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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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人を得んと思わば

初めて一日でのアクセス数が千を超えました。

 十一月、楚の子重しちょうが彭城を援けるため、鄭と共に宋を攻めた。


 宋の華元かげんはこれを受けて、晋に急を告げた。


 この頃、晋において政事を行っていた欒書らんしょが引退を申し込み、晋の悼公とうこうがこれを受け入れていた。


 彼としては欒書は扱いづらい存在であったため、彼が引退してくれたことに内心ではほっとしながら、政事の責任者を新たに韓厥かんけつがなった。


 韓厥が進言した。


「人を得んと思わば、率先して自らが勤労でなければならないと申します。霸を成し、国境を安定させるのは、宋から始まるでしょう」


「韓厥の言は良し、軍を率いて宋を救援せよ」


 晋軍は台谷(詳細位置不明)に駐軍して宋を援け、靡角の谷(彭城附近)で楚軍に遭遇した。晋の余りにも速い動きに楚軍は驚き、兵を還した。


 楚と共に動いていた鄭はこの晋の動きを知り、晋が今までとは違うと感じた。


 晋の悼公は宋救援のための動きを強める。


 晋の士魴しぼうを魯に送って出兵を請うた。


 魯の季孫行父きそんこうほ臧孫紇ぞうそんこつ臧孫許ぞうそんきょの子)に出征する兵の数を問うと、彼はこう答えた。


「鄭を討伐した際(鄢陵の戦い)、知罃ちおうが兵を請いに来ました。彼は下軍の佐であり、今回来た士魴も下軍の佐です。鄭を討伐した時と同じでいいでしょう。大国の命に従う時は、使者の班爵(爵位序列)に従って敬を加えることが礼とされております」


 季孫行父はこれに従った。


 十二月、晋の悼公と魯の仲孫蔑ちゅうそんべつ、宋の平公へいこう、衛の献公けんこうおよび邾君、斉の崔杼さいちょが虚朾(宋地。または魯地)で宋救援のため盟を結んだ。


 宋人は諸侯に感謝し、彭城を攻撃するように頼んだ。


 魯の仲孫蔑は成公の葬礼のため、先に帰国する許可を求めた。


 この時、悼公は張老ちょうろうを四方に派遣して悼公の功績を宣伝し、併せて諸侯の中で晋に逆らう者を探らせた。


「韓厥よ。我らに逆らう者がいるとすれば、どこであろうか?」


「斉でしょう。魯の国君は即位したばかりで、まだ幼いため仕方ないにしても、斉は崔杼のみを寄越しました。斉は心の底から、晋に従う気はないかと思います」


「ふむ、確かにそのとおりだが、表立って逆らわないため、何もできんな」


「されど警戒はしておくべきでしょう」


「そのとおりだ」


 晋は斉への警戒を強めた。


 紀元前572年


 晋の欒黶らんえん、魯の仲孫蔑ちゅうそんべつ、宋の華元、衛の甯殖ねいしょくおよび曹人・莒人・邾人・滕人・薛人が彭城を包囲した。


 彭城は晋に投降した。


 晋は宋の五大夫(魚石ぎょせき向為人しょういじん鱗朱りんしゅ向帯しょうたい魚府ぎょふ)を連れて兵を還し、瓠丘(壺丘)に五人を置いた。


「これで斉を攻める口実ができた」

 

 悼公は斉が彭城の戦いに参加しなかったため、晋は斉へ侵攻した。


 二月、斉は公子・こうを人質として晋に送り、講和した。


「次は鄭だ」


 五月、晋の韓厥と荀偃じゅんえんが諸侯を率いて鄭を攻撃し、郛(外城)に入った。


 鄭は洧上(洧水沿岸)で晋と戦うが、晋軍は鄭の徒兵(歩兵)を破った。


「徒兵が破れた以上は防備を固め、これ以上の侵攻を止めるしかありません」


 従軍していた子国しこくが進言し、鄭は防御を固めた。

 

「これ以上、鄭と戦う必要はない」


 韓厥はそう言って、軍を鄫(鄭地)に向けた。


 鄫には東諸侯(魯の仲孫蔑、斉の崔杼と曹人・邾人・杞人)が駐軍しており、晋軍はこれと合流。そのまま鄭から移動し、鄫に集まった諸軍を率いて楚の焦邑、夷邑と陳を攻撃した。


 晋の悼公と衛の献公は戚に駐軍して後援となった。


 秋,楚の公子・壬夫じんふ子辛ししん子反しはんの弟)が宋の呂邑と留邑を攻めた。


 鄭の子然しぜん(穆公の子)も宋を攻めて犬丘を取った。


 晋側と楚側が互いに軍を動かし戦をしているが、晋側の方がまとまりがあり、楚側は苦戦した。







 九月、周の簡王かんおうが死んだ。

 

 子の泄心せいしんが即位した。これを周の霊王れいおうという。霊王は産まれた時から髭が生えていたという不思議な誕生をした人物である。


 冬、邾君が魯に来朝した。


 衛の献公が公孫剽こうそんひょう子叔ししゅく黒背こくはいの子)を魯に送って聘問した。


 晋の悼公も知罃ちおうを送って魯を聘問した。


 因みにある国で新君が即位した際、大国は聘問し、小国は朝見することが礼とされていた。


 邾は小国なので魯に対して朝見を行い、晋は大国、衛は魯と同等の国なので聘問を行ったのである。


 細かいこういう事が国々の間の礼として大切なことなのである。






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