晋の赤狄討伐
楚と宋が講和をした頃、晋にある事件が伝わった。
赤狄の潞子(潞国の主。隗姓)・嬰児の夫人は晋の景公の姉であった。
その潞で酆舒という男が専権し、夫人を殺して潞子の目に傷を負わせたという事件があったのだ。
怒った景公は赤狄討伐を行うとしたが、諸大夫がこれに反対した。
「いけません。酆舒には三つの儁才(優れた才能)があります。後の人の代になるまで待つべきです」
これに対し、伯宗が言った。
「討伐するべきです。狄には五罪がありますので、それを三つの儁才で補うことはできません。祭祀を行わないこと、これが一つ目です、酒を好むこと、これが二つ目です。仲章を用いず黎氏の地を奪ったことこれが三つ目です」
ここで挙げた三つ目の黎氏の地は商の時代に黎があった場所で、仲章という賢人の諫言を聴かず、その地を奪ったと言われている。
「我が国の伯姫を虐げたこと、これが四つ目です。その君の目を傷つけたこと、これが五つ目です。彼は自分の儁才に頼っているために徳を広げず、罪を増やしています。後代になってしまえば、徳義を敬い奉じ、神や人に恭しく接し、天命を守って国を興隆させてしまうかもしれません。そうなってしまえば、いつまで待てというのでしょうか。今罪がある者を討伐せず、後の機会を待とうとしていますが、今後、相手が道理を持つようになれば、手が出せなくなります。才と衆に頼るのは亡国の道というもの。商の紂王はこうして滅びました。天が時節に反すこと(冬に暑くなったり夏に寒くなること)を災といい、地が物に反すこと(諸物が通常の性質を失うこと)を妖といい、民が徳に反すことを乱といいます。乱が起きたら妖と災が生まれます。だから『正』という文字は逆さにすると『乏(窮乏・滅亡)』となるのです(小篆では「正」を左右逆にすると「乏」に近くなる)。このように常道から反した事は、全て狄にそろっています」
景公は同意し、兵を起こした。
六月、荀林父が赤狄を曲梁で破り、その数日後、潞が滅び、晋軍は嬰児を連れて兵を還した、
この戦いで、長狄焚如も晋に捕えられた。
暫くして酆舒が衛に逃げたが、衛は晋に送り返し、酆舒は晋で殺された。
こうして狄は平定された。
この頃、周で王孫蘇と召氏(召伯)、毛氏(毛伯)の三人の卿士が政権を争っていた。
王孫蘇は王子・捷(王札子)を使って召の戴公(戴公は諡号)と毛伯・衛(衛は名)を殺し、召の襄公(襄公は諡号。戴公の子)に召公を継がせた。周は地で血を洗う闘争を繰り返していた。
これを平定する立場でもある晋だが、その余裕は無い。
七月、秦の桓公が晋を攻撃し、輔氏(晋地)に駐軍した。
晋の景公が稷(晋地)で治兵(演習)し、狄の領地を奪うと黎侯(上述。赤狄の潞に土地を奪われた)を立てて兵を還した。
晋軍が雒(晋地)に至った時、魏顆(魏犨の子)が輔氏で秦軍を破り、力人(力士)・杜回を捕えるという戦功を挙げた。
捕らえる際、不思議なことが起きている。
以前、魏犨には嬖妾(寵愛する妾)がいたのだが、この妾には子ができなかった。魏犨が病になると、子の魏顆に
「私が死んだら必ず改嫁させよ」
と命じた。しかし病が重くなると、今度は、
「必ず私と共に殉葬せよ」
と命じた。その後、死んだ。
これに魏氏の者たちは困った。遺言を残した以上、それを叶えることが子孫であり、孝子というものである。
魏顆は妾を別の家に嫁がせてこう言った。
「疾病は乱となる(精神が混乱する)。私は治(精神が安定している状態)の命に従う」
そして、輔氏で秦軍と衝突した時、魏顆は一人の老人が草を結んでいるのを見た。その後、秦の杜回は結ばれた草に躓いたところを彼は捕らえたのだ。
その夜、魏顆は夢で老人に会った。老人はこう言った。
「私は、汝が改嫁させた婦人の父である。汝が先人の治命(魏犨が正常だった時の命)に従ったため、私はそれに報いたのだ」
そう言うと老人は消えた。
その後、景公が荀林父に狄臣千室(狄の奴隷千人とその土地)を与え、士渥濁(三年前、荀林父を処刑することに反対しました)にも瓜衍(地名)の県を与えてこう言った。
「私が狄の土地を得ることができたのは、汝の功だ。汝がいなければ、私は伯氏(荀林父。字が伯だったため、「伯氏」と呼ばれてもりた)を失っていた」
羊舌職がこの褒賞を高く評価して言った。
「『周書(尚書・康誥)』に『用いるべきを用い、敬うべきを敬う』とあるが、このことを指すのだろう。士伯は中行伯(荀林父)を用いるべきだと知り、国君はそれを信じた。故に士伯の言を用いたのである。これは徳を明らかにするということだ。文王が周を興したのも、このおかげである。『詩経(大雅・文王)』に『天下に利を施し、それを持って周を建てる』とある。文王は百姓に利を与えることができたのだ。この道に従うことができれば、大事を成功できるだろう」
景公は趙同を周に送って狄の俘(捕虜)を献上した。しかし、趙同の態度が不敬だったため、王季子が言った。
「十年も経たずに原叔(趙同)は大咎を受けることになるだろう。天がその魄(魂)を奪ったようだ」




