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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第二章 覇者の時代へ
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賢臣の苦悩

 紀元前706年


 楚の武王が随に攻め込んだ。そして、彼はまず大夫・薳章を随に派遣し、和議を要求した。和議と言ってもほぼ降伏勧告に近い。楚軍は瑕に駐屯し、随の答えを待った。そして、随は使者として少師(官名であり、名前ではないが名前が不明のため少師とする)


 楚の闘伯比が武王に進言した。


「我らが漢東(漢水より東の地のこと)の地を得ることができないのは我らの不徳故のことでございます。我らが三軍を従え、兵士をもって諸国を圧迫しております。故に彼らは我らを恐れ、協力して抵抗するのです。そのため彼らを崩すのが難しいのです。漢東の諸国の中でもっとも大きい国は随でございます。その随が奢れば味方の小国を見捨てるようになります。そうなれば随と小国の間を裂くことができます。そうなれば我らに利をもたらすことになりましょう。随の少師は驕慢な人物でございます。こちらの弱兵をわざと見せれば彼は随君に伝え、彼らは付け上がるでしょう」


 この進言に大夫・熊率且比が反対した。


「随には賢人と名高い季梁がいる。見破られ無駄になるだけです」


「これは将来のための策である。少師はやがて随君の寵愛を受けることになる」


 闘伯比はそう断言した。彼の言葉を受け入れ、武王は少師と合う時に軍の強兵を隠し、わざと弱兵を見せた。


 少師は随に戻ると随君に楚の弱兵のことを話し、楚を攻めるよう進言した。随君はこの進言を受け入れようとしたがこれを季梁が止めた。


「今、天は楚に味方せんとしております。楚が弱兵を見せたのは我らを誘い込まんとする策でございます。主が急ぐ必要はございません。『小が大と並べるのは、小に道があり、大が淫なる場合』であると私は聞いております。道ありとは、民に対して信があり、神に対しても信があること。上の者が民のための利を考えるのが忠であり、祭祀官が正直に祭文を作ることが信でございます。ところが君は民が飢えているにも関わらず勝手に出兵を考え、祭祀官は嘘を並べ祭っております。これではいけません」


 この季梁の言葉にむっとしながらも随君はこう言った。


「私は祭祀の時には毛先の整った肥えたものを犠牲とし、供える穀物も豊富にしている。それにも関わらずなぜ神に対して不信であると言うのだ。」


「民こそが神の主でございます。故に聖王はまず民を治め、神を祭ることに務めるのです。祭祀で犠牲を神に捧げる時に『犠牲が肥えて美しい』と報告するのは、民の財力が充分であり、家畜が肥え、繁殖し、健康だからです。穀物を神に捧げる時に『清い穀物が豊盛です』と報告するのは、三時(春・夏・秋。農時のこと)に災害がなく、民が和して豊作故のこと。酒を神に捧げる時に『美味く清い酒です』と報告するのは、上下関わらず嘉徳があり、邪心なく、祭品が香るのは、曲がった心がないからです。三時には農業に励み、五教(父義・母慈・兄友・弟恭・子孝の五つ)を修め、九族が親しんしみ、それから祭祀をするため、民が和して神が福を降し、行動すれば成功できるのです。しかし、今、民の心は一つではなく、鬼神には主がいません。君が祭祀の供物だけを豊かにしても神が福を降すことはありません。ここしばらくは内政に修め、近隣の諸国と親しくするべきです。さすれば禍難を避けることができるでしょう。」


 この季梁の言葉を恐れ、随君は内政に務めるようになった。そのため楚は随を攻めることをやめて退却した。それを見て季梁は再び楚がやってくることを予感した。


 六月、斉は北戎に攻め込まれた。北戎の大将である大良と少良の二人の猛将の前に斉軍は苦戦したため斉の僖公は使者を鄭に送り、援軍を求めた。鄭の荘公はこれに同意し、公子・忽を派遣した。


 忽は猛将であり、戦は優れている方である。戦い方は子元のような策略を巡らすのではなく、相手を押しつぶすような戦い方である、


 彼は軍を率いて北戎と戦いこれを散々に破って見せて大良と少良の二人の首を取り、多数の兵を捕虜にし、斉の僖公に献じた。


 鄭が北戎と戦っている間、斉を衛と魯が守っていた。そこで斉の僖公は援軍として来てくれた諸国に食料を提供し、その分配は魯に任せた。その際に魯は食料の分配するときに鄭を後回しにし、斉と衛に分配した。忽は戦でもっとも功を立てたのは自分であると自負していたため、魯の扱いに不満を持った。


 この忽の戦功は鄭に伝えられた。祭仲が忽の大勝を知ったのは政務を取っている時である。


「そうか殿下は大勝なさったか」


 祭仲は安堵した。あまり負けることを考えてはいなかったがもし、負けでもして汚点を残すようなことがあれば今後の後継者争いに関して不利になるかもしれない。祭仲はそのように考えるほど彼は慎重な人物である。


「ええ、殿下の大勝には君も大層喜ばれておりました。ただ」


「ただ、何だ」


「殿下はこの戦功を斉君も喜ばれ、斉君は殿下に公女を嫁がせることを要求なさいましたが殿下は断ったそうです」


「またか」


 祭仲は使者の言葉に顔を歪めた。この男にしては珍しいことである。さて、彼はまたと言った。そう忽に斉の僖公が己の娘を嫁がせようとしたのはこれで二度目である。そして、それを断ったのも二度目である。


 最初の一回目の時は斉の僖公が魯の桓公に文姜を嫁がせる前のことである。


 最初、斉の僖公は文姜を嫁がせようとしたのは忽に対してである。この時、祭仲は忽に言った。


「受け入れるべきです。国君には寵姫が多いので太子には大きな外援が無ければ、この先後悔なさいますぞ。受け入れなくてはあなた様ではなく、他の公子たちが国君になりますぞ」


 だが、忽はこれに従うことはなかった。


 ある人がこれを忽に聞くと忽は答えた。


「人には自分に相応しい者がいるものだ。斉は大国であるため私は釣り合わない。『詩経』にこうあるではないか『自ら福の多きを求む』とあるように福を得るのに自分こそが肝心なのだ。大国と婚姻を結んだところで何になるというのか」


 そして、この年、斉に援軍として、やって来た忽に斉の僖公は別の公女を嫁がせようとした。だが忽は固辞した。これもある人に問われると彼は


「さきに斉との関係がなかった際も断ったにも関わらず、君命を受け斉を救援に来て斉から妻をもらえば戦を利用して結婚したことになる。それを民が知ればどう私を評すだろうか」


 ある意味、あの文姜との婚姻に関しては後に魯の桓公に起こったことを踏まえると文姜との婚姻を認めなかったことは良かったかもしれないが、そのようなことを知る由もない祭仲からすると忽のあり方は甘いと感じる。


 確かに、言葉だけを聞いていれば忽のあり方は己の身の丈を理解しているように見える。だが彼はそのことを気にしすぎるために視野が狭めているとも言える。


 戦を利用して妻を得ても構わないと祭仲は考えている。まず忽が考えるべきは己が国君となるための地盤となった後のことを考えなくてはならないのだ。それに例え、そうなったとしてもその後、良き政治を行えば民は忽を称えようとも罵りはしないだろう。


 周の武王ぶおうは己の主君たる商の紂王を討っても商の湯王が夏の桀王を追放しても彼らを反逆者と罵る者はいない。なぜなら彼らは民に幸福をもたらしたものたちなのである。


 逆にそれだけの力量を忽に持ってもらいたい、それが祭仲の願いである。


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