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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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厳しき生き方を

 秋、晋軍が帰還した。


 将兵の誰もが憔悴し、今回の敗北はあまりにも大きいものであった。しかし、そんな彼らの心までは折れてなかった。


 最後に帰還してきた上軍が何ら乱れることなく、堂々と帰還を果たしたからだ。


「我らを称える声が多いですな」


 郤克げきこくがそう言うものの、士会しかいは無言のまま中軍、下軍の兵たちの状況を見る。


(結構やられたな……)


「良く無事に戻ってくれた」


 そこに疲れきった表情の荀林父じゅんりんぼがやって来た。


「荀林父殿もご無事でなりよりでございます」


「多くの者をこの戦で死なせてしまった。だが、私だけが無事ではな……」


「荀林父殿……」


「さあ、主公の元へ行くと良い」


 荀林父はそう言って、彼に背を向けて宮中へと向かった。


「此度の敗戦はあの方に責任があります。主公はあの方を処罰するでしょう」


 郤克は今回の戦で荀林父が諸将をまとめきれていなかったために招いた敗北であると考えている。


「処罰は軽いものであってもらいたいものだ」


 士会は荀林父のことを嫌っていない。彼とはかつて晋の文公ぶんこうの車に共に乗った仲である。


「軽いものにはならないでしょう」


 彼は郤克の言葉に何ら返すことはなかった。


 宮中に諸将が全員集まると晋の景公けいこうは士会と郤克を労わる。そんな中、荀林父が進み出た。


「此度の敗戦の責任は私にございます。どうか私に死罪を授けていただきたい」


 彼は死罪を請うた。それを士会は複雑そうに見ている。


 景公は流石に彼の責任は大きいと考え、本人も望んでいることもあり、同意しようとした。その時、


「お待ちください」


 士渥濁しあくだくが諫めた。


「城濮の役で我が軍は三日間に渡って楚の食糧を費やしましたが、文公は憂色を解きませんでした。そのため左右の者が『喜事が訪れた時に主公は憂いておられます。憂事があったら逆に喜ぶのですか』と問いました。すると文公は『得臣とくしん(楚の令尹・子玉しぎょく)がまだ生きているから憂いはなくならないのだ。捕えられた獣でもあきらめずに戦おうとするのだ。一国の相であればなおさらではないか』と言いました。されど楚が子玉を殺したため、文公は喜んで『私を害する者がいなくなった』と言ったといいます。これは晋の再勝(楚軍に勝ったのが一勝、令尹を殺したのが二勝です)であり、楚の再敗になります。そのため得臣を殺した楚は二世(成王・穆王)に渡って我が国と戦うことができなかったのです。されど今回、天は晋に大きな警告を与えたのかもしれません。しかし更に荀林父を殺してしまえば、楚の勝利を重ね、我が国は久しく楚と戦う力を失うことになりませんか。荀林父が主君に仕える時、進めば忠を尽くすことを考え、退けば過失を補うことを想っておいでです。彼は社稷の衛(守り)というべき方。殺してはなりません。彼の失敗は日食や月食と同じです。たとえ過失があっても、日や月の光明を損なうことはないと考えます」


 景公は納得し、荀林父に元の官職を与えた。


「何故、私を庇うような真似をしたのだ」


 朝廷が終わると荀林父が士渥濁に聞いた。


「国に必要な方だと思ったからです」


 そう言って立ち去ろうとする彼に対し、荀林父は言った。


「私は汝の父と敵対したのだぞ」


 状況がどうあれそれは事実であった。それであれば、恨んでも可笑しくはなく。助ける義理は無いはずなのだ。


「自分の正しいと思えることをやっている。それだけです。あなたは違ったのですか?」


 逆に彼へ問うと士渥濁は去っていった。


(私は……)


「荀林父殿」


 そこに士会がやって来た。


「士会殿……」


 彼は士会が苦手である。理由はわからない。それでも何故か苦手なのだ。


「荀林父殿、処罰を受けずに良かったですな」


(嫌味かこの男……)


 今回の戦で何ら被害もなく撤退してみせたこの男を多くの者は称えている。それに対し、自分はみっともない姿を晒している。


(やはり私はその責任を死を持って償うべきではないか)


 彼がそう思っていると


「覚えておりますか。あなたと私はかつて文公の車に乗ったことを」


 士会は懐かしそうに言った。荀林父も目を細める。


「忘れるはずがなかろう。私が御者で、汝が車右だった。私としては汝が車右に任じられた時は大いに驚いたものだ」


「そうでしたか」


 彼が笑うと荀林父も釣られて笑う。


「あの時は皆、笑顔でしたね」


「ああ」


 文公、そして襄公じょうこうの頃は良かった。まるで黄金に輝く時代であった。


「だが、それも短かった」


「ええ」


 襄公が死に、霊公れいこうの時代となるとその輝きは失われ、辛い時代が訪れた。


「恨んではいないのか」


 士会は霊公の即位前の後継者争いに巻き込まれている。


「恨んでないと言えば、嘘になります」


 彼にとって、自国を、故郷を恨んだ時だった。


「それでも、その辛さは私だけではものではありません」


 その辛さは決して士会だけのものではない。多くの人々にとっても辛い時代であったのだ。


「誰もが辛く苦しい時代です。それもまだ終わりが見えていません」


「そうだな」


 荀林父は悔しそうな表情をする。自分が更に苦しめる結果を出してしまった。


「それでも、苦しくても、辛くても生きねばならないのだと私は……郤缺げきけつ殿に学びました」


「郤缺殿か……」


 郤缺は士会と荀林父が良かったとする文公の頃さえも彼にとっては苦しかった時代だったのだ。


「あの人は優しくもあり、厳しくもあった」


 自分には真似できない生き方だ。


(私ならば、野人に落ちた時点で自害しているだろう)


「荀林父殿、私たちは生きて、生き抜かねばなりません」


 かつて郤缺が生きて信念を示したように。


「生きろと言うのか」


「はい」


「それは……厳しいな」


 誰でも大きな失敗をした者に向ける目は厳しいものである。その中を生きるのは普通に生きるよりも辛く、厳しい。


「ええ」


 それでも生きねばならない。偉大なる先君たちが、郤缺が、守ってきたものを積み上げてきたものを守らねばならないのだから。


「生きて、私ができることをしよう」


「ええ」


 晋は辛く苦しい時代にある。されどこの国は今、再起の道を歩み出した。






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