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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第七章 大国と小国

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断道の会

 紀元前592年


 春、斉の公宮において、帳に隠れて婦人たちが何かが来るのを待っていた。


 それをやれやれと思いながら見つめているのは斉の国君である斉の頃公けいこうである。


「母上、それでは見つかりますぞ」


 婦人の中には彼の母である䔥同叔子しょうどうしゅくしがいた。元々、このように隠れているのは彼女が望んだことである。


「まだ、来ないのですか?」


 䔥同叔子は訪ねた。


「もうすぐ来るでしょう」


 頃公は苦笑しながら言う。


「主公、晋の使者が参りました」


 兵の一人がそう伝えると頃公は母に言った。


「参ったようです。さあお隠れよ」


 晋の使者は晋の郤克げきこくである。彼が斉に来たのは晋が主宰する会盟に斉を招くためである。


 彼は跛(足が悪いこと)であり、片目が普通よりも小さかった。そのことを斉の人々は知っていた。


 特に䔥同叔子が興味を抱き、是非見てみたいと息子に頼んだ。普通、他国の使者に会う時に婦人を伴にすることはないため、頃公は帳に母を隠すことにした。


 そこに郤克が来た。彼が堂を上がっていく姿は跛なため、少し変わった感じに身体が上下した。


 その姿を帳から見ていた䔥同叔子が余程可笑しかったのか大笑いした。


 その笑い声が朝廷に木霊する中、郤克はぎろりと笑い声の方を向いた。それを見た近くの者は顔を青ざめた。郤克は晋における立場は正卿である士会しかいに次ぐ序列であり、数々の戦に参加した猛者である。その目は威圧感がある。


「これはどういうことでしょうかな?」


 彼の言葉に周りの者は返せない。


 郤克は身体を震わせ、その場をから離れ、朝廷から出た。


「どうなさいましたか」


 副使である欒京廬が駆け寄ると郤克は睨みつけて言った。


「汝は任務が成功しなければ、復命する必要はない」


 つまり頃公を会盟に呼び出すことができなかったら帰国してはならない、という意味である。とんだとばっちりであると言える。


 そのまま彼は帰国するために黄河に至ると斉での屈辱を必ず晴らすと誓い、帰国した。


「申し上げます」


 郤克の予想よりも早い帰国に驚く宮中に対し、彼は言った。


「斉討伐の許可をいただきたい」


「子(汝)の怨みによって国を煩わせるわけにはいかない」


 晋の景公けいこうはとても冷静な人物である。彼は斉討伐を許可しなかった。


「ならば、我が一門だけでの討伐を許可していただきたい」


「郤克よ」


 郤克がなお引き下がろうとしないと見た士会が声を上げた。


「汝は主公の言葉に背くのか」


 彼の言葉に郤克は睨みつける。普段の彼ならば、やらない行為である。


(それほどの屈辱を受けたか克殿……)


「承知しました」


 声を震わせながらも郤克は引き下がった。


(あれは不味いな……)


 士会は頭を悩ました。



















 斉の頃公は流石に不味いと感じたため、上卿の高固こうこを筆頭にして、晏弱あんじゃく蔡朝さいちょう南郭偃なんかくえんを晋との会盟に派遣することにした。


 しかしながら彼のこの行為は不誠実である。使者である郤克を怒らせたのは彼とその母であるのに、自分は行こうとはいかなかったからだ。


 その思いは高固も持っていた。いや、彼の場合は自分の不満故だが、


「全く、何故私が行かねばならないのか……」


 一行が歛盂に至った時、高固は言った。


「やめた帰る」


(主公は晋に私を処罰させるつもりなのだ。このようなところで死んでたまるか)


 彼は勝手に帰ってしまった。


「どうする?」


 残されたのは晏弱、蔡朝、南郭偃である。


「ここで逃げては我が国に信義がないことになる。行こう」


「しかし、晏弱よ。高固様が恐れたようにここで向かっても死ぬだけではないか」


 蔡朝、南郭偃は死を恐れているわけではない。彼らは戦では命を投げ出すことぐらいはできるほどに勇気を持っている。


「今、国のために必要なのは使者として会盟に参加することだ。それに国のために死ぬのであれば本望ではないか」


 晏弱はそう言って、会盟先に向かった。


 六月、晋の景公、魯の宣公せんこう、衛の穆公ぼくこう、曹の宣公せんこうと邾君が断道(晋地)で会した。


 楚に帰順した宋・鄭・陳等の討伐について相談した。


 その後、巻楚(断道と同じ場所。またはその付近)で諸侯は盟を結んだ。


 この会盟に斉の晏弱等も到着したが、晋は会盟への参加を拒否した。郤克がもっともそう主張したのは言うまでもない。


 晋は晏弱ら三人を捕らえ、野王に晏弱を、原に蔡朝を、温に南郭偃をそれぞれ監禁した。


 郤克は景公に彼らを斬るように乞うたがそれが聞き入られることはなかった。それを止めた男がいるからである。


 その男の名は苗賁皇びょうふんこう(苗棼皇とも書く)という。


 彼は楚の子越しえつの子であるが、若敖氏が滅ぼされた時、まだ赤ん坊だった彼は臣下に助けられ、晋に出奔して苗邑を与えられたという変わった経緯がある。


 彼はたまたま野王で晏弱を見て、彼が捕らえられた理由を知った。


(この男は……)


 彼は楚の出身者であるわりに感情の人ではない。楚を始め、南方の人は感情的な人が多い。


 そんな彼が晏弱の行動に心揺さぶられた。


(この男は何故、死ぬかもしれないのに、来たのだろうか)


 幼少の頃の記憶が脳裏に過る。


『何故、あなたはまだ赤ん坊の私を救ったのですか?』


 老臣は答える。


『貴方様が……高貴な方だからです』


(その言葉を聞いた時、悲しいという感情が生まれたのは何故だろうか?)


 そして、その自分が何故、晏弱を救いたちと思ったのだろうか。


 晋都に帰った苗賁皇は景公に言った。


「晏子に何の罪があるのでしょうか?かつて諸侯が我が先君に帰順したしようとした時は遅れることを恐れるように集まったといいます。されど今の諸侯は晋の群臣に信義がないと言って二心を抱くようになりました。斉君は礼遇されないことを恐れて国を出ず(会に参加せず)、四子を派遣することにしました。されど斉君の左右の者が『国君が行かなければ、使者が捕えられましょう』と進言したため、高子(高固)は斂盂で逃げ帰ってしまったのです。そんな中、残った三子はこう言いました『我々の安全ために国君間の友好を断つくらいなら、死んだ方がいいではないか』と、そのため危険と知っても会盟に来たのです。我々は彼等を厚遇し、我が国に来た者に好意を持たせるべきなのです。それなのに逆に彼等を捕えてしまえば、これでは斉人の進言(使者が捕えられる)が正しくなってしまいます。これは我が国の過ちではありませんか。過ちを犯しながら改めず、久しくそのままにしておけば、後悔を招くだけで利はございません。逃げ帰った者に理由(使者は捕えられるということ)を与え、来た者を害して諸侯を恐れさせても、何の役にも立たないではありませんか」


 景公は納得し、わざと晏弱の監視を緩めさせた。その隙に晏弱は斉に帰った。


「蔡朝と南郭偃は無事であろうか……」


 蔡朝と南郭偃も翌年帰国することになる。


 苗賁皇が景公の元から離れ、廊下を歩いていると前から士会がやってきた。


「苗賁皇殿、少しよろしいか?」


「構いませぬが?」


 彼は士会に拝礼すると士会が言った。


「何故、あの者らを救った?」


 その時、士会が大きく見えた。


(これが晋の正卿か……)


 圧倒されながら答えた。


「救うに値する男だと思ったからです」


 士会は無言になる。そのことに苗賁皇は冷や汗を浮かべる。すると士会は口角を上げた。


「良き言葉だ」


 そう言って彼は立ち去った。その背は苗賁皇にとってとても大きく見えた。



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