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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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楚と宋の講和

 五月、九ヶ月間包囲を続けた楚軍は流石に疲弊していた。


(これでは……)


 楚の荘王そうおうは戦では無理をしないように心がけて戦を行ってきた。そんな彼がここまで宋を包囲し続けただけでも以外なことなのだ。


 彼は何としても宋を下すことで、晋の盟主としての立場を失墜させようとしていたのだが、兵がここまで疲弊してしまえば、これ以上の継続は無理であると判断した。


 荘王は宋から退却しようとした。


 すると、申犀が荘王の馬前で稽首して言った。


「毋畏(申犀の父・申舟)は死ぬと知りながら王命を廃すことはありませんでした。しかし王は自らの言をお棄てになるのですか?」


 荘王がここで撤退してしまえば、父の死は無駄死にということになってしまう。息子としてそれは容認できないことであった。


 彼の言葉に荘王は答えられなかった。


 軍の疲弊は見るに明らかであり、これ以上、兵を苦しめるわけには王としてはできない。しかし、荘王は申舟と死んでも宋を攻め取る約束を交わしている。ここでそれを無下にすれば、民心は離れていくだろう。


(自らの判断が招いたことだ)


 決断を下す責任が彼にはある。


 その時であった。荘王の僕(御者)を勤めていた申叔時しんしゅくじが進言した。


「家を建てて田を耕せば、宋は必ず命を聞きましょう」


 それは長期戦を視野に入れた進言であり、荘王に戦うべきであると進言したのだ。


(私は宋という国を内心、舐めていたのかもしれない)


 宋とは宋の襄公じょうこうとの戦の印象が強すぎたことも理由であろう。


(あっちは信念を持って、こちらと相対している。こちらも信念と覚悟を持って対峙せねばならないだろう)


「汝の言に従う。用意せよ」


 荘王はこれに従い、宋城の周りに家を建て、耕作を始めた。持久戦の構えである。


「楚はまだ戦うか……」


 宋の文公ぶんこうは包囲する楚軍を見ながら呟く。楚と同じく城内の国民は既に疲弊している。これ以上の篭城戦は不可能というところまで来ていた。


 ここまで民から内通者が出ないだけでも奇跡である。


「主公、既に意地はなっています。これ以上民を苦しめるわけにはいかないでしょう」


 華元かげんは言った。


「意地はなったか……確かにそうだな、それでも属国にはなりたくない」


 属国になる。つまり城下の盟を行うのは、国君として最大の屈辱である。それは華元もわかっている。


「わかっています。私にお任せ下さい」


「頼む」


「御意」


 夜間に華元は数人の従者と共に城を密かに出た。そして向かった先はなんと楚陣である。大胆にも彼は楚陣に乗り込んだのだ。


 そして、ある陣幕に入った。そこで眠っているのは楚の子反しはんである。


 床に眠っている彼に華元は近づくと彼を揺すった。


「おい、起きよ」


「なんだ、このような時に……」


 揺すられ目をこすりながら子反が起きると目の前に剣先があった。


「なっ」


 驚いて、叫び声を上げそうになる子反を華元が止める。


「静かにせよ。静かにせねばどうなるかわかっているだろう」


 子反は剣先を見ながらこくこくと頷く。


 華元が言った。


「私は華元だ。我が君があなたに困難を伝えさせるために私をここに送った。我が君はこう申しております。『我が国は食糧も薪も尽きた。しかし国と共に滅ぶことがあっても、城下の盟を受け入れることはできない(降伏して国を譲ることはできない)。三十里兵を退くのであれば、楚君の命を聴こう(楚に服従しよう)』と、どうか楚君にお伝えせよ」


 口調こそ穏やかだが、彼の手には剣が握られており、それをちらちらと近づける。


「王が、そう簡単に同意するとは思えんぞ」


「楚に私が人質になると伝えよ」


 恐れを抱いた子反は、何度も頷き、華元と盟を結んで荘王に報告することを誓った。


「それで汝は同意したのか?」


「はい……」


 冷や汗を流しながら子反は俯く。


「しかしながら宋の城内は既に食料もありません。ここらで一気に攻撃を仕掛ければ落とせます」


「子反よ。汝は華元に同意したのであろう?」


「左様でございます」


「君子との約束は守るべきだ。全軍に通達せよ。これより三十里撤退すると」


 荘王は軍を三十里撤退させた。


「楚が三十里退きました」


「楚君が約束を守るとはな…こちらも守らねばならない」


 文公は城門を開けるように命じ、そのまま華元を連れ、楚陣に向かった。


「貴君が宋君か」


「左様でございます」


 荘王と文公が向かい合い、話し合う。


「楚君は約束を守っていただき感謝します。我らは講和に応じます。人質としてここにいる華元が楚に行きます」


 荘王はこれに頷き、講和に同意した。こうして宋は楚と講和し、華元が人質になった。


 次に両国が盟を結んで言った。


「我が国が汝を騙すことなく、汝が我が国を騙すこともない」


 その後、荘王は文公に言った。


「私は今まで多くの戦を行ってきた」


 荘王は懐かしそうに思い出す。彼の前には多くの困難もあった。その度に乗り越えてきた。


「その中でも貴君が、いや貴君の国がもっとも強かった」


 荘王は宋を称えた。


(これが楚君か……この方はこの戦で奮闘した宋の国民を認めてくださった)


 文公の心に感動が生まれた。同時にここまでの苦労が報われたようであった。


 こうして宋は楚と講和した。



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