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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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曹の子臧

昨日、投稿できず、申し訳ございません。

 秋、鄢陵の戦いの後、晋の厲公れいこう、魯の成公せいこう、斉の霊公れいこう、衛の献公けんこうと宋の華元かげんおよび邾人が沙隨(宋地)で会見した。


 内容は鄭討伐についてである。


「斉君の隣にいるのは誰であろうか?」


 華元は家臣に聞いた。霊公の側に見られない男がいたからである。


「確か……崔杼さいちょという男であったかと思います」


「崔杼……斉の先々代ぐらいに追放された男ではないか?」


 記憶が正しければ、そのような事件が起きていたはずである。


「それは崔杼の父親です」


「ほう、左様か。ふむ、斉君は追放された者の息子を使うか……」


 追放された者を使うということは先代までの方針とは違う方へ国の舵を変えるということでもある。だとすれば、霊公には何かしらの大志があるとも見えなくはない。


(余計なことをすることがなければ良いのだが……)


 それだけが心配である。


 一方、魯の成公は会見に参加しようとして、兵に止められた。


「魯君はこの会見に参加することを認めるわけにはいきません」


「どういうことか説明願いたい」


 季孫行父きそんこうほがそう言って兵に詰め寄るが兵は、


「主公よりの命です」


 魯側からすれば、何ら問題を起こしていないにも関わらず、晋に止められることに納得はいかなかったが、


「仕方ありません。ここは引きましょう」


 季孫行父に言われ、成公は引いた。


 このようなことになった理由は叔孫僑如しゅくそんきょうじょによってもたされたものである。


 鄢陵の戦いへの出兵に乗じて、季孫氏と孟孫氏を追放しようとしたものの失敗したため、彼は使者を送って晋の郤犨げきしゅうにこう伝えた。


「魯君は壊隤に待機しており、晋・楚の勝負がつくのを待っております。積極的に晋に協力するつもりがないためです」


 郤犨は新軍の将であり、晋の公族大夫として東方諸侯を主宰する立場にある。そのため大きな力を持っているのである。


 叔孫僑如が賄賂を贈ると、郤犨は厲公の前で成公のことを讒言した。そのため、沙随の会見で成公は厲公に会うことができなかったのだ。


(そろそろ、どうにかしなければならんな)


 季孫行父はそう考えながら成公と共に帰国した。


 実はこの会見において、曹の諸大夫が来ていた。


 彼らは晋にこう伝えた。


「我が国の先君・宣公せんこうが世を去ってから、国民は『国君が死に、太子が殺され新君が立った。我らの憂いはまだ終わっていない』と噂していました。噂通り、貴国が我が君(曹の成公せいこう)を討伐し、国の社稷を治めておりました公子(子臧しぞうが出奔しました。これは曹の滅亡を意味します。禍の原因は先君に罪があったからでしょうか。もし罪があったとしても、貴君は先君を諸侯の会に参列させ、先君の地位を認めていたではありませんか」


 そう、晋は曹でこのような事態が起きた時、直ぐに対処せず、処罰しなかったではないか。それにも関わらず、後になって処罰するというのは、おかしくはないのか。


「君主とは徳と刑を誤らないが故に、諸侯の伯(覇者)になれるのです。我が国だけが棄てられるのはなぜでしょう。以上の内容は敢えて諸国に公開せず、貴国だけにお伝えします」


 されど晋は曹のこの訴えに答えを保留にした。

 












 七月、魯の成公がいん武公ぶこう、晋の厲公と斉の国佐こくさおよび邾人と会し、鄭を攻撃した。


「先の会見に参加させなかったにも関わらず、出兵しろとは……」


 文句を言いつつ成公が出発しようとすると穆姜ぼくきょうが前回と同じように命じたが、成公は宮中の警備を厚くして出征した。


 魯軍は鄭の近くに行き、晋等の諸侯の軍は鄭の西にいた。魯軍は鄭の領土を越えず、鄭東の督揚に駐軍した。


「晋め我らに先鋒させようと言うのか」


 先鋒になれば、被害が大きくなる。


 そこで魯の公孫嬰斉こうそんえいせいを斉軍にいる叔孫豹しゅくそんひょう(僑如の弟)の元に送り、彼を晋陣に送り、魯軍を迎え入れるように請うた。


 公孫嬰斉は鄭の郊外で晋のために食事を用意し、晋軍が魯軍を迎えに来るまでの四日間、公孫嬰斉は食事をとらず、晋の使者が到着して食事をしてから、やっと自分も食事をした。


 諸侯は制田に遷った。


 晋を守っていた下軍の佐・知罃ちおうも参戦し、諸侯を率いて陳を攻撃した。連合軍は鳴鹿に至ってから蔡を侵した。


 その後、諸侯は潁上に駐軍した。この時、気を抜きすぎたというべきであろう。鄭の子罕しかんが夜襲を行い、宋・斉・衛の軍が大打撃を受けるという敗北を喫したのである。だが、晋としては自分たちは大した被害は受けていない。


 この時、晋が被害が大きかった三カ国に援助をしていれば、三カ国の心を掴めたかもしれない。


 曹人が再び成公の釈放を晋に請うた。この時も晋は答えをあやふやにする一方、厲公は宋に使者を送って亡命中の子臧にこう伝えた。


「汝が帰国したいのであれば、私は汝を曹に帰らせて国君に立てようではないか」


 子臧は悩んだ。現在、曹は国君がいないことで国政に混乱が生まれつつある。


(自らの志に従えば、国君になるべきではなる気はない。だが、これ以上民を不安にさせるのはどうであろうか……)


 難しい判断であるが、彼は悩んだ後、宋から曹に帰ることにした。


「国のためだ」


 それが彼の答えであった。だが、この時このことを知った厲公はなんと曹の成公を釈放して京師から曹に帰らせたのである。


(晋め……)


 子臧は成公が帰国したことで、国君の地位に問題を起こすべきではないと考え、自分の邑と卿の官職を全て返上し、出仕しなくなった。


「あははは、子臧とやらは高潔の士と聞いていたが、この様である」


 厲公はそう言って笑ったが、周りの大臣たちはこれを見ながら眉を顰めた。


 これが諸侯の盟主であろうとする者の政治であった。

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