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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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雞沢の会

 六月、周の単頃公ぜんけいこう、晋の悼公とんこう、魯の襄公じょうこう、宋の平公へいこう、衛の献公けんこう、鄭の僖公きこうおよび莒君、邾君と斉の世子・こうが会し、雞沢で盟を結んだ。


 晋は呉との関係強化を望んでいたため、荀会じゅんかいを淮上(淮水北)に送って呉の寿夢じゅぼうを迎え入れようとしたが、寿夢は来なかった。


 晋の悼公は良い顔はしなかったが、集まった諸侯との間で布命(晋への朝見・聘問の頻度などに関して決まりを布告すること)、結援(困難があった時の救援を約束すること)、修好(過去の友好関係を確認すること)、申盟(改めて盟約を宣言すること)を行い、帰国した。


 帰国すると悼公にとって喜ばしいことがあった。陳が晋との講和を申し込んできたのである。


 陳は楚と同盟関係であったが、楚の子辛ししんが令尹になってから、周辺の小国を搾取するようになったため、この楚の圧力に苦しんだ陳の成公せいこうは、袁僑えんきょう)袁濤塗えんとうとの四世孫)を雞沢に派遣して晋と講和させたのだ。


 晋の悼公は和祖父かそほを送って諸侯に陳の帰順を宣言した。


 七月、魯の叔孫豹しゅくそんひょうと諸侯の大夫が陳の袁僑と盟を結んだ。


 このように喜ぶべきことが起こったと思っていたら、悼公を不快にする出来事が起きた。


 悼公の弟・揚干ようかんが曲梁(雞沢付近)で軍列を乱したことがあった。


 因みにこういった諸侯の会合にも軍が従うものである。


 中軍司馬(軍法を掌る官)の魏絳ぎこうはこれを罪として揚干の僕(御者)を処刑した。


 それを知った悼公は、激怒、羊舌赤ようぜつせき羊舌職ようぜつしょくの子)


 彼は中軍尉佐で、軍尉は司馬の上であるため、魏絳の上司になる。


 彼にこう言った。


「諸侯を糾合するのは栄誉なことである。されど揚干が侮辱された」


 御者が殺されるのはその主人への屈辱になる。


「これ以上の辱めはない。魏絳を必ず処刑せよ」


 激高する悼公に羊舌赤が言った。


「絳には貳志(二心)がなく、主君に仕えて難を避けることもしない人物です。罪があっても刑から逃げず、自ら説明に来るはずです。敢えて君命を発する必要はないかと思われます」


 羊舌赤が言い終わった時、魏絳が到着し、僕人(ここでは上奏文の受けつぎをする官)に書を届けさせた。


 魏絳自身は剣を抜いて自害しようとしたが、士魴しほう張老ちょうろうがそれを止めた。


 以下、魏絳の書の内容である。


「かつて国君に人材が足りなかったため、私が司馬に任命されました(謙遜の意味)。『将兵が軍紀を守ることを武といい、軍事において、死しても軍紀を犯さないことを敬という』と言われています。主公が諸侯を糾合されましたのに、その臣が不敬であっていいはずがございません。主君の軍が不武であり(軍紀を守らない者が居り)、執事(政事を行う者。ここでは軍の執法官のこと)が不敬であれば、これ以上の罪はございません。よって、私は死を恐れて(不敬という大罪によって死刑になることを恐れ)刑を執行致しましたが、その結果、揚干をまきこんでしまいました。この罪から逃れることはできません。私は全軍を訓戒することができず、鉞(刑)を用いることになってしまいました。私の罪が重いことは承知しております。敢えて主公の刑に逆らって君心を怒らせようとは思っておりません。帰国してから、司寇(法官)を通して死刑に処してくださいませ」


 書を読んだ悼公は裸足で飛び出し、魏絳の元に行き、言った。


「汝の言は親愛(親族に対する愛)によるものである。汝の討(誅)は軍礼によるものである。私には弟がいながら、教え諭すことができず、大命(軍紀)を犯すことになってしまった。これは私の過ちである。汝は私の過ちをこれ以上重ねさせないでくれ」


 魏絳が死ねば、悼公の過ちが更に大きくなってしまうため、死んではならないという意味である。それだけ彼の主張の正しさを認めたのである。


 悼公は


「魏絳には刑罰によって民を治める能力がある」


 と判断し、そこで会盟から還ると太廟で礼食(大夫をもてなす宴)し、新軍の佐に任命した。因みに新軍の将は趙武ちょうぶである。


 張老が代わって中軍司馬になり、士富しふ士燮ししょうの親族)が候奄になった。


 大抜擢と言うべき、人事であるが、実は新軍の佐には張老を任命しようとしていた。


 だが、これを張老は辞退して言った。


「私は魏絳に及びません。魏絳の智は大官(卿)の職務を治めることができ、仁においては公室に利をもたらすことを忘れず、その勇は刑を行う時に躊躇することなく、その学は先人の職を損ないません。もし彼が卿の位にいれば、内外とも必ず安定しましょう。また、雞丘の会ではその職責を失うことなく、言辞は遜順でした。彼を賞すべきです」


 悼公は張老に五回任命を伝えたが、彼はかたくなに拒否したため、こういった人事となったのである。




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