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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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范武子の法

 魯の仲孫蔑ちゅうそんべつが斉の高固こうこと無婁(詳細位置不明)で会見した。


 この頃、魯では秋に魯で螽害が起こり、冬には蝝(蝗の幼虫)が発生するということがあった。これに対し、君子たちは皆、税畝の制度に対する天の警告であると言った。


 周代において、井田制が行われていた。


 土地は私田と公田に分けられ、民(農奴という方が正しいかもしれない)は私田で得る収穫で生活し、同時に無償で公田を耕してその収穫を国に納めていた。


 しかしながら人口が増え、土地が開拓されていき、農具の発達などによって生産力が向上するようになると私田が増えて井田制が崩壊していくようになっていた。


 そこで魯は井田制を廃止し、農地一畝(面積)ごとに税をかけることにしたのだ。


 これは納税制度の一大改革というべきものではあるが、当時は反発が大きく『春秋左氏伝』も「畝に税をかけるのは非礼である。穀物の収穫は藉法(田を貸す制度。井田制)から出てはならない。畝に税をかけるのは、国が財を求めるための手段であり、礼から外れている」と評価した、


 後漢時代に編纂された『漢書・食貨志』にもこう書かれている。


「周室が衰退したため、暴君や汚吏が国境を無視するようになり、徭役が重くなり、政令が信用を失った。上下は互いに騙し合い、公田を耕す者もいなくなった。そこで魯の宣公せんこうが『税畝』の制度を始めたのだが、『春秋』はこの制度を非難している。この後、上の者はますます貪欲になり、民に怨まれ、災害が発生するとすぐに禍乱(民衆の反乱)が起きるようになった」


 これを見ると多くの者が望まぬことをしたという印象を受けるが、ここで気をつけるべきはこれは貴族たちの反発であり、国民の反発ではない。


 歴史書に民の言葉が出てくることは少ない。貴族が作った記録を元に作っているからだ。彼らの言葉として乗ることがあるとすれば、反乱などという国に逆らったと記載する時がほとんどである。


 さて魯で反発する貴族の中でもっとも反発したのは三桓である。彼らからすれば、自分たちが築いてきたものを国君に奪われることになるからだ。


 一方、この改革を行うとした宣公は国の財政問題もあるが、三桓ら貴族の力を削ぎたいと考えていた。そのための手段が税畝であったのだ。


 魯は国君と三桓ら貴族の対立が大きくなっていた。








 紀元前593年


 正月、晋の士会しかいが軍を率いて赤狄の甲氏、留吁、鐸辰を討伐し、これを滅ぼして帰還すると士燮ししょうが慌てて駆け込んできた。


「正卿殿が病に倒れました。父上をお呼びです」


「なんと、荀林父じゅんりんぼ殿が……」


(晋にはまだ、あの男が必要なのだ)


 士会は息子を連れ、荀林父の屋敷に向かった。


「荀林父殿」


 床に伏せっている荀林父に彼は駆け寄る。


「良く来たな士会殿」


 荀林父は力なく笑う。


「荀林父殿、まだあなたは生きるべき方だ。ここで死ぬべきではない」


 彼は士会の言葉に首を振りながら言った。


「そんなことは無い。お主がいる。お主がいれば大丈夫だ」


「私など」


「私の後はやりやすいはずだ。私は汚名ばかりの男だったからな」


 からからと笑う。


「今ならわかるぞ。何故、郤缺げきけつ殿があそこまでして汝を晋に連れ戻そうとしたのかもな。士会殿、正卿になれ、なってこの国を頼む」


「荀林父殿…‥」


 士会は拝礼を行う。


「承知しました」


「うむ、これで安心して逝ける……」


 荀林父は静かに目を閉じ、開けることはなかった。


 後世において彼を称える声は少ない。されど彼は耐え難き苦痛に耐え続け、国のため、民のため奮闘し続けた。そのことは確かな事実である。


 それにより、晋は立ち直ることができたのだ。


「息子よ。この方の生き様を胸に刻め、本当に誇り高い者とはこの方のことを言うのだ」


 本当の誇りを持っている者というのは、どれほど罵られようとも耐えることができる。頭を下げ、膝をつくことができる。何故ならば、その程度のことで自らの誇りが汚されることはないということを理解しているからだ。


(晋は偉大な人を亡くした。惜しいことだ)


 士会は荀林父の死を大いに嘆いた。


 三月、晋が狄の俘(捕虜)を周王室に献上した。


 そこで晋の景公は周の定王ていおうに士会を正卿に任命することを請い、許されて士会に黻冕(卿大夫の礼服)が与えられ、中軍の将に任命され、大傅を兼任することになった。


 かつて国に刃を向けたことがある男が正卿になったのであった。


 士会が正卿に着くと晋の盗賊が秦に逃げたという。


 このことについて羊舌職ようぜつしょくが言った。


が善人を用いると不善の者が遠ざかったという。我が国も同じ状況である。『詩経(小雅・小旻)』に『戦戦兢兢とすること、深淵に臨み、薄氷を踏むが如く』とある。善人が上にいれば、民は皆、慎重になり、幸運を求める者(ここでは運に頼り、見つからないと思って悪事を働く者という意味)はいなくなる。諺に『民が幸運を多く望めば、国は不幸とならん』とあるが、これは上に善人がいないからである」


 彼は士会が善人であると称え、士会を用いた景公をも称えている。


郤缺げきけつは生き様をもって信念を示した。荀林父殿は覚悟を持って信念を示した。私は何を持って信念を示すのだろうか……」


 士会は天に問う。その答えはもうすぐ彼の前に現れることになる。












 周王室が毛氏と召氏の難(前年)のため混乱しており、両氏が王孫蘇おうそんそを襲おうとしたため、王孫蘇は晋に奔った。晋は王孫蘇を周に入れて官位を戻させた。


 冬、景公が士会を周に送って王室の乱の平定を命じ、士会はこれを平定する。


 定王はこの功績を称えるため士会をもてなし、原の襄公じょうこう)が相礼(宴席で王を補佐する役)になった。


 宴が始まり、「殽烝」が出された。


 殽烝とは宴席で出される料理の種類のことで、殺した牛の全身を俎に乗せたものを「全烝」といい、天を祭る祭祀に用いた。


 牛の半身を乗せたものは「房烝」、または「体薦」といい、天子が諸侯をもてなす時の宴に用いる。


 牛を切り、肉がついたままの骨を俎に乗せたものを「殽烝」、または「折俎」といい、天子が諸侯の卿をもてなす時の宴に用いる。


 士会はこれらのことを知らなかった。そこで彼は原の襄公に「殽烝」の意味を問うた。


 その声がたまたま定王に聞こえたため、士会を召して自ら説明した。


「季氏(士会の字は季)よ、聴いたことがないのか。王の享(諸侯との宴)では『体薦』を用い、宴(親しい者との宴)では『折俎』を用いるものなのだ。公(諸侯)は享でもてなし、卿は宴でもてなすのが、王室の礼である」


 これは優しく教えたというよりは、そんなことも知らないのかというような態度である。王室とはいえ、褒められた態度ではない。


 このようにされても士会という男は気にしない。それどころか自分の勉強不足を自覚しただけである。


 周王室の儀礼に接した士会は、帰国すると典礼の研究に励むようになり、やがて晋の法が古くなっており、今のままでは成長した国に合ってないと考えた。


(法を整理する必要があるな)


 そう考えた彼は法の整理を始めた。


「叔父上」


 そこに士渥濁しあくだくがやってきた。


「どうなされた」


「これを」


 士渥濁が手渡したのは、彼の父であり士会の兄が作った法に関する資料であった。


「これは……」


「父上の資料です。叔父上が法を整備するのに必要と思いまして」


「感謝する」


 兄が作った法、これは父が作ったものでもある。


(不思議なものだ)


 父と兄が法について学んでいる傍ら自分は武術を磨いていた。


(そんな自分が今、法と向かい合おうとしている)


「兄上……貴方の父上は正義感の強い人でした。その正義は認められることなく死にましたが、その正義はここに生きている」


「叔父上……」


 士渥濁は目を潤ませる。


「良い法を作って見せます」


「期待しております」


 士会はその後、法を作り上げ、提出した。彼の法は范武子の法と言われ、長年に渡り尊重されることになる法となる。


 彼の信念は法を持って示された。









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