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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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解揚

 冬、宋が楚に包囲されている中、魯の公孫帰父こうそんきほが斉の頃公けいこうと穀で会見した。


 そこで斉の晏弱あんじゃくとも会い、魯について語って楽しんだ。


 だが、楽しんでいたのは彼だけのようである。後に晏弱は高固こうこに言った。


子家しか(公孫帰父の字)は亡命することになるでしょう。彼は魯における寵を頼りにし過ぎております。寵に頼りすぎれば、貪欲になり、貪欲になれば、人を陥れるようになり、人を陥れるようになれば、人も彼を陥れようとします。一国が彼を陥れようとした時、逃げないわけにはいかないでしょう」


 晏弱という後に光明を得ることになる男の目には公孫帰父の危うさがよくわかったのである。


 その頃、魯の仲孫蔑ちゅうそんべつが魯の宣公せんこうに言った。


「小国が大国の罪を免れるには、聘問と献物をするべきだと申します。よって、宮庭に旅百(百件の礼物)を並べ、朝見して功を立てる必要があります。容貌・采章(羽毛等の装飾品)や嘉淑(美しい礼物)、加貨(通常の貢物以外の礼物)は、大国の罪から逃れるためにあるのです。大国の譴責を受けてから財物を贈っても間に合いません。今、楚は宋を包囲しています。主君は状況を良く考えるべきです」


 宣公は納得した。


 翌年、紀元前594年


 春、魯の公孫帰父が宋で楚の荘王そうおうに会見した。


(おお怖い、怖い)


 公孫帰父は荘王の機嫌の悪さを見ながら、そそくさと退散した。


 荘王は確かに機嫌が悪かった。


(何故、降らないのだ)


 彼は宋都を睨みつける。


 楚と宋の力の差は歴然としている。このまま宋が楚に勝てる見込みは薄い。例えここで勝てたとしてもその勝利は自らの首を絞めるだけである。


 だが、宋は楚に降ろうとはしない。荘王は何度も降伏の使者も出している、その度、宋はその使者を追い返している。


(宋君は民と心中する気なのか)


 いや、宋の文公ぶんこうと民が心中しようとしているのではないか。だとすれば、文公は民の心をしっかりと掴んでいることになる。


(正直、宋という国を私は舐めていたかもしれない)


 宋という国を見下し、自分ならば何でもできると驕っていたのではないのか。また、彼には懸念もあった。


(もしかすれば晋が動くかもしれない)


 晋が宋のために援軍を派遣され、向かい打つには些か心もとないのだ。











 前年九月から楚に包囲されている宋は、晋に楽嬰斉がくえいせいを派遣して急を告げていた。


 晋の景公けいこうはこれを受けて、援軍を送ろうとしたが、それを伯宗はくそうが諌めた。


「いけません。古人はこう申しております。『たとえ鞭が長くても、馬の腹には届かない」(たとえ晋が強くても楚と戦う力はない、という意味である)天は楚に道を開いております。いくら晋が強大だといっても、天に逆らって争うことはできるでしょうか。こういう諺もあります『高いも低いも心しだいである』川沢は汚水を受け入れ、山林は猛獣害虫を匿い、美玉も傷を隠すものです。国君も垢を含む(恥を忍ぶ)ことができてこそ、天道に応じていると申すのです。主公は時を待つべきです」


 景公は彼の言葉を聞き、出兵をあきらめた。但し、解揚かいよう(字は子虎しこ)を宋に派遣して「晋軍は既に出発しており、もうすぐ到着する(楚に降伏してはならない)」と伝えさせることにした。


 救う気はないのに、そういう使者を出すというのは不誠実である。後に晋が盟主と崇めても信頼されなかった所以の一つはこういうところにある。


 また、解揚は実に危険な任務を任されたものである。彼の行く先は絶賛、包囲されている宋都である。下手をすれば、死ぬ可能性が高い任務であり、捕まる可能性は高い。


 そのため解揚が鄭を通った時に案の定、鄭人に捕まり、楚に渡された。


 彼の存在を知った荘王は好機であると思った。


 荘王は晋の使者が宋に向かっていることから晋が戦を行える状況にないことを見抜いたのである。


(この男に援軍が来ないことを伝えさせれば、宋の心を折れる)


 彼は解揚に厚く賄賂を与え、宋人に逆の内容を伝えるように命じた。されどこの危険な任務を任されるだけに解揚は気骨の人であった。彼はこれを拒否したのだ。されど荘王はあきらめず、三回も命じた。


 荘王にとってこの戦いは苦しかった。彼は今までの戦で苦しい重いをあまりしていない。初めての苦戦であた。


(早く終わりにしたい)


 彼は焦っていた。


 三回目で解揚がやっと同意すると荘王は飛び上がらんばかりに喜んだ。


 早速、解揚を楚の楼車に登らせ、城壁に接近させ、宋人に向かって逆の内容を叫ぶように命じた。


 だが、あれほど人材を見る目がある荘王にしてはこの気骨の人とも言うべきこの男を見抜けなかったのは何故だろうか?


 解揚はこう叫んだ。


「晋軍は既に出発し、こちらに向かっている。もうすぐ到着するだろう」


 これを聞いた荘王らは唖然とし、宋の人々はわあと歓声を上げた。


「解揚、貴様あ」


 荘王は怒り狂い、兵に解揚を捕らえて連れて行くように命じる。荘王の感情が乗り移ったかのように兵たちは解揚を乱暴に扱いながら連れてきた。


「汝は私の言葉に同意したにも関わらず、なぜ背いた。私に信がないのではない。汝が信を棄てたのだ。速やかに刑を受けよ」


 解揚は荘王の信義が無いと罵ったことに鼻で笑った。


(楚君は信義を知らん)


 彼は荘王を睨みつけて言った。


「国君が命を制定することを義と申し、臣が命を実行することを信と申す。信は義によって成り立ち、それを行うことで利をもたらしもの。利を失わない方法を考え、社稷を守るのが民の主足る者の役目、義には二信がなく、信には二命はない」


 義を行う者というのは、二つの信を持たないものだ。一つの義には一つの信しか存在しない。そのため二つの信を持ったら二心を抱いたことになるからだ。故に信を行う者は二つの命を受けないのだ。そのことを貴方は知らないのでは?


 彼は荘王に言いたいことはそういうことである。


「貴君は私に賄賂を贈りました。これは命(信に二命がないこと)を知らないからです。君命を受けて国を出たからには、死んでも君命を廃さないもの。賄賂を受け入れていいはずがない。私が貴君に同意したのは、成命のため(景公の命を成すため)。死んで成命できるのであれば、それは私の福というもの。我が君(景公)には信臣がおり、下臣は死に場所を得たのでだからそれ以上望むものはない」


 荘王に対する忠烈な批判であることであると同時に自分は死ぬことを恐れず、晋の者は皆、死を恐れないと宣言もしている。


 更に彼はその軍営に向かって叫んだ。


「人の臣となった以上、忠を尽くして死を得ることを忘れるべきではない」


 彼の言葉に周りの者は頭に血が上り、皆、彼をさっさと処刑するべきと進言した。そんな周りが煽る中、荘王は冷静であった。


(見事な男だ)


 荘王は彼をそう讃えた。


 かつて周に鼎の軽重を問うた時に荘王に立ち向かった王孫満おうそんまんのように荘王は信念のある者は好きである。


 また、どんな強大な相手に対しても信念をもって相対する相手を殺せば、その実、その信念に負けたと同じことではないか。


「見事である」


 荘王は解揚を釈放して帰らせた。





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