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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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鄢陵の戦い

 崩れていく楚軍に釣られるように鄭も崩れ始めた。


 鄭軍を攻めるのは晋の韓厥かんけつである。


「主よ。鄭君です」


 御者の杜溷羅が指さした先には鄭の成公せいこうがいた。丁度追撃している形となっていた。


 杜溷羅が聞いた。


「もっと速くしますか。鄭君の御者は頻繁に後ろを見ており、注意が馬に向いておりません。追いつけましょう」


 韓厥は首を振る。


「二回も国君を辱めるようなことはしたくない」


 一回目は、鞍の戦いで韓厥が斉の頃公けいこうを追いつめたことを指すという説と、この戦いで既に楚の共王きょうおうの目を負傷させたことを指すという説があるが、話しの流れとしては、前者に思える。


 韓厥は追撃を止めさせた。そして、崩れていく楚軍を見る。


(楚とはこれほど弱かったのか……)


 彼は邲の戦いを思い出しながら考える。


(あの時の楚は恐ろしさがあった。だが、今の楚は怖くない。何故であろうか……)


 それ以上に晋が強くなったかと思えば、違うと思われる。元々楚は呉にも備えなければならず、ここに避けられる兵は少ないはずである。


(まあ、良い。私は私の職務を全うするのみだ)


 彼は車を動かした。


 その頃、郤至げきしも鄭の成公を追撃していた。


 車右の茀翰胡が言った。


「軽兵を間道に送って迎撃させてはいかがでしょう。私が後ろから迫り、車に乗り移って鄭君を捕虜にしてみせます」


 郤至が首を振って言った。


「国君を傷つけたら刑を受けるものである」


 郤至も追撃を止めた。


 韓厥と郤至の追撃が止んだものの、なお晋軍の鄭の成公への追撃は続いていた。


 成公の御者・石首せきしゅが言った。


「衛の懿公いこうは己の旗を棄てなかったため、熒で敗れたと申します」


 石首は旗を弢(矢袋)の中に隠した。


 それを見た車右の唐苟とうくが石首に言った。


「あなたは主君の側におり、敗軍の一人として主公を守ることに専心しておられる。私はあなたに及ばない。あなたが主公を難から逃れさせてくだされ、私はここに残る」


 唐苟は車から降りると矛を持って、晋軍の追撃を防ぐために留まり、戦死した。彼が稼いだ時のおかげで成公は生き残ることができた。












 一方、楚軍は地形が険しい場所に追いつめられていた。叔山冉しゅくざんぜん(叔山が氏)が敵兵を蹴散らしながら養由基ようゆうきに叫んだ。


「君命があるとはいえ、国家の危機を前には矢を射るべきではないか」


 養由基はこれに頷くと矢を二本手に取るとそれを晋兵に向かって射た。どちらも命中して晋兵を殺した。しかもその矢は一矢で数人の兵を貫いている。


 そのあまりにも凄まじき、技に晋兵は恐怖した。


 その隙に叔山冉は晋兵を捕まえ、晋軍に向かって投げた。投げられた晋兵は戦車に中り、車軾(車前の横木)を折る。


 この二人を前に晋軍は動きを止めたが、その間に楚の公子・茷が捕えられた。


 楚を追い詰めている中、晋の欒鍼らんけんが楚の子重しちょうの旌(旗)を見つけたため、晋の厲公れいこうに言った。


「楚人(恐らく捕虜)があの旌を子重の麾(旗印)だと申しております。あそこに子重がいます。以前、私が使者として楚に赴いた際、子重が我が国の勇(強さの表れ)を質問されたましたので、私は『衆が整であること(規律正しいこと)』と答えました。子重が更に聞くので、私は『悠々としていることである』と答えました。此度、両国が戎を治めましたが(会戦したが)、行人(使者。戦の前に会戦の日時を約束する使者を送ることが礼とされていた))を送っていないのでは整とは申せません(礼に則っているとは言えない)。事に臨み、かつての言葉を守らなければ(整がなかったら)、悠々としているとは申せません。使者を選んで子重に酒を献上させてくださいませ」


 厲公は同意した。


 欒鍼は厲公の車右を務めており、離れることができないため、行人を選んで榼(酒器)を子重に届けさせた。


 行人が子重に言った。


「我が君に使者が不足し、鍼(欒鍼)には矛を持たせておりますので(車右に任命したため)、あなたの従者を慰労することができません。そこで私に飲物を届けさせたのです」


 子重が言った。


「夫子(彼。欒鍼)は以前、楚で私と話をしたことがある。きっとそのためであろう。彼の記憶力も悪くない」


 子重は酒を受け取って飲み、使者を帰らせて再び戦鼓を叩いた。


 戦闘は朝から始まり、星が見える頃になっても続いたが、流石に夜間には戦闘を中断した。


 楚の子反しはんが軍吏に負傷者の確認をさせ、卒乗(歩兵と車兵)を補い、武器を直し、車馬を配置した。将兵には鶏が鳴いたら食事を取るように命じた。


 翌日も戦闘をするための準備である。


 晋軍は楚軍が立ち直ることを心配した。そこで、苗賁皇びょうふんこうが全軍に宣言した。


「車を検査し、兵を補充せよ。馬に食糧を与えて武器を直し、陣を整えて守備を固めよ。食事を充分に鳥、再び祈祷し、明日、改めて戦おうではないか」


 彼はその後、厲公に進言してわざと警備を緩めて楚の捕虜を逃がした。晋軍がいつでも戦闘に向けての準備を行っていることを楚に知らせるためである。


 共王は捕虜の情報を聞いて子反を呼んだ。


(今日ほどの戦を晋がやれば、更なる被害が出るだろう。何とかせねばならない)


 そう考えながら彼は子反と相談しようとしたのである。ところがこの時、穀陽豎(または「豎穀陽」「豎陽穀」)が子反に酒を献上していた。


 子反はある程度準備ができており、必ずや明日には晋を破ってみせると思いながら酒を飲み、酔ってしまった。


 呼びに来た使者は酔っ払った彼を共王に会わすべきではないと考え、酔っていることを伝えた。


「何たることでしょう。直ぐ様、子反を処罰し軍の引き締めを行うべきです」


 近臣たちはそういった。軍を統括するべき立場の者が酔っ払っているなど許されることではないのである。


 共王とて怒りのあまり拳を震わせるものの、近臣たちが期待した処罰等の言葉は言わなかった。


 共王は、


「天が楚を敗れさせたのだ。私はここにいるわけにはいかない」


 と言うと、夜の間に撤退するとし、近臣を連れ軍を離れた。


 王がいなくなったことを知った楚軍は一気に崩れていき、撤退した。鄢陵の戦いと言われた大戦としては呆気にないものである。





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