてなす時、国君を補佐する役)の叔孫豹しゅくそんひょうが小走りで進み出て、孫林父に言った。


「諸侯の会において、我が君が衛君の後ろを歩いたことはございません」


 魯君と衛君は地位が対等なので並んで歩く。


 しかしながら、あなたは我が君の後ろを歩こうとしません」


 衛君でも魯君と同列なのに、衛君の臣下であるあなたが、なぜ魯君と並べるのであるか。


「我が君には自分の過ちがわかりません」


 なぜ孫林父が襄公を軽視するのか理解できない。何か罪を犯したのであれば、答えるべきである。


「あなたは少し止まるべきです」


 しかし孫林父は何も答えず、改める様子もなかった。


 後に叔孫豹が言った。


「孫子は必ず亡ぶだろう。臣下の身でありながら国君と対等に振る舞い、過ちを犯しても反省しようとしない。これは滅亡の本だろう。『詩(国風・召南・羔羊)』に『朝廷から帰って食事をする。自由で気ままなものであるなあ』とあるが、これは国君に対して従順な者の姿である。横暴なのに委蛇(自由気まま)だったら、必ず倒れるだろう」


 だが、孫林父から言わされば、表立っては国君の地位を犯してはいないと言いつつ、魯の三桓共も同じようなことをしているではないか。それであるのに、非難される筋合いはないのである。


 どんぐりの背比べのようなものであり、どっちもどっちである。



 韓厥の受けた恩義、


 自分の正義を認めてもらう。


 韓厥の恩返し


 恩人の親族のミスをカバーし、恩人の親族の不祥事を庇い、恩人の孫を命をかけて守り、恩人の一族の族滅を防ぎ、恩人の孫の地位を保証し、恩人の孫を出世コースに乗せるだけでなく、恩人の孫を教導まで行う。

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