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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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無責任

 鄭が既に楚と講和したと知った晋軍の中軍の将・荀林父じゅんりんぼは諸将を集めた。


 彼は鄭が楚と講和したのだから退却すべきと考えた。


「既に鄭の救援に間に合わないにも関わらず、出兵によって民を煩わしている。敢えて戦う必要はないだろう。楚が還ってから動いても遅くはない」


 鄭が救援を求めたが故に出兵したのだ。それを知りながら鄭が楚と講和した以上はこれ以上の軍事行動をする必要はないではないか。


 これに真っ先に賛成したのは士会しかいであった。


「用兵とは、相手の状況を確認してから動くものと申します。徳・刑・政・事(事務・事業)・典(典礼・規則)・礼を守っている相手は敵にしてはならず、戦ってはならない。楚が鄭を討伐した時は、その二心に怒り、その卑(屈する姿)を憐れんだ。叛したら討伐し、服したら赦すという姿には、徳も刑も備わっています。叛す者を討つのは刑。服す者を懐柔するのは徳。楚はこの二者を両立させております。以前、楚は陳を攻め、今回また鄭に侵攻したものの、楚の民には疲労を感じず、楚君も怨みを集めていません。これは政に経(道理)があるからです。楚軍は整然と陣を構え、商農工賈(商は行商の人。賈は店を持つ人)はその業を廃れさせることなく、卒乗(歩兵と車兵)は互いに和している。これは諸事が互いに足を引っ張ることがないからです。孫叔敖そんしゅくごうが宰(令尹)になってから、楚国の令典(法典)を整理したため、軍が動けば、右軍は主将の轅(車の馬や人が牽く部分)に従って進み、左軍は草を集めて露営の用意を進め、前軍は茅旌(旗の一種)を持って不測の事態に備え、中軍は策謀を練り、後軍は精鋭が守るようになった。百官は全て旗物に従って動き、軍政は命令を待たなくても整っている。これは楚が典を滞りなく使うことができるからです。楚君が抜擢する人材は、内姓(同姓)は親族を選び、外姓(異姓)は功績がある者から選び、徳がある者を漏らすことなく、労のある者に賞が行き届かせ、老人には恩恵があり、旅客には施しがあります。君子も小人も尊卑によって服章(服飾)が決まり、貴人は尊ばれ、賤人の間にも等級があり、厳しく守られている。これは礼に逆らっていないからです。徳が立ち、刑が行われ、政が成り、事が時節に応じ、典に従い、礼が順である相手を敵にすることはできません。可能と判断すれば前進し、難を知れば退く、これは軍の善政です。弱小を兼併して愚昧を攻める、これは武の善経(道理)であり、今は軍を整理して、武備を蓄えるべきです。弱小で愚昧な者は他にもいます。敢えて楚を相手にすることはないでしょう。かつて仲虺ちゅうき湯王とうおうの左相)がこう言ったと言われています。『乱れた国を取り、亡ぶべき国を攻める』と、これは弱小を兼併することを意味しており、『汋(詩経・周頌・酌)』にはこうあります『王師は輝いている。彼等を率いて昏暗を取らん』と、これは愚昧な国を討伐することを意味し、『武(詩経・周頌・武)』にはこうあります『商を滅ぼした武王の功績に並ぶ者はいない』弱小な諸侯を服従させ、愚昧な諸侯を討伐し、武王の業に努めることができればそれで充分ではありませんか」


 彼は楚の政治に何ら問題なく、決して愚かな国ではないのだ。そのような国と無理に戦えば、必ず被害が大きくなるだろう。


 これに先縠せんこくが反対した。


「晋が諸侯に霸を称えることができるのは、軍に武があり、臣に力(能力)があるからだ。諸侯を失ってしまえば、力があるとは言えない。敵がいるにも関わらず、戦おうとしなければ、武があるとは言えない。我々のせいで霸権を失うくらいならば、死ぬべきではないか。軍を整えて出征しながら、敵が強大だと聞いて退くようでは、丈夫とは言えない。軍の将帥に任命されながら、丈夫ではない選択をするのは、汝らにはできても、私にはできない」


 先縠は中軍の佐に属す兵を率いて勝手に黄河を渡った。


 それを見て、荀首じゅんしゅ知季ちき。「知」は「智」と同じ。荀首は智を采邑にした)が言った。


「先縠の軍は危険だ。『周易』には『師』が『臨』に変わるという卦があり、『出兵は律(法令)によって行われる。律が明らかでなければ否蔵となり、凶である』と解釈されている。秩序を守って事を行い、完成させることを『臧』という。それに逆らったら『否臧』だ」


「否臧」とは規則に従わず勝手な行動をとって失敗することである。


「元帥がいるのに従わないことほど大きな凶兆はない。我が軍が敵に遭遇すれば、敗れるだろう。彘子はその原因なので、たとえ生きて還れたとしても、大咎から逃れることはできないはずだろう」


 それほどの見識を持ちながら彼は荀林父に撤退を進言していない。彼はどうにもやる気に欠けているところがある。


 韓厥かんけつが荀林父に言った。


「彘子が偏師(一部の兵)を率いて難に陥いれば、あなたの罪は大きくなるでしょう。あなたは元帥でありながら、軍があなたの命に従いません。これは誰の罪でしょうか。属国(鄭)を失ったうえに軍を滅ぼさせてしまえば、重い罪になります。あなたは進軍を命じるべきです。全軍で戦ってもし敗れても、敗戦の責任は分担できます。一人で全ての罪を被るよりも六人で罪を分けた方がまだましでしょう」


 ここでの彼の言葉は無責任である。彼は敗戦をすると思いながらも責任を分担すれば良いと進言しているからだ。誠に国を思う心があるのであれば、このようなことを言うべきでないない。


 されど彼ほどの男が何故、このようなことを言ったのだろうか?


 それは趙括ちょうかつ趙嬰斉ちょうえいせいが先縠に従っていたためである。彼は趙盾ちょうとんに登用されたという恩義があった。そのため彼らを守ろうという意図があったのである。


 だとしても私情を交えすぎて、やはり問題のある発言であった。


 彼の言葉に荀林父が心を動かされた。彼は正卿であるため、位人臣は極めていると言っていいだろう。そのためこれ以上、位は上がることはなく、あとは下がるだけである。


 ここで先縠が全滅すれば、その責任は自分に向くことになる。


 荀林父は全軍に前進を命じた。


 誰もが責任を取りたくないという自分のことばかり考えたまま、軍を動かした。


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