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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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移ろいで行く時代

 十二月、晋が六軍を編成した。


 今までの三軍とは別に、新上・新中・新下軍がこれによって誕生した。


 韓厥(かんけつ)趙括(ちょうかつ)鞏朔(きょうさく)韓穿(かんせん)荀騅(じゅんすい)趙旃(ちょうせん)が卿になった。


 恐らく新中軍の将は韓厥、佐は趙括。


 新上軍の将は鞏朔、佐は韓穿。


 新下軍の将は荀騅、佐は趙旃。


 鞍の役で功績を立てた諸将に報いるための任命であった。


  六軍が成立すると斉の頃公(けいこう)が晋に来た。だが、彼の表情はに憤怒の色が見えた。


 郤克(げきこく)は殞命の礼で頃公をもてなしたからである。


 殞命というのは国君が捕虜になることを言い、郤克は頃公を捕虜とみなしたことになる。


(何たる屈辱であろうか)


 だが、戦で負けた事実とそれを避けられなかった自分の責任であると思っている彼はぐっと我慢した。


 郤克が頃公に礼物を届けて続けて言った。


「我が君が私を派遣し、貧しい我が国の礼物を届けさせました。今回の戦いで貴君は辱めを受けることになりましたので執政(頃公の部下)にこれらの礼物を贈り、御人(本来は侍女の意味だが、ここでは婦人のこと、䔥同叔子を指す)へのお返しとさせていただきます」


 頃公を捕虜として扱い、礼物を贈ることが、己を嘲笑した䔥同叔子への報復になったという意味である。


(こやつ……)


 負けたことでこれほどの屈辱を受けねばならないのか。悔しさと共に、悲しい気持ちになりながら頃公は耐え続けた。


 晋の大夫・苗賁皇(びょうふんこうがこれを見て、言った。


「郤子は勇敢であるものの、礼を知らない。功績に頼り、斉君を辱めた。彼は長くないだろう」


 景公が頃公を招いて宴を開いた。


 頃公は憂鬱そうにして、宴に参加したが、


(あれは……)


 その時、鞍の戦いで自分を追撃した韓厥(かんけつ)を凝視した。


 韓厥がその目線に気づき、


「貴君は私を知っていますか」


 と聞くと、頃公は、


「服が改められたと言った」


 軍服から礼服に変わっているが、韓厥のことは覚えているという意味である。


 頃公には彼への恨みは無い。戦においては互いに死力を尽くすものだからだ。


 韓厥は堂に登ると爵(杯)を持って言った。


「私が命を惜しまず追撃致しましたのは、まさに両君がこの堂で一緒に宴を開くためです」


 韓厥が尽力して頃公を追いつめたことにより、郤克の怨みがはらされ、斉と晋が講和することができたという意味であろう。


「その通りですな」


 頃公は頷いた。ここではそう言うほか無いということもある。


 晋から帰国した頃公は死にたいと思った。晋で受けた屈辱がそう思わせる。


 されどそれを止めたのは国君という意識である。


(私が死ねば、国が民が苦しむことになる。私は民への贖罪をしなければならない)


 彼は公室の苑囿(園林)を開放し、税を軽くし、孤児や身寄りがない者を救済するようになり、疾病・障害がある者を援け、国が蓄えた食糧を民に施した。


 民はこの頃公の政治に喜び、頃公は諸侯にも礼を尽くすようになった。


 その結果、頃公が死ぬまで百姓が帰心し、諸侯が斉を侵犯することがなくなるようになった。


 頃公は自身も音楽を聞かず、酒を飲まず、肉を食べず(ここでは贅沢をしなかったという意味)、国内では百姓を愛しぬいた。


 自分が犯した罪を民に背負わしてはならないという彼の思いがここまで突き動かしたとも言える。


 晋との戦のきっかけは母だが、彼にも責任がある。相手のことを笑えば、恨みを買うのは当たり前だからである。されど、彼は民を思いやったことに関しては称賛の価値がある。


 国君には大きな責任が付きまとう。それゆえに行動や言葉には気を付けなければならない。だが、国君とて、人である。間違いを犯すこともあるだろう。間違いを犯してもそれを反省する姿勢があれば、立派な国君と言えるはずである。


 頃公は国君としての職務を大いに真っ当したと言えるだろう。















「克殿がそのようなことを斉君にしたのか……」


 士会(しかい)が寝床に伏せながら、士燮(ししょう)の話を聞いた。


「ええ、左様でございます」


「克殿のお父上はそのようなことをしなかったものだが、難しいものだな」


 士会にとっては恩人である郤缺(げきけつ)の息子であり、弟子のようなものであった。また、彼に正卿の地位を譲ったこともあり、罪悪感もある。


「父上には責任はございません。郤克殿の行動は度を越しております。苗賁皇殿も大いに憤っておりました」


「ほう、左様か」


 すると士会の元にやって来た者がいた。


「失礼します」


 息子であり、士燮の弟でもある士魴(しほう)である。


「魴か、どうした?」


「郤克殿がお亡くなりになりました」


「何だと?」


 二人は士魴の報告に驚く。特に士会の驚きは大きく、胸を抑えて苦しむ。


「父上!?魴よ、医者を呼んで参れ」


「承知した」


 士魴が急いで、部屋を出ると士会は士燮に抱きかかえられながら、言った。


「燮よ。もし郤氏一門が傲慢になれば、彼らから離れよ」


「父上……」


「家を残すためならば、時として非情にならねばならん。後は頼んだぞ」


 士会は目を閉じた。その後、目を開くことなく昏睡状態が続き、数日後に世を去った。


 彼は偉業を成した人ではない。されど晋にとってもっとも辛い時代を耐え、生き抜いた人物である。


 後世の晋の人々は晋の名臣として彼の名を大いに上げるが、彼らは晋の黄金期を駆け抜けた名臣たちよりも辛い時代を共に耐えてくれた彼を自分の国が誇るべき名臣であると考えたのである。


  覇者と呼ばれる名君の時代は終わり、名将も去った。時代の主役は移り変わろうとしていた。





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