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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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意地

 清丘の盟を破って衛が陳を援けたため、晋は使者を送って衛を譴責した。


 晋の使者は衛に居座り、


「罪が明らかにならなければ、軍を動員することになりますぞ」


 と脅した。


 衛の孔達こうたつは衛の穆公ぼくこうに言った。


「社稷の利になるのであれば、私を使って釈明してください。罪は執政足る私にあります。大国の譴責を他の者に押し付けることはできません。私が死ねば丸く収まります」


 されど穆公は煮え切らず、この件を曖昧なままにした。


 翌年、紀元前595年


 春、孔達が首を吊って死んでいるのが発見された。


 彼は穆公の煮え切らないために自害したのである。


 穆公は直ぐ様、孔達の死に知らせ、晋の歓心を買うために諸侯に伝えた。


「私には不令(不善)の臣・孔達がおり、我が国と大国(晋)の関係を悪化させた。よってその罪に服させたことを宣言する」


 この発言は孔達の死を利用したものであり、幾らなんでも国のために死んだ者に対する言葉とは思えない。もしかすれば、陳を攻めたのは孔達の独断ではなかったのではないか。その意思を持っていたのは穆公であり、孔達はそれを庇い自らの独断としたのではないか。だとすれば、穆公の言葉は孔達に対して恩知らずということになる。


 それでも何も言い訳せず死ぬ。それが孔達という男の美学だったのだろうか。


 されど衛の人々は孔達が成公を補佐して多くの功績を残してきたことを知っていた。そのため人々は彼の功績を主張し、息子の得閭叔穀に妻を娶らせて父の官位を継がせた。


 五月、曹の文公ぶんこうが死に、子の彊(または「廬」)が即位しました。これを曹の宣公せんこうという。


 夏、晋の景公けいこうが鄭に兵を向けた。邲の戦いで鄭が楚に附いたためである。


 荀林父が言った。


「整然とした我が軍の武威を示せば、鄭は自ら帰順するだろう」


 晋は鄭討伐を諸侯に宣言した後、蒐(閲兵)して兵を還した。


 しかしながら荀林父の思惑は外れた。晋を恐れた鄭は子張しちょう(穆公の孫)を楚に送り、人質として楚にいた子良しりょうを子張と交代して鄭に呼び戻し、鄭の襄公じょうこうが自ら楚に入って晋の対応を相談したのだ。


「これほど考えた通りにいかないとはな」


 荀林父は士会しかいに言った。


「それだけ今の楚には力があるということでしょう。正直、今の晋では楚とは戦えない」


「汝でもか?」


「ええ」


 士会ほどの名将でもここまで戦力差が出てしまっていては勝つ戦はできない。


「難しいものだ」


「我慢するしかありません」


「そうだな。なに、私が存分に我慢し続ければ良いのだ。そしてその後を継ぐには汝だ」


(私が正卿になる……)


 一度も想像したことのないことである。一度は秦側で自国と戦った自分が正卿になる。驚くべきことである。


「若い時は想像したことはないものだ」


「あの時から大分経ったものだな」


 二人は杯を掲げ、飲んだ。


「私が全部被ってやる。汚名も悪名もだからお前が継ぐ頃にはやりやすくなるだろうよ」


「何か申しましたか?」


「何でもない。歳は取りたくないと思ってな」


「全くですな」


 二人は笑った。


 だが、年がどれだけとろうとも、時は止まってはくれないものである。楚は大きく動こうとしていた。











 楚の荘王そうおう申舟しんたん(文之無畏)に斉を聘問させ、


「宋を通る時、宋に道を借りてはならない」


 と命じた。


 また、公子・ふうを晋に聘問させ、


「鄭を通る時、鄭に道を借りてはならない」


 と命じた。


 これに対して、申舟は恐怖する。彼はかつて(紀元前617年)に孟諸で宋の昭公しょうこうの僕を鞭打ったことがあり、宋に憎まれているからだ。


 更に鄭はともかく、宋は一貫して親晋である。その国が楚の人間が宋を通ることを許さないはずではないか。


 申舟が荘王に言った。


「鄭は昭(聡明)で宋は聾(愚か)です。晋に行く者(鄭を通る者)は害されることはないでしょうが、私は必ず殺されましょう


 荘王が言った。


「汝が殺されるようなことがあれば、私が宋を討伐して仇を取る」


 そう言って、早く行けと急かした。


(王は私を宋に始末させるつもりだ)


 荘王は殺すと決めた者は必ず殺している。しかしながら彼はただで殺さずにそこに利益をもたらせようとしている。そのため宋への侵攻の大義名分に自分の命を利用しようとしている。


 ここで何故、荘王が彼を宋への侵攻の大義名分という名の生贄に選んだのかということを少し考えてみたい。


 ここまで荘王が殺すことを選んだ面子は先ず、三年様子見た時に殺した佞臣たち、これは今まで阿諛するだけの連中だったことと良臣たちを登用する上で邪魔だったという理由がある。


 次は子越しえつは彼が若敖氏という大きすぎた勢力だったためで、彼自身が傲慢な部分もあり、国政にも大きすぎる影響力があるゆえに荘王は自分の政治を行うために始末した。


 ここで彼は大きな犠牲を払っている。


 蔿賈いかという名将を子越に殺されているのである。しかしながら彼の死は荘王は予見していた部分もあり、子越ら若敖氏討伐の大義名分に使っている。


 されど荘王という人は覇を唱えたいと考えている。それにも関わらず、何故軍事的異才である彼を犠牲に払うことにしたのだろうか?


 彼の父・穆王ぼくおうの代まで楚は代々軍を動かし、力で天下の覇権を握ろうとしてきた。しかしながらそれでも覇権を握れないまま、荘王の代まで来てしまっている。


 その理由は何故なのかと荘王は考えただろう。そこで彼は楚の政治があまりにも拙いものであったために覇を唱えられなかったのではないかと考えた。


 例えば、子文しぶんという名宰相が出てはいたものの、彼は子玉しぎょくに対しての甘さを見せている。内政手腕は評価してもその甘さは荘王からすれば評価するべきものではなく、子文の甘さは若敖氏の令尹独占まで招き、後を継いだ者たちは政治手腕には疑問が残る者ばかりであった。


 そのため彼は政治を行える人材を求めた。彼は覇を唱えるのであれば、内政を第一にするべきだと考えたのだ。そのため彼からすると武官よりも文官の方を格上とした。


 また、軍事面において彼自身が才覚を持っていたのが大きい。そのため必要以上に武官を必要とはしなかった。


 そのため蔿賈という軍事的才覚の持ち主である彼を荘王はどうしても必要な人材ではなかった。そのことを踏まえて若敖氏と彼を天秤にかけて若敖氏を排除することを決めた。


 彼は王による独裁を強めることを選んだのだ。


 政治を良くすることを第一に考えている彼の目線で申舟を見てみる。先ほども書いたが彼は以前、孟諸で宋の昭公しょうこうの僕を鞭で打つということを行っている。


 これが宋の人々の反感を買う行為であった。そのようなことをする人物に対して、政治のことを気を配っている荘王からすると度を越えた行為であり、明らかに楚に対して不利益をもたらす人物であると映ったのではないか。そのため彼を生贄にすることを選んだ。


 申舟は子の申犀を荘王に会わせて、自分が殺された後の宋討伐を約束させた。もうすぐ死ぬ男の精一杯の行動であったのだろう。


 こうして斉に向かった申舟は案の定、宋で捕えられた。


 宋の華元かげんが言った。


「楚の使者が我が国を通りながらも道を借りようとはしないのは、我が国を自分の領土と見なしているからだ。それは我が国が亡んでいることを意味するのも同じである。この使者を殺せば、楚は必ず我が国を討伐するだろう。楚が討伐すれば我が国は亡ぶ可能性もある。どちらにしても、滅亡は同じことだ」


(同じ滅亡ならば、戦って滅亡する。それが宋という国ではないか)


 華元は申舟を殺した。


 それを聞いた荘王は袖を払って立ち上がり、出陣を宣言、そのまま走り出す。従者が慌てて後を追い、窒皇(宮殿の前庭)で靴を履かせ、寝門(宮殿の門)の外で剣を渡した。


 荘王が蒲胥(地名)の市まで来た時、やっと車が追いついて荘王を乗せた。


「楚が来るか……」


 宋の文公ぶんこうは華元に呟く。


「ええ」


「気に入らんな」


「ええ」


 楚は家臣を死に追い込んでおきながらそれを自分たちを攻める大義名分にしている。


(楚はそういう国か)


 そのような国に膝を屈するのは屈辱と言っても良いではないか。


「私は楚と戦う」


「何故に?」


 華元は笑みを浮かべながら問うた。答えは既に知っている。


「意地だ」


「意地ですか……それが宋人ですな」


「ああ」


 例え天下の人が下らない意地と一蹴する意地を貫くのが宋人なのだ。


(例え、その意地が後世の者の誰一人知らずとも天が知ってくれるはずだ)


 宋の文公は楚と戦うことを決断、それにより、九月、荘王が宋を包囲した。


 荘王が宋を包囲した時、荘王の厨房では肉が腐り、樽の酒も時間が経って飲めなくなっていた。


 子重しちょうがこれを憂いて言った、


「今、国君の厨房では肉が腐って食べることができず、樽の酒も既に飲むことができなくなっておちます。しかし三軍の士は、皆、飢色を浮かべております。これで勝つことができるましょうか?」


 荘王はすぐに


「士に酒を与え、賢人に食事を与えよ」


 と命じた。


 彼は宋は直ぐに下ると考えていた。圧倒的に楚の方が戦力があるからだ。しかし、その予想は外れることになる。


 荘王にとって、もっとも苦戦することになる戦が始まった。







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