郤至
歩毅が晋の厲公を御し、欒鍼が車右を勤め、晋は前進し始めたのだが、楚へ侵攻しようとした晋軍の営塁の前に沼があった。
そのため晋兵は左右に分かれて沼を避けていく。
欒書と士燮は族衆を率いて厲公を守りながら行軍していくが、厲公の車が泥にはまって動けなくなり、厲公が落ちた。
それを見て、慌てて欒書が厲公の元に駆けつけると自分の車に乗せようとした。
それを止めた者がいる。厲公の車右の欒鍼である。
「書よ、下がりなされよ」
欒鍼は欒書の子であり、子が父の名を呼び捨てにするというこの場面に疑問を持たれる方もいるだろうが当時、国君の前では親でも名を直接呼ぶことになっているのである。
「国の大任(大事。戦争)を、あなたが全て一人で行うつもりでしょうか。他者の職権を侵すことを冒と申し、自分の職責を失うことを慢と申し、自分の部隊から離れることを姦と申す。この三罪は、犯してはならない」
それぞれに持ち場というものがあり、それを蔑ろにするべきではないということである。
欒鍼は車から下りて厲公の兵車を沼から引き上げた。しかしながら彼は車右であり、欒書よりも厲公に近いところにいたにも関わらず、欒書の方が先に厲公に近づけているという状況はどうにも奇妙である。
父を非難する前に自分はどうなのだろうか。
晋軍は前進し続け、そのまま楚と激突した。
晋楚の両軍が激突した中、楚の潘尫の子・潘党と養由基という二人が奮闘していた。しかしながら彼らは本来、弓の名手として有名であるのに、剣で戦っていた。
実は昨日のことであるが、潘党と養由基が射術の腕を披露するため、甲(鎧)に矢を射ていた。
当時の革甲というものは通常、内外七層になってたのだが、矢は七層を貫くほどであった。
二人はそれを楚の共王に見せて言った。
「王にはこの二臣がおります。戦を憂いる必要はございません」
すると共王が怒って叫んだ。
「大辱国」
これは直訳すると「大いに国を辱める」となるが、どうにもこの言葉は当時、人を罵倒する時に使われていた言葉のようで、これで一つの単語のようである。そのためそのまま載せる。
「明日の朝には決戦を控えているにも関わらず、汝等が矢を射ようとすれば、その芸によって死ぬであろう」
決戦を直前にしているのに、遊びで技を自慢している二人に腹を立てたようである。しかしながらこのことで弓を射抜くことを禁止したため、楚の武勇が発揮されない状況に陥っていた。
そのため楚にどうにも勢いが生まれない中、晋軍の中に弓を構え、集中している男がいた。
その男は呂錡(魏錡)という。
彼は昨日、月を射て命中させ、その後、自分自身は泥にはまるという夢を見た。
夢の内容を占うってもらうと占者は言った。
「姫姓は日(太陽)を表し、異姓は月を表します。夢で見た月は楚王に間違いないでしょう。戦で矢を射て楚王に命中させることができましょう。されど退いて泥にはまったので、あなたも死ぬはずです」
(楚王を射抜くことができるのであれば、命など……)
共王の中軍は晋の全軍から集中攻撃を受けていた。
そこで呂錡が共王を見つけた。
「楚王、覚悟」
彼は弦を引っ張り矢を射ると、矢は共王の目に命中した。
「おのれ、何たる無礼か。養由基、養由基はいるか」
怒りを顕にする共王は養由基を招くと二矢を与えた。
「やつを射抜け」
「御意」
養由基は弓を構えるや否や、呂錡に向かって放った。矢は兵の間を抜けていき、呂錡の首に中った。
呂錡はその場で絶命し弢(弓袋)に伏すように倒れ込んだ。泥の中に落ちることはなかったようである。
養由基は残った一矢を持って共王に復命した。
未だ楚の苦戦が続く中、晋の郤至が共王の親兵に三回遭遇し、三回とも駆逐した。
但し、郤至は共王を見つける度に、車から下りて、兜を脱ぎ、戦いを停止して速足で通りすぎた。
貴人の前では速足で移動するのが礼儀である。
共王はこれを見て、工尹・襄(工尹は官名。襄は名)に弓を持たせて郤至を探させ、郤至にこう伝えた。
「戦いが激しくする中、韎韋(赤い牛皮)の跗注(軍服)を着ていた者は君子である。不穀(国君の自称)を見たらすぐ車から降り、小走りで去った。負傷していないか心配である」
郤至は工尹・襄に会うと兜を脱いで共王の言葉を聞き、こう答えた。
「君王の外臣(楚王にとって晋に仕える郤至は外臣になる)・至は、我が君の戎事(戦争)に従い、我が君の霊(福)のおかげで、甲冑を身につけております。よって君命(共王の慰問)を拝受することはできません。ただ、傷を負っていないことを報告し、使者に対して三粛をとることをお許しください」
「三粛」とは三回粛礼することである。
粛礼というのは立ったまま手を胸の前で合わせ、体を少し前に倒して手を上下させる拝礼のことで、郤至は軍装をしており、頓首等の礼がとれないため、使者に向かって三回粛礼を行ってから去った。
君子(知識人)は郤至を
「勇敢なうえ、礼(軍礼)を理解している」
と評価した。郤至という人はこういう清々しさがある。されど、それを打ち消すほどの傲慢さがあるのが、彼の悲しさである。
共王は目の傷がひどくなり、楚軍が劣勢になった。
「楚が苦戦しているか……」
鄭の子国は舌打ちする。
「報告します。晋軍がこちらに向かっています」
兵が報告してきた。楚に優勢であるため、鄭へも矛を向けたのである。
「敵将は誰だ」
「韓厥です」
(韓厥……)
難敵というべき相手である。
「守りを固めよ」
彼は兵に守備を固めさせる。
(子駟殿からは程よく戦をしろとのこと……なんという無茶な注文であろうか)
「敵軍、接近」
子国の前に晋と韓と書かれた旗が見えた。
「総員、構えぇ」
彼は戦鼓を打ち鳴らし、敵軍とぶつかった。だが、
「なんだと」
子国の目の前に信じられない光景が広がった。自軍の兵が呆気なく薙ぎ払われているのである。
(これが韓厥の兵……)
彼の車にも敵兵が迫っていく。
「おのれぇ、掛かれぇ、掛かれぇ」
自ら矛を持って、敵兵を切り捨てていくが、
「主よ」
子国は車に迫る兵の勢いによって、車から投げ出されてしまった。
「くそ」
矛で周りの兵を近づけまいと振るい、家臣たちも主を守ろうと奮闘する。
そこにいくつかの車が迫り、そこから矛が子国へと突き出される。それを子国は受け止めるが、勢いに負け地面に転ぶ。
「主を守れ」
倒れこむ子国の周りを家臣が囲み守る。家臣たちの間から子国は走り去っていく車を見た。車上には韓厥がいた。
彼は子国をちらりと見るが、直ぐに興味を無くしたのか、そのまま去っていった。
「くそ、負けたか」
子国は拳を強く握り、悔しがった。




