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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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魯の宣公

大変遅くなりました。


今日で約一年経ちました。皆様のおかげです。外伝共々よろしくお願いします。


一周年ということで十二時にも投稿します。

(父が帰ってきてから、難しい顔をしている)


 士燮ししょうは父・士会しかいが難しい顔をしながら座っているのを見ながら思う。


(何か悩みがあるのであろうか?)


 それを敢えて、問いかけないところが彼らしい。


「燮よ」


 士会が呼んだ。


「はい」


 士燮が近づくと士会は言った。


「私は告老しようと思う」


 告老とは退職することつまり引退するということである。


「何故でしょうか?」


「燮よ、人を怒らせれば、必ず報復を受けるという。郤子の怒りは激しく、斉に対して怨みを晴らすことができなければ、晋において発散しようとするだろう。されど権力をもたねば、怒りを発散することもできない。私は政権を還し、彼の怒りを晴らさせてやろうと思うのだ。国内の矛盾が国外の矛盾にすり替えられてはならない(国外に対する怒りが国内への不満に変わってはならない)。お前は二三子(諸大夫)に従い、君命を奉じ、恭敬に勉めよ」


 彼は郤克げきこくのことを良く理解しており、彼が激情の人であることを理解している。その彼が自分の身体的な部分を指摘されて我慢できるとは到底思えない。しかしながらその怒りが直ぐに発散されなければ、国内に不満をぶつけるかもしれない。


 それをさせないための一手がこれである。


「父上が上にいれば、郤克殿も大人しくなると思いますが……」


 士燮としては父が郤克のために引退する必要はないと考えている。だが、息子の言葉に士会は静かに首を振った。


 それを見て、士燮は拝礼をした。父の思いに従うという意思表示である。


 こうして士会は引退した。晋の名将にして名臣の引退は静かなものであった。


 士会が引退したことで郤克が正卿となり、士燮は卿の地位を与えられた。


 それから少し経ったある日、士燮が朝廷から遅く帰ってくるということがあった。


 士会が理由を聞くと士燮は答えた。


「秦から客が来て、廋(隠語・謎かけ)を出しました。諸大夫の方々が答えることができなかったので、私が三つ答えたため遅くなりました」


 すると士会が怒って杖を取り出しながら言った。


「大夫は答えられなかったのではない。父兄(年配者)に譲ったのだ。汝は童子でありながら、三回も先を争って答えたのか。私が国にいなければ、汝は生きてはいられない」


 士会は杖で士燮を冠の上についた笄(簪)が折れるほど彼を打った。士燮は士会が言ったことを守らなかったからである。


 この厳しい父に育てられた彼が父に認められるようになるのは少し先のことである。














 紀元前591年


 春、晋の景公けいこうは衛の世子・ぞうと伴に斉に侵攻し、陽穀に至った。


 晋の侵攻に恐れた斉の頃公けいこうは景公と繒(詳細位置不明)で盟を結び、斉の公子・きょうを人質として晋に送った。


 それにより、晋は兵を還した。


 両国が結盟したため、晋は前年捕えた蔡朝と南郭偃の監視を緩めた。それにより二人は斉に帰ることができた。


 夏、魯の宣公せんこうが楚に使者を送って出兵を請うた。斉を討伐するためである。


 だが、楚では楚の荘王そうおうが病に倒れており、出兵を断った。


 その後、荘王は世を去った。


 荘王は楚の歴代の君主の中で最も有能な人物であったと称えれるに値する人物であり、彼は慎みを忘れず、多くの名臣を活かし、遂には天下に覇を唱えることができた。


 そんな偉大な男が世を去った。悲しいことである。


 荘王も死んだことで楚と伴に斉に侵攻することが無理であると判断した宣公は晋に出兵を依頼することにした。


 ここまで宣公が斉に侵攻することに拘っているのかといえば、実は彼の目的は斉への侵攻ではなかった。


 彼が即位できたのは襄仲じょうちゅうの助けによるもので、そのため彼はその息子である公孫帰父こうそんきほ(字は子家しか)を寵用していた。


 また、宣公は自分の権威を高めたいと考えていた。そのための手段として公孫帰父は三桓(孟孫氏・叔孫氏・季孫氏)を除いて公室の権力を拡大しようと考えた。


 そこで宣公と相談し、楚の力を借りようとし、それが無理となれば、晋に聘問して晋の力を借りて三桓を除くことにしたのだ。


 ところが計画は失敗することになる。


 十月、宣公が路寝(正寝)で死んでしまったのだ。


 しかし、そのことを公孫帰父は晋に聘問しているため知らなかった。


 ここで季孫行父きそんこうほが動いた。


 彼は朝廷で言った。


「嫡子(太子・あく)を殺して庶子(宣公)を立てさせ、大援(大国の援助)を失わせたのは(大国がどこの国を指すのかは不明だが、恐らく楚や斉との関係が悪化していることを言っているのかもしれない)、仲(襄仲)である」


 襄仲に罪があるから、その子・公孫帰父を排斥するべきだ、という意味である。


 それに対し、臧孫許ぞうそんきょが言った。


「当時、その罪を正すことができなかったにも関わらず、後世の者に何の罪があるというのだ。あなたが彼を除きたいと申すのであれば、私も彼を除くことを願おうではないか」


 つまりあなたの言葉は回りくどい。言い訳をする必要などないはずだ。はっきり言えばいいという意味である。


 こうして東門氏(襄仲の一族)は魯から駆逐された。


 公孫帰父が晋から魯に帰り、笙(または「檉」。地名)に至ると壇を作り、帷で覆い、上介(部下)を宣公に見立てて復命の報告をした。


 その後、宣公の葬儀を行うため、上衣を脱ぎ、麻の紐で髮を束ね、哀哭と三踊(三回足踏みすること。悲哀が達したら胸を叩き、足踏みするとされていたため、三踊は葬礼の一部になった)をしてから帳を出た。


 公孫帰父はそのまま斉に奔った。彼の最後の行為に関しては、礼があったというべきだろうか……


 魯では宣公の子・黒肱(または「黒股」)が即位しました。これを魯の成公せいこうという。


 ここで宣公の逸話を話す。


 ある夏、宣公が泗水の淵に網を張って魚を獲ろうとしたことがあった。すると里革りかくが網を切り捨てて言った。


「古では、大寒が過ぎて土の中に隠れている虫が動き出す頃になれば、水虞(「漁師」ともよばれる川沢や湖を管理する官のこと)が網や罶(竹籠)を使って大魚や川禽(大亀や蛤等、川の動物)を獲る方法を教え、獲物を宗廟に納め、国民に漁をさせることで陽気の発散を助けさせたのです」


 冬は陰の季節で、陽気が増えれば春夏になると信じられていた。そのため大寒が過ぎた頃、溶けはじめた氷の下から魚を獲ることが、地下に隠れた陽気を地上に発散することにつながると考えられていた。


「鳥獣が孕み、水蟲(魚等の水中の生物)が成長する頃(春)は、獣虞(鳥獣の禁令を掌る官)が網で鳥獣を捕まえることを禁止し、矛で魚やすっぽんを刺して獲ることだけが許されています。魚や鼈は夏用の干物になるからです(夏には獲れなくなるということ)。この禁制は鳥獣の繁殖を助けることが目的であり、鳥獣が成長し、水蟲が孕む頃(夏)になれば、水虞が網で魚を獲ることを禁止し、罠を造って鳥獣を捕まえることだけが許されたのです。鳥獣は廟庖(宗廟の厨房)に納められ、産まれたばかりの魚は成長を待つことになります。この他にも、山では幼樹を伐ってはならず、沢では生えたばかりの草を刈ってはならず、漁では稚魚を獲ってはならず、狩りでは麑(小鹿)や小さい動物を獲ってはならず、鳥を獲る時も雛や卵を守らなければならず、蚳(蟻の卵)や蝝(蝗の幼虫)を捕まえてはならないというきまりがありました。これらは万物を繁殖させるための、古人の教訓というべきもの。今、魚がちょうど産卵する時なのに、魚の成長を待たずに網を張るとは、貪婪の極みというものではありませんか?」


 宣公が言った。


「私の過ちを里革が正してくれた。素晴らしいことではないか。これは良罟(網)である。私に治国の法を授けてくれた。私が忘れることがないように、有司(官員)によって保管させよ」


 この時、宣公の傍にいた師存しぞん(楽師。存が名)が呟いた。


「罟を保管するくらいならば、里革を傍においた方が良く、治国の法を忘れずにすむでしょうに」


 魯の宣公という人は三桓を排除し、税畝の制度を行うとするなど行動力はある方であった。されど彼自身は些かずれた所があるところは否めない。


 東門氏を追放してから三桓らは喜んだ。


「まさかあのようなものを大それたことをしようとは思っていませんでしたな。それでも主公が都合良く死んでくれたものです」


 周りがそういう中、季孫行父はにらりと笑うだけで何も言わなかった。




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