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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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厚葬

 晋の景公(けいこう)鞏朔(きょうさく)を周に送って斉から得た捕虜や戦利品を献上させた。しかし周の定王(ていおう)は彼に会おうとせず、単襄公を使ってこう伝えた。


「蛮夷・戎狄が王命に従わず、酒色に溺れて制度を破った際、王は討伐を命じ、戦利品が献上された時、王は自ら受け取って慰労するものである。これは不敬を懲らし、功を励ますためである。兄弟・甥舅が王の制度を破って侵犯した際、王は討伐を命じるが、戦勝を聞くだけに留め、戦利品の献上はさせないものである。これは近親を敬い、姦悪を禁止するためである。今、叔父(晋の景公)は戦に勝って斉の地で功を立てたが、天子に任命された卿を派遣して王室を鎮撫させることなく、余一人(天子の自称)を慰問するために汝を派遣してきた。王室において職をもたない(天子から卿に任命された者ではなく、身分が低い大夫に過ぎない)彼を派遣するのは先王の礼に反しているではないか。余は汝のことを嫌っているわけではないが、旧典を廃して叔父を辱めることはできない(制度を無視して鞏朔から戦利品を受け取れば、礼に反するので晋に対する侮辱になるということ)。そもそも、斉は甥舅の国であり(定王の后は斉女)、大師(太師・呂尚(りょしょう))の後継である。斉が私欲に従って叔父を怒らせたとしても、諫め諭すことができないというのか」


 これに対し、鞏朔は何も言えなかった。


 その後、定王は三吏(三公)に命じて鞏朔を接待させた。侯・伯が敵に勝ち、大夫を派遣して戦勝を報告する時の礼を用いた。卿礼から一等下げた礼になる。


 また、定王は鞏朔と宴を開き、個人的に礼物を与えた。


 但し、これは礼から外れている。史書に残すべきものではないと伝えた。


 

 紀元前588年


 正月、晋の景公、魯の成公(せいこう)、宋の共公(きょうこう)、衛の定公(ていこう)、曹の宣公(せんこう)が邲の役の報復のため鄭を攻め、伯牛(恐らく鄭地?)に駐軍した。


 これに対しい、鄭の公子・(えん)子游(しゆう))は諸侯の軍に対抗することを主張、東境の鄤という地に埋伏し、諸侯連合軍を丘輿(鄭国東部)で敗ってみせた。


「勝てたな」


「ああ、勝てた」


 公子・偃の言葉に頷くのは、公子・(はつ)(字は子国(しこく))である。


「敵は大軍故に油断がございましたからな」


 そう、何度も勝てる相手ではない。


「わかっている。まあ今は勝利を喜ぼう」


「そうですな」


 鄭は戦勝に沸いた。
















 この頃、宋が宋の文公(ぶんこう)を埋葬した。


 その後、文公のために厚葬が行われたのだが、その際、墓穴に蜃(大蛤)と木炭が積まれた。湿気をとる作用があるといわれていたためである。そして、副葬品の車馬を増やし、殉死も行った。


 商王朝は結構、殉葬を行っていたが、商の子孫にあたる宋では文公の埋葬まで行われていなかったようである。その他にも多数の器物が埋められ、棺にも豪華な装飾が施された。


 当時の君子(知識人)はこう言った。


華元(かげん)楽挙(がくきょ)(どちらも宋の国政を担う大臣)は臣下としての道を失っている。臣下とは乱を治めて困惑を除き、そのためには命をかけて諫争するものである。されど二子は、主君が生きている間は放縦を許し(文公は先君・昭公(しょうこう)を殺して即位し(実行犯は彼ではないが)、その二年後に弟の()と昭公の子を殺した。それ以外にも事件があったのかもしれない)、死んでからは奢侈を増した。これは主君を悪の中に捨てるようなものではないか。臣下としてあるべき姿ではない」


 しかしながらこの批判は周側の人間の批判である。宋は商の子孫であり、以前のあり方に戻しただけとも言える。


 華元らの思いとしては、宋の文公はそれをさせるだけの偉大な君主だったと考えていたこともあるが、もしかすれば、楚との戦いで誰も参加しなかった周側の連中への反感故にこれを行ったかもしれない。









 夏、魯の成公が晋に行き、斉から汶陽の田を取り返したことを拝謝した。


 許が楚との関係に頼って鄭に従わなくなったため、


 鄭の公子・去疾(きょしつ)子良(しりょう))が許を討伐した。


「子良殿は何故に許を攻めようとしたのだろうか?」


 子国は子游に尋ねた。


 鄭は今のところ、楚と盟を結んでいる。それにも関わらず、許を攻めて良いものかと思ったのである。


「晋につく、口実にしようとしているのではないか?」


 子国は渋い顔をした。先日、晋の軍を破ったにも関わらず、晋につこうというからである。


(兵の努力を無駄にする行為ではないのか……)


 彼は身分にこだわらず、兵を大切にする男である。それだけに働きを無駄にすることに抵抗感があった。


「まあ、仕方ない。晋と楚の間に産まれてしまったのが、運の尽きというものだ」


 鄭は難しい位置にある。小国の悲しさがここにはある。






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