伯宗
紀元前586年
春、晋である事件が起きた。きっかけは趙嬰斉(趙衰の子)と趙荘姫(趙朔の妻。晋の成公の娘。荘は趙朔の諡号)が姦通したことである。
この時、趙朔は既に死んでいるが、甥と言うべき彼の妻と体を重ねるなど、外聞が悪いと思ったのは、趙同(原同)と趙括(屏括)である。
彼らは晋の景公にこのことを話し、趙嬰斉を斉に放逐した。
趙嬰斉は追放されると決まると言った。
「私がいるから欒氏が我らを害そうとしないのですぞ。私が亡命すれば、兄上方には憂いが生まれるでしょう。また、人にはそれぞれできることとできないことがあります」
つまり、私は礼を守ることはできなかったが、趙氏を守ることはできると言ったのである。
「故に私を赦すことは害にならないでしょう」
されど趙同も趙括も同意しなかった。彼らは自分の立場の危うさに気づいてないからだ。
「趙嬰斉殿が放逐されるとは……」
士燮が驚きを露わにすると士渥濁が言った。
「まあ、あれでは仕方ないでしょう」
実は彼はこれ以前に趙嬰斉から相談を受けていた。
趙嬰斉はある日、夢で天使(羽が生えているあの天使なのかは不明)に会い、こう言われた。
「私を祭るなら、汝に福を与えようではないか」
趙嬰斉はこの夢がどういう意味なのかと思い、士渥濁に人を送って意見を求めた。
士渥濁は、
「わかりません」
と答えた。
しかし後に士渥濁は知人にこう言った。
「神は仁者に福を与え、淫者に禍を与えるという。淫でありながら罰がないのは既に福ではないか。祭りを行ったからといって、それ以上の福を得ることはない。逆に罰を受けることになるだろう」
趙嬰斉は天使を祭った。その翌日に亡命することになったのであった。
「それで趙荘姫様はどうなされたのでしょうか?」
士燮が従兄弟である彼に問うと、
「さあ、特に処罰したとは聞かなかったが……」
と景公を見ながら答えた。
(どうにもきな臭さもあるな)
士渥濁はそう思った。
魯の仲孫蔑が宋に行った。昨年、宋の華元が魯に朝見した答礼である。
夏になると晋の荀首が斉に行き、斉女を迎え、途中で魯に立ち寄ると叔孫僑如が荀首に食糧を送り、穀(斉地)で会見した。
「美男子と聞いていたが、どうにも臭い男であったよ」
「臭いと言われると……」
「息子よ、どうにもあの甘い匂いが好きになれんでな」
帰国した父の良くわからない言葉に知罃はただただ、困惑するだけであった。
この頃、晋都・絳附近の梁山が崩れた。
景公が伝車(駅車)で大夫・伯宗(字は尊。伯尊)を召した。
伯宗は景公に謁見するため宮城に向かったが、途中で重車(貨物を運ぶ大車。人が牽くのが特徴)に遭遇した。
伯宗が、
「伝車が通る。道を開けよ」
と命じると、重人(重車を牽く人)はこう言った。
「伝車とは速度を大切にするもの。私が道を開くのを待っておりますと遅くなるでしょう。小道を通った方が速いのでは?」
伯宗は賢人だと思い、彼と出会ったことを喜び、重人にどこの人か問うた。
重人は、
「絳人です」
と答える。そこで伯宗は絳の状況を聞いた。すると重人が答えた。
「梁山が崩れたましたので、伯宗様を召して相談するようです(重人は伯宗を知らない)」
伯宗が問うた。
「どうすればいいだろうか?」
変な人だと思いながら重人が答えた。
「山の土壌が朽ちたので崩れただけのこと。どうすることができるというのですか?」
彼の言葉を聞いて伯宗は彼を有識者だと認識した。当時の人々は災害を天や鬼神がもたらすものと考えいた。だが、この重人は自然現象ととらえていた。そのため、身分は低いのに有識者であったことがわかるのだ。
重人の話は続く。
「国は山川を主とします。山が崩れ川が涸れれば、国君は不挙(食事を減らすこと)、降服(素服を着ること)、乗縵(装飾のない車に乗ること)、徹楽(音楽を中止すること)、出次(宮殿の寝宮から離れて暮らすこと)、祝幣(神に礼物を捧げること)を行うもの。また、史(太史)が祭文を読み、山川の祈祷をし、国を挙げて三日間哭すのが礼でございます。ただこうするだけのことであり、伯宗様でも他にどうすることもできないでしょう」
伯宗は重人に名を聞いたが、重人は教えなかった。そこで、重人を連れて景公に会おうとしたが、これも重人は拒否した。
仕方なく伯宗は景公に謁見すると重人の言葉を報告した。景公は重人の言葉に全て従ったという。
「伯宗殿は身分の低い方でも素晴らしい意見であれば、取り得ることができるとは素晴らしいですね」
知罃が荀首に言うと、荀首は頷きながら言った。
「確かにな。伯宗殿の話が本当ならばな」
「どういう意味でしょうか?」
「よくよく考えてみよ。息子や。何故、その重人とやらの名がわからんのだ?」
「それは重人が断ったためと伯宗殿は申しておりました」
そのため何ら嘘も何もないはずではないか。しかし、荀首の考えは違う。
「息子よ。考えてみよ。もしかすれば、重人が言った意見を自分のものにしたのではないかとも考えられるではないか?」
伯宗の方が重人の名を知らないとは限らない。もしかすれば元々知っており、その才能にも気づいていたということも考えられる。しかし、それを景公に報告しなかったのでは?
また、重人は伯宗という人物の顔を知らなかった。それを利用したのではないか。
「まさか、そのようなことをするとは……」
だとすれば伯宗は他人の意見を盗み、自分の物にしてしまったことになるではないか。
「世の中には裏も表もあるということだよ。息子よ」
ころころと笑いながら荀首はその場を離れた。




