晏弱
書いていると皆、腹黒く見えるのは何故なのか?
「おお、これは……」
三月、男は目の前にそびえ立つ土城を見ながら、驚きの声を漏らす。
(昨年の四月に東陽の城が完成し、萊城への攻撃を始めたと聞いていたが……)
彼は今、萊城を攻めている晏弱が率いる軍の陣地に赴いていたが、彼の前には萊城の堞(女牆。城壁の低くなった部分)までの高さがあり、それを囲むように出来上がっている土城が見えていた。
(このような戦見たことがない)
そうではないか。本来、城を城で囲むなど、そのような戦を行うなど誰も考えない。それにそれを実行するとして、それを止めるために軍を動かして邪魔をするはずではないか。
(どのようにここまでの城を築いたのか……)
彼は東陽の城も見て、感嘆していただけに驚いていた。
「おお、良くぞ来られました」
男の元に笑顔を浮かべながら男が近づいてきた。
「晏弱殿、主公より、援軍として遣わされました陳無宇でございます」
男……陳無宇は拝礼を行った。
「援軍感謝します。そろそろ萊側から抵抗を受けると思っておりましたから……」
「将軍はどのようにこのような土城を築かれたのでしょうか。本来であれば、ここまでいくまでに邪魔されるのではないでしょうか?」
陳無宇は疑問を直接ぶつけた。
「土城と言えるものではありません。土でできた山に過ぎませんよ。ただこれを崩されなかった理由は今、萊城には軍と呼べるほどの軍が無いのです」
「軍が……そのようなことがあるのですか?」
「萊軍は今、棠にいるのです」
棠は萊城の東南に位置する。
「彼らに我らの戦を回避する理由として、以前のように賄賂を渡せば、和睦しようと持ちかけ、賄賂を渡す場所としてこちらは棠を指定しました」
萊の共公・浮柔はこれを知って、同意した。
「それとともに密書を王湫の元にわざと見つけさせました。その密書には『萊君を棠におびき出し、これを殺す』と書きました。彼は謀略を好むところがあるため、彼はこれを読み、これを利用して、我々を棠で殺すことを考えたのです」
その結果、王湫と正輿子の率いる萊軍は棠にいるのである。
「なるほど、敵戦力を別のところに誘導して、敵本拠地を直接狙ったということですね」
「そうです。ここから棠への救援の使者は丁寧に始末しましたので、ここまで救援のため相手は動いていないのです」
なんと恐ろしい戦をこの人はしているのか……陳無宇は震えた。
「昨日、陳無宇殿が参られるとお聞きしましたので、城から出てきた使者は始末はせず、行かせました」
「宜しいのですか?」
「そろそろ気づかれることですので、問題はありません」
晏弱は目を細める。
「そろそろこの戦の決着を付けようと思います」
陳無宇は唾を飲み込んだ。
「くそ、斉にしてやられるとは……」
王湫は憤りを顕にしながら、夜に浮かぶ星を睨む。
「急げ、急げ、一刻も速く主公をお助けするのだ」
彼は萊軍を急かしながら、萊城へと急いだ。そして、川に差し掛かった時、ふと、違和感を感じた。
(何故、これほど川の水位が低くなっているのだ)
王湫は疑問に思いながら、川の途中まで差し掛かった時、周囲からけたたましい音が聞こえ始めた。
「なんだ。この音は」
音は段々と大きくなりながら近づいてくる。
「まさか……急げ、川から速く離れるのだ」
王湫は音の正体を悟ると急ぎ、川から出るよう兵に命じる。彼の言葉に従って慌てて、兵士たちは川から出ようとする。だが、そこに濁流が襲いかかった。
兵たちはこれに悲鳴と共に巻き込まれていく。
王湫らは何とか、川から出ることができており、助かることができたが、そこに斉に旗が一斉に上がった。
「かかれぇ」
晏弱は手を振りおろすと斉軍が一斉に萊軍へと襲いかかる、
「おのれぇ斉め」
王湫は抵抗を示すものの、数の前に圧倒され、命からがら正輿子と共に戦場から逃げ出し、莒に逃れた。
「逃げられましたね」
陳無宇がそう言うものの、晏弱は特に気にしたようではなかった。
「大丈夫です。戦だけが命の取り合いではございませんので」
晏弱らはそのまま萊城への攻撃に移した。
斉軍の激しい攻勢に耐え切れず、共公・浮柔は棠へと逃れ、斉軍は萊城に入った。
「陳無宇殿、これを主公にお渡しください」
晏弱は萊の宗器を陳無宇に渡した。
「感謝します」
陳無宇は斉の霊公の娘を嫁としている。そのため、この戦は娘婿である彼に功績を立てさせる戦でもあるのだ。
(細かな配慮もできる方だ)
四月、彼は晏弱をそう評価しながら帰国し、襄宮(襄公廟。または「恵宮」の誤りで恵公廟)に萊の宗器を献上した。
「良く、やった。ゆっくり休んでくれ」
霊公は陳無宇を労うと彼は言った。
「感謝します。されど、晏弱将軍の手伝いをさせていただきたいのですが、宜しいでしょうか?」
「無理せぬとも良いぞ」
「いえ、不才の身として晏弱将軍の戦を学びたいのです」
「わかった。良かろう」
「感謝します」
陳無宇は晏弱の元に戻った。
晏弱は棠を包囲していた。
「戻ってくられたのですか?」
「戦を学びたく参りました」
「そうですか……しかし、それほど派手なことはもうございませんよ。ここからは我慢比べですから」
「もうすぐ落とせるのではないのですか?」
もうここから逆転することなどほぼ不可能ではないのか。
「国を滅ぼすということはそう簡単なことではございません。滅ぼす時こそが一番大変なのです」
「しかし、これほどの兵に囲まれておりますし、もう勝目など」
「物事は理屈だけで成り立っているのではありません」
滅ぼすということは彼らの守っているものをたたきつぶすということである。
「これに対しては、どこまでも丁寧に、丁寧にやるしかございません。もしここで勝てると思い、手を抜けば、必ず痛い目に会ってここまで努力してきたものを全て失うことになります」
「なるほど」
陳無宇は頷いた。
「全てにおいて、丁寧に事を進めれば、何とかなるものです」
晏弱はそう言って、軽く笑った。
それから数ヶ月経つと、晏弱の陣にあるものが届いた。
「やっと届きましたか」
彼の元に届けられたのは、王湫と正輿子の首であった。彼らは莒に逃れていたが、斉を恐れた莒によって斬られた。
「もっと速く届くものだと思っていましたが、まあ良いでしょう。これで恐らく棠は落ちるでしょう」
晏弱は二人の首を棠の城門前に掲げ、見せた。それにより戦意を失った棠は十二月、斉軍に降伏した。こうして萊は滅んだ。
萊の民は郳に遷され、莱の土地は斉の群臣に分配されることになった。高厚(高固の子)と崔杼が土地を分割して境界を定めた。
「晏弱、良くやってくれた」
崔杼は晏弱を称えた。
「いえ、崔杼殿が主公のお気持ちをお変えにならなかったおかげです」
彼は謙遜を示す。
「主公は汝の功績により、土地が与えられるだろう」
「感謝します」
晏弱は拝礼をし、その場を離れるとふぅと息を吐き、戦が終わったことを安堵した。
こうして斉は莱攻略に成功したのであった。
貴重な純粋だった頃の陳無宇




