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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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独善

 晋で事件が起きた。


 晋の三郤(郤錡げきき郤犨げきしゅう郤至げきし)が伯宗はくそうを害し、讒言して殺したのである。


 彼らは伯宗という男が気に入らなかった。それだけである。


 伯宗と関係が深かった欒弗忌らんふっきにも難が及ぶほどであり、伯宗の子・伯州犂はくしゅうりにも及ぼうとしていたが、彼は楚に奔り、逃れることができた。逃れることができた理由は伯宗の妻の知恵があったためである。


 伯宗の生前、朝会に行くたびに妻がこう諫めていたと言われている。


「『盗賊は主を憎み、民は上を嫌うものである』と申します。あなた様は直言を好みすぎます。必ず難が及ぶことになりましょう」


 つまりあなたは身分が高いだけで既に嫌われているのに、言動がそれでは憎まれますよというわけである。妻である彼女は誰よりも彼のことを理解していたと言って良いだろう。


 二人の話しでこういう話しもある。


 ある日、伯宗が入朝した後、嬉しそうな顔をして家に帰ってきたことがあった。妻が理由を聞くと、伯宗が答えた。


「私が朝廷で話をすると、諸大夫が皆、私を陽子のようだと評価したのだ」


 陽子というのは晋の襄公じょうこうの時代の重臣・陽処父ようしょほのことである。賢臣として名声を得たが、殺された人物である。


 そのことを知っている妻が言った。


「陽子は言葉が華麗ではありましたが、実はがなく、直言を好みましたが策謀がありませんでした。だから禍難が身に及んだのです。あなた様は何を喜んでいるのですか?」


 悲劇にあった人に例えられて嬉しそうにするのは可笑しいではないか。


 伯宗が言った。


「諸大夫と酒を飲んで話をするから、汝が自分で聞いてみよ」


 妻は「はい」と言って同意した。


 そこで、伯宗は宴を開いて諸大夫と酒を飲んだ。そして、宴が終わると妻が言った。


「諸大夫は確かにあなた様に及ぶような方はおりません。されど人と申しますものは才能がある者をいつまでも上に置いておこうとはしないものです。必ずあなた様に禍難が及びましょう。早く優れた士を探して州犁の庇護を求めるべきです」


 こうして伯宗は晋の賢人・畢陽ひようを探し出して伯州犁を委ねた。


 その後、伯宗は政争に遭って殺され、畢陽は伯州犁を守って楚に出奔に成功させたのである。


 伯州犁は楚で太宰になった。


  韓厥かんけつがこの事件に関し、趙武ちょうぶを訪ねて言った。


「郤氏は禍を逃れることができないでしょう。善人とは天地の紀(綱紀)というべきもので、それを前後して殺害したのですから(伯宗と欒弗忌の二人を指します)、滅亡を待つしかない」


「伯宗殿ほどの方がこうも簡単に殺されてしまうとは……」


 趙武は彼の死を嘆いた。


「伯宗殿は独善的でありすぎました」


「独善とは?」


 趙武が尋ねると彼は答えた。


「独善とは他者のいない正義のことです。正義とは他者がいなければいけません。もっと正しく言えば他者の存在を認めなければ正義足り得ることはできないのです」


 他者とは自分の正義に対して共感する者のことも、反感を抱く者、どちらの意味もある。


「正義は決して独りよがりになってはいけないのです」


 伯宗は自分の言葉や行動こそが正しいと信じ、他者のことを認めようとはしなかった。そのため彼が正しいことをやろうとも周りのものは反感を覚えるだけである。


「真に正義を志す者は孤立することがありません。必ず他者がいるものです」


(それであれば、今、孤立しつつある主公は……)


 趙武がそう思ったように、この事件をきっかけに臣下の一部は晋の厲公れいこうへ反感を覚えるようになり、心が離れるようになった。


(難しいものだ)


 自分が正しいと思う行動であっても、誰かにとって、それは正しい行動とはならない。人の数だけ正義があると思うべきである。


(私の正義はどれほどの人に受け入れられることになるのだろうか……)


 趙武はそう呟いた。






 

 十一月、晋の士燮ししょう、魯の叔孫僑如しゅくそんきょうじょ、斉の高無咎こうむきゅう、宋の華元かげん、衛の孫林父そんりんほ、鄭の公子・しゅうおよび邾人が鍾離(恐らく呉と楚の国境。元は嬴姓の国)で呉と会見した。


 ここから呉と諸侯の国交が正式に始まった。


 この頃、許の霊公れいこうが鄭の圧力を恐れ、楚に遷都を願った。


 楚の公子・しんが許を葉に遷し、許は楚の附庸国になった。以前の許の地は鄭に併合され、「旧許」とよばれるようになる。


 そして、時代は最後の大戦へと動き出していくのであった。

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