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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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孫良夫

本日二話目です。ご注意ください。

 紀元前590年


 三月、魯が関係の悪化した斉に備えるため、「丘甲」の制度を作った。


「丘」というのは行政の単位のことで、九夫を「井」、四井を「邑」、四邑を「丘」という。「丘甲」は丘を単位にした軍制で、一丘ごとに甲(甲冑)を提出させる、または一丘ごとに一定の軍賦(兵役と軍用品の提供)を課すといわれているが、その詳細は今ひとつわかってない。



 晋の景公けいこうが瑕嘉(詹嘉)を周に送って戎人との衝突を調停させた。瑕嘉は以前、対秦との戦いで瑕の守備を任された人物である。


 かつて周の甘歜が戎族を邥垂で破ったことがあったが、その頃から周と戎は長い間、対立していた。そのため晋が間に立ち、調停させたのだ。


 周は卿士・単襄公(単朝)を晋に送って調停の成功を謝した。


 しかしながら周の王季子おうきしが講和によって油断した戎を討伐しようと考え、許可を求めた。それを叔服しゅくふくが止めた。


「盟約に背き、大国(晋)を騙してしまえば、必ず失敗することになるでしょう。盟約に背くのは不祥です。大国を騙すのは不義です。神も人も援けないでしょう。どうしてこれで勝てるというのでしょう」


 しかし王季子は兵を出し、茅戎を攻撃した。


 このことに晋が怒った。晋はせっかく調停したにも関わらず、軍を動かしたからである。


 叔服の言うとおり、王季子は晋と徐吾氏(茅戎の集落の名。交戦の場所)で戦い敗れた。












 この頃、斉が楚と共に魯を攻撃するという情報が魯に入った。


 夏、魯の臧孫許ぞうそんきょは赤棘(晋地)に入り、景公と会盟し、


 冬、彼は軍賦の令(恐らく「丘甲」の政令)を発布し、城壁を修築して防備を固めさせた。


 周りは晋と会盟したのだから、そこまでしなくても良いとしたが、臧孫許は言った。


「斉と楚が友好を結び、我々は最近、晋と盟を結んだ。晋と楚は盟主の地位を争っている。斉は近々必ず我が国に攻めて来るのだ。もしも晋が斉を攻めれば、楚は必ず斉を援けるだろう(晋の同盟国である魯も斉を援けるために出兵した楚に襲われる)。斉と楚はどちらも我が国の敵である。禍難を予期して備えを作れば、禍難から逃れることもできるだろう」


 政治家とはこうあるべきだろう。


 紀元前589年


 春、斉の頃公けいこうが魯の北境に侵攻し、龍(または「隆」)を包囲した。


 頃公の嬖人(寵臣)・盧蒲就魁(盧蒲が氏)が城門を攻撃したが、龍人に捕えられた。頃公は


「殺すな。汝等と盟を結び、汝等の境内に入らないことを誓おうではないか」


 と伝えたが、龍の人々は盧蒲就魁を殺してその死体を城壁に晒した。


「おのれ、許さん」


 怒った斉頃公は自ら戦鼓を叩き、それに呼応するように勢いよく士卒が城壁を登った。その結果、三日後、龍城が攻略されます。


 斉軍は南に進軍して巣丘に至った。


 四月、衛の穆公ぼくこうが魯を援けるため、孫良夫そんりょうふ石稷せきしょく甯相ねいそう向禽将こうきんしょうに兵を率いさせ、新築に至った。


 この時、彼らが出会った斉軍を率いていたのは、晏弱あんじゃく蔡朝さいちょう南郭偃なんかくえんであった。


「あれは衛か……」


 晏弱が呟く。彼はここで衛と会うとは思ってなかったのである。


「どうする晏弱殿」


「戦うしかあるまい」


 そう言って、彼は戦闘準備を始めるよう命じた。


 衛軍が斉軍に遭遇すると、石稷は兵を退こうとした。彼らからしてもここで斉軍に会うとは思ってなかったのである。


(ここで予想外の戦をする必要もあるまい)


 しかし、孫良夫が言った。


「軍を率いて人を討とうというのに、敵軍に遭遇すれば還るという判断を、主君にどう説明するつもりだ。戦いが不利だと知っていたのであれば、元々出兵するべきではないではないか。すでに敵に遭遇したのだから戦うべきだ」


 そう言って、斉軍との戦闘を強行した。だが、地の利としては斉側の方がある。


 晏弱は地形を利用して、衛軍を破って見せた。


 それを見た石稷は言った。


「我が軍は敗れました。あなたはここで待機するべきです。あわてて撤退すれば全滅します。軍を全滅させてしまえば、どう復命するつもりでしょうか?」


 しかし孫良夫も諸将も早く撤退したいため黙った。


(戦闘する前はあれほど剛毅であったものが……)


 ため息をついて、石稷が改めて言った。


「あなたは国卿です。国卿を失うのは国辱というもの、子は衆を率いて退却してください。私がここに留まります」


 石稷は斉軍の追撃に対抗し、多数の援軍が接近しているという嘘の情報を流した。


「援軍だとどうする?」


「本当か嘘かわからないが、既に勝ったのだ。これ以上戦闘する必要もないだろう」


 晏弱は進軍を停止するよう命じ、鞫居に駐軍した。


 嘘から出た真というものがある。この時、新築大夫・仲叔于奚が兵を率いて斉軍に向かっていた。


「本当に援軍が来たか……」


 晏弱としては嘘だと思っていたのだが、援軍が来た以上は、退くべきと考え彼は退いた。


 ある意味、仲叔于奚のおかげで孫良夫は斉軍の攻撃から逃れることができたと言える。


 そのため穆公は仲叔于奚を褒め、邑を与えようとしたが、仲叔于奚は辞退した。


 彼は代わりに曲県(三面に架けられた鐘・磬等の楽器)を使うことと、入朝する時に繁纓(馬の装飾の一種)を使うことを請うた。傲慢と言えるだろう。何故ならば、どちらも諸侯に許されていることだからである。しかし、穆公はこれを許可した。


 仲叔于奚は大夫の身分でありながら諸侯の礼を用いることが許可されたため、後に孔子は大いに批難した。


「名(爵号。地位)も器(身分に応じた器物)も相応しくない人に与えるべきではない。これらを与えるのは政権を人に与えるのと同じだ。政権を失ったら国も失うことになる」


 一方、助かった孫良夫だが、彼は衛にいなかった。実は晋にいたのである。



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