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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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斉国内での対立

 晋の厲公れいこう郤至げきしを周に送って楚から得た戦利品を献上させた。


 郤至が単襄公ぜんじょうこうと話をした時、しばしば自分の功績を自慢した。


 単襄公が諸大夫に言った。


「郤至は亡びるだろう。七人の下にいながら(郤至は新軍の佐であるため上に七人いる。欒書らんしょ士燮ししょう郤錡げきき荀偃じゅんえん韓厥かんけつ知罃ちおう郤犨げきしゅう)、上の功績を覆おうとしている。怨みが集まれば乱の本になり、怨みが多くなれば乱の元になる。それでどうして官位を保つことができるだろうか。『夏書(尚書・五子の歌)』に『怨みとは見える場所だけにあると言うのだろうか。見えない怨みを考えなければならん』とある。些細なことに対しても慎重でなければならないもの。今、郤至は見えない怨みも明らかにさせている。これでいいはずがないではないか」


 紀元前574年


 正月、鄭の子駟ししが晋の虚と滑を侵した。


 これに対し、衛の北宮括ほくきゅうかつ(または北宮結ほくきゅうけつ成公せいこうの曾孫)が晋を援けるため、鄭を攻めて高氏に至った。


 この子駟の行動は晋を連れ出そうという意図がある。晋との和睦の条件とするためである。


 だが、鄭の成公せいこうがこれを許さなかった。


「晋よりも楚の方が信じられる」


 それが彼の主張である。子駟はため息をつきながら、仕方なく楚との関係を強化することにした。


 五月、太子・髡頑こんがんと大夫・侯獳こうじゅを人質として楚に送った。


「何故、太子である私が人質となるのだ」


「国を守るためです。どうかご忍耐を」


 近臣が荒ぶる太子・髡頑が止める。


「おのれ、子駟め。許さんぞ」


 彼は憤りを顕にしながら楚に向かった。


 楚はこれに答えて、公子・せいと公子・いんが兵を率いて鄭を守った。


 周の尹武公いんぶこうと単襄公が晋の厲公、魯の成公せいこう、斉の霊公れいこう、宋の平公へいこう、衛の献公けんこう、曹の成公せいこうおよび邾人と共に鄭を攻撃し、戲童から曲洧に至った。


「これでも晋に従うわけにはいかないでしょうか?」


 子駟は鄭の成公に進言するが、彼は断固として従わない。


(困ったものだ)


 そう考えながら、楚への使者を派遣した。


 この頃、晋の士燮ししょうは鄢陵の戦いから帰ると自分の家の祝宗(祝史の長。祭祀を掌る官)に早死を祈らせていた。彼は言った。


「国君が驕侈にも関わらず、敵に勝ってしまった。これは天が晋の疾(欠陥)を増やそうとしているからである。禍難はすぐ訪れるだろう。私を愛する者よ。どうか私が速やかに死ぬことを祈ってくれ、難が及ばないのは范氏の福となる」


 彼は祈りながら死んだ。


 彼の願いを聞き届けた天は彼を愛していたが故に聞き届けたのかどうか……


 彼の死んだことを知らず、晋は諸侯と共に柯陵(または「嘉陵」「加陵」)で盟を結び、二年前の戚の盟を確認した。


 だが、楚の子重しちょうが鄭を援けて首止に駐軍したため、晋を中心とする諸侯は兵を退いた。


 




 







 人の欲の大きなものとして、食欲、物欲、性欲など様々なものがある。どの欲望も行き過ぎれば、不幸をもたらすものであることは確かである。


 それが個人に留まるのであれば、まだ良いものの、大抵は周りの者にも被害が及ぶものである。


 声孟子せいもうしという女性がいる。彼女は斉の霊公の母であるため、それ相応の立場にいる女性と言えよう。しかしながら前年、魯から出奔してきた叔孫僑如しゅくそんきょうじょがやってきたのだが、彼と男女の関係を結んだのである。


 彼女は国君の母という立場の柵が煩わしかったのであろう。


 しかしながら叔孫僑如は彼女との関係が泥沼にいくことを嫌い、衛に出奔してしまった。


 だが、一度火が付いた性欲というものは中々収まらないものであるらしい。


 次に男女の関係となったのは、慶克けいこくという男である。彼は斉の大夫であるため、何処かの国に逃れるということはない。されど問題は起きた。


 ある日、慶克が一人の婦人と一緒に女性の衣を被って輦に乗り、閎(宮中の小門)を通ろうとした。声孟子に会うためである。


 しかしそれを鮑牽ほうけん鮑叔牙ほうしゅくがの曾孫)がそれを見つけてしまい。国佐こくさに報告したため、国佐は慶克を召して譴責したのである。


 そのため慶克は家にこもり、声孟子に会わなくなった。


 久しく慶克が会いに来ないため、声孟子は人をやって彼に理由を尋ねた。慶克は、


「国子が私を譴責したのです」


 と伝えた。


(おのれ、あの男めが……)


 声孟子は激怒した。


 この時、国佐は霊公の相として諸侯の会盟に参加していた。高無咎こうむきゅうと鮑牽が国を守っていた。


 霊公が帰路に着く際、高無咎と鮑牽は霊公の安全を守るために警備を強化し、城門を閉じて通る者を検査し始めた。


 それを知った声孟子が霊公に人をやって讒言した。


「高・鮑の二人は国君を国に入れず、公子・かく頃公けいこうの子)を立てるつもりです。国子も陰謀を知っていましょう」


 七月、霊公はこれを信じ、鮑牽を刖の刑(脚を切断する刑)に処し、高無咎を追放した。高無咎は莒に奔った。


 これを受けて、高弱こうじゃくが盧(高氏の采邑)で叛した。


「如何いたしますか?」


 霊公に対し、崔杼さいちょが問うた。


「ふむ今、国には大きな二つの木がある。その木は大きくなりすぎて、この国に影をもたらしている。そのような木があれば切らねばならん」


「では、二つの木は良いとして、小さいながら尊貴な木は如何しますか?」


「魯から枝だけで良い。根は残しておこうぞ」


「承知しました」


 崔杼は拝礼をしながら答えた。


 魯の鮑国ほうこくの元に使者が来た。


「私に家督を……」


 彼は鮑牽の弟で、魯の施孝叔しこうしゅくの家臣になっていた。


 彼の逸話をここで述べる。


 施氏が家宰(卿大夫の家を総監する者のこと)を誰にするか卜った際、匡句須きょうこうしゅ(匡が氏)が吉と出た。


 施氏の宰は百室(百戸)の邑を持つことになっていたため、匡句須に邑を与えて宰に任命した。しかし匡句須は鮑国に宰と邑を譲った。


 不可解に思った施孝叔が言った。


「汝は卜で吉と出た」


 匡句須が答えた。


「忠良に譲ることほど大きな吉はないでしょう」


 鮑国は施氏に仕えて忠を尽くしたため、名声を得た。


 そのため鮑牽が刑を受けると、斉は鮑国を魯から呼び戻して鮑氏の家系を継がせようとしたのである。


「これで恩を売るということか……」


 彼はそう思った。霊公はそういった意図があるように思えるからである。


「まあ、良いか」


 これで断れば、どうなるかは兄の状況を見れば、理解は難しくない。


 こうして彼が鮑氏を継いだ。














 晋の厲公が鄭を攻めるため、知罃を魯に送って出兵を請うた。

 

 十月、周の単襄公と晋の厲公、魯の成公、宋の平公、衛の献公、曹の成公および斉の国佐、邾人が鄭を包囲した。


 楚の公子・しんが鄭を援けるため、汝上(汝水沿岸。楚と鄭の国境)に駐軍した。


 そのため十一月、諸侯は兵を還した。


 ここで魯の軍中で不幸な出来事があった。公孫嬰斉こうそんえいせいが死んだのである。


 彼は数年前、夢で洹水を渡り、ある人から瓊瑰(珠)を与えられた。公孫嬰斉がそれを食べると、泣いて流れた涙が全て珠石になって懐に溜まり、彼は歌いだした。


「洹水を渡り、瓊瑰が与えられた。帰ろう、帰ろう。瓊瑰が懐を満たしている」


 古代は死者の口に玉を入れたため、目が覚めた公孫嬰斉は不吉な夢だと思い、敢えて夢の内容を占うことはなかった。


 だが、鄭から帰る途中の公孫嬰斉は貍脤(詳細位置は不明)はその夢を思い出し、言った。


「以前は死を恐れて占わなかったが、今は私に従う者が大勢おり、既に三年も経つのに無傷である占っても心配あるまい」


 公孫嬰斉は瓊瑰が懐を満たすという夢を、家臣が増える吉夢だと考えるようになったため、占いを命じた。


 しかしその日の夜、公孫嬰斉は死んでしまった。


 この時、諸侯から離れて、別行動を取る者がいた。斉の国佐である。彼はある報告を受けていた。


斉の霊公が崔杼を大夫に任命し、慶克に補佐させ、軍を率いて盧(高弱)を攻撃させたというものである。


 国佐はこれを聞き、帰国の許可を求めて盧を包囲している崔杼・慶克の軍に合流したのである。


「おお、国佐殿、良くぞ参ったぞ」


 慶克はにこやかに彼を出迎えると国佐は、


「汝らの好きにはさせんぞ」


 慶克を殺し、彼の兵を奪って穀で反旗を翻した。崔杼はこの事態を霊公に報告した。


「ちっ」


 霊公としては彼をも始末しておきたかったが、できなくなった。そのため国佐を招いて徐関で盟を結び、官職を元に戻した。


 十二月、盧は斉に投降した。


 国佐にしてやられた形となった霊公は国勝こくしょう(国佐の子)を晋に送って国難を報告させた。国佐の討伐を考えていた霊公は、国勝を国佐から離れさせるため、使者に任命したのである。


晋から戻った国勝は国都に帰れず、清(斉邑)で待機するように命じられた。



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