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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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奇しくも相対するは我が祖国

遅くなりました。度々遅くなってしまい申し訳ございません。

 鄢陵の地にて、晋楚両軍の旗がはためく中、晋の士燮ししょうは一人、戦いに消極的であった。


 そこで郤至げきしが言った。


「韓の戦いでは恵公けいこうが敗北し、箕の役では先軫せんしんが戦死し、邲の師では荀林父じゅんりんぼが失敗した。これら全て全て晋の恥と申すもの。あなたも先君の事(邲の戦い)は知っているはず。それであるのに今回、我々が楚を避けるような真似をすれば、更に恥を増やすことになるではないか」


 士燮が反論した。


「先君が何度も戦ったのには理由がある。当時、秦・狄・斉・楚は皆強大であったため、尽力しなければ子孫がますます衰弱する恐れがあった。されど現在において三強(秦・狄・斉)は既に帰順し、楚だけが敵対している。聖人しか内外の全ての憂患を除くことはできない。我々は聖人ではないのだから外が安寧になったら内に憂いを持つことになる。楚との戦いを放棄して、楚を外の戒懼とするべきではないか」


 士燮は戦いそのものを恐れていたのではなく、戦勝によって晋の厲公れいこうと三郤の驕慢や群臣の不和がますます増長することを恐れているのだ。だからこそ楚という大きな外敵がいれば、国内の矛盾に歯止めができると彼は考えているのだ。


 されど郤至を始め、好戦的な諸大夫からすれば、彼はいたずらに士気を下げようとしているようにしか見えない。


 翌日、楚が早朝から東夷の兵を率いて晋軍に接近して陣を構え始めた。


 晋の軍吏(将士)が憂いてどう対応するか話しあいを行った際、公族大夫の士匄しかい(士燮の子)が小走りで進み出た。


 因みに小走りになるのは身分が高い人に対する礼儀である。


 士匄が諸将に言った。


「井戸を埋め、竃を平らにし、軍中に陣を布き、列の間に距離をとりましょう」


 井戸と竃を破壊し、営内に陣を構えるというのは、飲食を棄てた決死の覚悟を示すことになる。


「晋も楚も天に与えられた国であり、対等の立場と申すもの。恐れることはございません。こちらが決死の姿を見せれば楚は退くしかありますまい」


 だが、これを聞いた士燮が咄嗟に戈を持って士匄を追い払い、更に息子を追い回しながら言った。


「国の存亡は天にかかっている。童子が何を小賢しいことを申しているか。しかも汝に意見を求めていないのに、汝は勝手に発言した。これは姦(干犯。干渉)というもの。死罪に値する」


 それを見た回りの者たちは驚いた。士燮は穏やかで、晋の良心というべき人物このような激しさを誰も見たことはないのである。


「しかしながら士氏は代々御子息を育てられる際に杖などで叩いて育てるそうだ」


「あ、それは私も知っているぞ。何でも笄を折るほどに叩くとか」


「おっかないものだ」


 ひそひそ話をする回りに対し、この様子を見ていた苗賁皇びょうふんこうが言った。


「士氏は災難からうまく逃れることができるかな」











 楚の陣が完成する前に、厲公が使者を送って欒書らんしょに攻撃を命じた。


 しかし欒書はこう言った。


「楚軍は軽佻であるため。我々が営塁を固めて待機していれば、三日で退却するでしょう。敵が退くところを撃てば、勝利は間違いございません」


 これに対して郤至が反論した。


「楚には六つの隙がございます。それを逃してはなりません。楚の二卿(子反しはん子重しちょう)は憎み合い、王卒(楚王の兵)は旧家から選んだ老衰の者が多く、鄭の陣は整っておりません、蛮軍は陣を構えることもなく、陣を構えるのに晦を避けず(この日は六月晦で、古代は月の末日に陣を構えることを不吉とした)、陣内は騒がしく規律がなく、複数の陣が集結してますます喧騒を増しております。各軍は後ろを顧み(楚・鄭・蛮各軍がそれぞれ別の軍を頼りとし)、闘志がございません。旧家の子弟には良兵がなく、天忌(晦に陣を構えること)も犯しておりますので、攻撃すれば我が軍が必ず勝てるではありませんか。攻撃を仕掛けるべきです」


 厲公はこの勇ましい彼の言葉を気に入り、攻撃を仕掛けるように命じた。それを欒書は苦々しく眺めながらも侵攻する準備を行った。


 その頃。楚の共王きょうおうが巣車(楼車)に登って晋軍を眺めていた。


 子重が大宰・伯州犂はくしゅうり(晋の伯宗はくそうの子)を共王の後ろに侍らせた。共王が言った。


「晋陣の兵車が左右に走っているのはなぜであろうか?」


 伯州犂が答えた。


「軍吏を召すためでございます」


「皆、軍中に集まったがなぜであろうか?」


「共に策謀を練るためでしょう」


「帳幕が張られたのはなぜであろうか?」


「先君の神主の前で卜をするためでございます」


「幕が除かれたが何を行っているのだ?」


「命を発すためでございます」


「陣内が騒々しくなり、砂塵が舞い上がった」


「井戸と埋め、竃を平らにして陣を布くためでしょう」


「皆、車に乗り、左右が武器を持って下りた」


 本来、元帥の車は元帥が中央、御者が左に乗り、右には車右がいた。普通の車は中央に御者がおり、左に将、右に車右。この時、車から下りたのは、普通の車の将と車右である。


 伯州犂が言った。


「宣誓を聞くためです」


「戦うつもりか?」


「まだわかりません」


「車に乗ったがまた左右が下りた」


「戦勝を鬼神に祈祷するためです」


 このように伯州犂は晋軍の動きを見るだけで状況を判断し、共王に伝えた。


 一方、晋では苗賁皇が厲公の側に仕え、楚軍の状況を詳しく伝えていた。


 伯州犂と苗賁皇は奇しくも互いに祖国と相対している。


 晋の諸将が言った。


「楚には伯州犂がおり、その陣も厚いため、戦うべきではございません」


 苗賁皇が厲公に進言した。


「楚の良(精鋭)は中軍の王族だけであり、我が軍の良を分けて左右から攻撃し、その後、三軍(実際は四軍。全軍の意味)を集結させ、楚の王卒を撃てば、必ず大勝できましょう」


 厲公が筮で占うと、太史は答えた。


「吉です。『復』の卦が出ております。その辞は『南の国が緊迫し、その王を射て、目に中らん』です。南国(楚)が緊迫し、王が負傷するのでしょう。我が軍が負けることはございません」


 厲公は苗賁皇の言と占いを信じ、決戦を命じた。


 決戦が始まった。



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